90手間
修練場を後にし、おめかししなきゃと屋敷に戻っていったお母様を庭でお茶をしつつ待つことになった。
「ライニや、実力をと言いながらあんなものでよかったのかの?」
「あんなものとは?」
「いやの。ワシは、てっきり組手でもするのかと思っておったのじゃが」
「なるほど。最初は軽く組手でも…と考えては居ましたが、あれを見せられた後ではとてもとても。ギルドの訓練場の様に身代わりの結界も無いですし、この老体では掠るどころか傍を通っただけ、それだけで世界樹の下に逝けそうですから。それにセルカ様は、賊などの討伐経験もおありの様ですので大丈夫かと」
「ふぅむ…しかし、仮にも領主の妻の護衛じゃろ? そんなもんで大丈夫なのかえ?」
「そうですね。以前、戦争や内乱が多かったころは、暗殺など警戒して護衛も大量に居たそうですが、今は概ね平和ですから。この街に住む者で奥様のお顔を知らない方は、まず居ないでしょう。居るのであれば、最近他の領から流れてきた者や定住せず旅をする者。流れてきた者については基本的に坑道で働いていますし、引退したりしたハンターもまた坑道で雇っています。記録上この街に食い詰めている者はおりませんので、その様な狼藉者は減っております」
「人が増えたと言っておったしのぉ、幾ら狼藉者が減ったとはいえ心配ではないかの?」
「その点も大丈夫でございます。現在ではさらに財政がかなり潤っておりますので、衛兵がその分増員されております。街道の警備、各町の駐屯、どれも増強しておりますので、寧ろ治安はかなり向上してるかと」
「それなら安心…なのかのぉ」
「えぇ。今回はセルカ様もご一緒ですので特に」
「ワシが一緒じゃから?と言ってもアレは街中で振り回すと、周りの人も巻き込むから無闇に使えんのじゃが。一応ナイフも使えんことは無いがのぉ」
腰に付けている鞘からナイフを抜き放ち、左手でくるくると弄び再び鞘へと戻す。
「ふふふ、そのナイフ捌きでしたら大丈夫でしょう。領主に反感を持つ者達は…遺憾ながら現在も居りますが、腐っても街の有力者、万夫不当〖白狐〗のセルカに手を出す愚を重々承知しておりましょうから」
「ぶふっ!なんじゃそれは!」
二つ名を貰ったといっても貰った時以外呼ばれも名乗った事もなく、久々に聞いた上になんか無双っぽいのも増えていて、思わず飲んでいたお茶を吹き出しそうになる。
「東多領での氾濫の際、一人で濁流の様な魔物の群れを狩りつくしたと街に戻ってきたハンターが噂しておりまして、それで万夫不当〖白狐〗のセルカと…普通は揶揄われるものですが、セルカ様は見目麗しい女性ですので、逆に近寄りがたくなっているのかと。しかも、その時プロポーズされたらしいという噂話がありましたが、それがまさか坊ちゃんだったとは思いもしませんでした」
「セルカちゃんお待たせー、それじゃ行きましょうか!」
「畏まりました、表に馬車をまわしておりますのでこちらへ」
ライニが優雅に一礼し先導した先には、今までよく乗ったり見たりしていた幌馬車では無く、貴族の馬車と聞いて想像するような箱型の、所謂キャリッジと呼ばれる二頭立ての馬車が止まっていた。
まさに貴族の馬車と言った風体だが、華美な装飾は無く細やかな彫刻が施されている木目の美しい馬車だ。
「さ、セルカさん手を」
「う…うむ」
馬車に見とれているとお母様とカルンは既に乗り込んでおり、置かれていたステップに足をかけ差し出されたカルンの手を取りワシも乗り込む。
こうやって馬車に乗るとなんだかお姫様にでもなった気分だ。中は四人乗りのボックス席と言った感じだろうか、お母様は既に奥の窓際の席に座っていた。
ワシは促されるまま、窓際のお母様の向かいの席に座れば隣にカルンが座る。
「それでは、出発させて頂きます」
全員が座ったのを確認するとライニが扉を閉め、しばらくしてゆっくりと馬車が進みだす。
窓は屋敷で見た樹脂製のガラスなので、外の景色を…と言いたいところだが屋敷のものよりすりガラスに近く、外の風景はぼんやりとしたシルエットの様にしか見えない。
「そういえば、以前から気になっておったのじゃが」
「なになに?」
窓から目を離し、正面に座るお母様に話しかける。
「名は教会で貰うという話じゃったが、誰かが名を騙ったりしたら分からんのじゃないのかのぉと思っての」
「普段はそうね、でも教会に行けば一発で分かるから大丈夫よ」
「そうなのかえ?」
「ええ、祝福の時に使う名が浮かぶ石板があるのだけれど、それに手をかざして名を言えば本人の名であれば石板が反応するのよ。違ったらその人の本当の名が浮かんでくるの」
「なるほどのぉ、騙って悪い事は出来ぬと言う事じゃの。しかし、今回のワシの様な場合はどうなるのじゃ?」
「そうね~セルカちゃんの場合は、石板に手をかざして名を言えば、祝福と共にその名が刻まれると思うわ。万が一他にセルカって名を貰ってる人が居れば、どの石板で祝福を受けたか分かるようになってるらしいわ。と言っても、獣人の場合、名付けの法則が違うみたいだし、まずかぶる事なんてありえないわね」
「なるほどのぉ」
「最後に行われたのはかなり昔だけど、今も変わってはいないはずよ。なにせ街に居る大半の獣人達はだいぶ前に来て代々ここに住んでる人ばかりだし、大抵どこかでヒューマンと結婚してるから、その子供達はヒューマンと同じように名を貰ってるのよね。セルカちゃんの様に里から出てきた人も居るにはいるけど、そういう人は教会で祝福受けたがらないしね」
「そうじゃったのか」
「それに名がかぶってたとしても、気にする必要は無いと思うわよ。まず会うことは無いでしょうしね。そうそう石板ってね、手をかざして名を言えば、自分がどの石板で祝福を受けたががわかるのよ。この仕組み、税を納める時に似たような仕組み魔道具で再現できないのかしらねぇ…。一応書類として提出されるのだけれど、沢山あるとどれが何処の町のものか分からなくなる時があるのよね、この書類はどこの町で作られたものか分かれば楽なのにぃ…」
「そ…それは、町の名前を付ければ良いのではないのかえ?この街の様にの」
「う~ん、名って世界樹から貰うものだから私たちが勝手につけちゃっていいものか…。この街はずーっと昔からこの名前だからそう言ってるだけで、どうやって街が名を貰ったのか誰も知らないのよね」
「町に魂は無いから気にせずとも良いのではないのかの?やはり名前があると管理もしやすいと思うのじゃよ。それに名前があればそこで質の良いものが出来た時に喧伝もしやすいと言うもの」
「名は魂と結びついてるから、勝手に名付けるのはどうかとって思ってたけど…そうよね町に魂は無いんだもの、言われてみれば確かに問題は無さそうだわ。今までどうして誰も思いつかなかったのかしら。町の名前があれば色々管理がしやすいし、質の良い物を称える時にいろんな人にも分かりやすいわね。主要な街道は衛兵も増えて荷が運びやすくなってるし…いいわね、ますます領が発展しそうだわ!セルカちゃんってば賢い!」
「い…いや、ワシはふと思いついただけじゃよ」
護衛依頼の時、東に一つ南に二つ行った町とか言うのが面倒くさいなぁと思っただけじゃし…。
「詳細は帰ってから決めるとして…とりあえず今はお買い物を楽しみましょ!」
「母さん…セルカさんの祝福が先ですよ」
「はっ、いけないいけない、そうだったわね。ま、祝福はすぐ終わるから大丈夫よ大丈夫」
そうしているうちに、馬車が止まり扉が開かれる。
先に降りたカルンの手を取り馬車を降りる。
続いてお母様が手を取って降りてくるのを眺めつつ、こういうのをさらりとやってのけるカルンは、まるで王子様じゃのとふと思う。
「いや?実際王子様かの?」
この世界に国と呼ばれる枠組みは無いが、領を国として考えればカルンは第三王子と言ってもいいだろう。
その王子様に嫁いだワシも、正真正銘お姫様と言う事か…そういう概念があるかすら怪しいが。
しかしそう考えると、身分を隠して旅をしていた王子様と恋に落ちて結婚し、お姫様に…とはまるで少女マンガのようだと背中がむず痒くなる。
「それにしてもワシがお姫様か、似合わんのぉ…」
「何か言いましたか?」
「いやなに、ただの独り言じゃよ」
苦笑いで答え、視線を教会へと移す。
いつか見たときよりも、教会が綺麗に見えるのは気のせいだろうか…。
眺めてるうちに足取り軽くさっさと教会へ入っていくお母様を見つけ、慌てて後を追うのだった。




