907手間
隊長をはじめ、この街の騎士や兵たち、そして街の住民に盛大に見送られワシらはクレスター子爵の街を後にする。
「結局クレスター子爵は来なかったか」
「隊長が凄い勢いで頭を下げておったの」
その勢いは首が取れるのではないかと思うほどの必死さで、来ない事を詫びる言葉も切々としたものだった。
だがそれに対するクリスの反応は「そうか」の一言だけ、実に冷ややかなものでその瞬間ピシリと隊長は凍ったように動かなくなってしまった。
クリスにしては珍しい声音だがそれも致しかたない、クレスター子爵の行為はこの国の貴族社会においてあまりにも礼を逸している。
足が悪いと言うのは十分考慮の材料になるが、ワシらが領主の館に行った時は本人が直接謝罪した、しかし今回は代理しかも兵たちの隊長だ。
確かに立場ある者であるが、決して身分ある者では無い。
同格、もしくは格下であれば代理となりえるだろうが、クリスは圧倒的格上の王太子だ、それに対し平民の代理が謝ると言うのは余りにも不敬。
クレスター子爵は自分の代理に出来る者が居ないと嘆いていたが、それでもせめて年端もいかずとも孫を代理に立てるべきだった。
「あれは随分と古い人間だ、私、いやヴェルギリウス王家が気に入らないのだろう。猊下をお慕いする気持ちは分からないでもないが、通すべき筋を見誤ってはならない、あれでは反意ありと思われても仕方がない」
「ふぅむ、そうなのかえ? 確かにワシを無視するような話ぶりをしておったから、気には入らんが」
「女は黙って男に従うべし、もう二代も三代も前の考え方だよ、だからってセルカに財宝の礼も無しとは……」
為政者然とした喋り方だったクリスがふぅと息を吐くと、呆れたような口調に代わる。
「しかし、本当に反意を表したらどうするのじゃ?」
「どうもこうも無いよ、理由としては猊下に王位を返却せよとかかな? だが街一つを預かるとはいえ子爵程度が叛したところで所詮は子爵、何も出来ないさ。それに聖堂もヴェルギリウス公爵家に王位を下賜することを認めているし、正統性はこちらにある。誰も着いてこない叛逆なんて、赤子の駄々より意味はない」
「ふぅむ、しかしそれでも何も知らぬ民はついてきそうな気はするがの、クーデターで乱れた国などごまんとあるのじゃ」
「大丈夫だよ、子爵がクーデターを起こしたところですぐに躓く、何せ彼は足が悪い」
「むふふふ、確かにそうじゃな」
真剣な声音から一転、クリスがおどけたように肩を竦めていうものだから、ワシも思わずお腹を押さえて笑ってしまう。
「ま、冗談もあるけれど実際それは大きな問題だよ、旗印が足の悪い老人なんて格好がつかないだろう?」
「確かに、裏で糸引くならばともかく、物語でも旗印は若者じゃな」
「あぁ、もしそんな者が居れば代理として立ってるだろう、クレスター子爵の孫がそうなる可能性があるがその時にはもう遅い、それに我が国は反乱には殊更厳しいんだ興りが興りだからね」
「ふむ、当時の王国から独立したんじゃったな、当の王国も数々の都市国家を平定して興った国、ふむ、確かに反乱は何より恐ろしいじゃろうなぁ」
「ま、こっちには正統性だけでなくセルカが居るからね、何が起ころうとも大丈夫さ。とまぁ、色々言ったけれども、クレスター子爵に出来ることは今回の様に、出立の挨拶に来ないっていうせせこましい嫌がらせくらいだろう、セルカの力を借りるような事にはならないはずだよ」
「んむ、それが一番じゃな」
「一応、父上には報告はしておくけどね」
万全に備えたとて何事も起きず無駄になるのが一番、それが国を揺るがしかねない大事となれば尚更。
それにしてもいくら礼を失しているとはいえ、挨拶に来なかっただけでこの言われようもう二度と会わないだろうが哀れなクレスター子爵に思いをはせ、はてどんな顔だったかとワシは首をかしげるのだった……




