903手間
本人は軽い報告だと思っていたのだろう、さらりとなんでもない事のようにいった一言で、クリスの様子が豹変する。
足を組み、組んだ足の上に置くように両手の指を絡めるようにを合わせ、やや顎を上げ見下すような姿勢で冷ややかな声を出す。
「へぇ、もう一度言ってくれないかい?」
「あ、いえ、その……エヴェリウス侯爵令嬢を嫁にすると、そう起きた直後に呟きまして、え、えぇ、まぁ、本人も無理だと分かっているとは思いますが」
「ふぅん、それで? 君は諫めなかったのかい?」
「む、無論諫めました、起きたと報告を聞き、奴が吹聴する前に厳しく言い聞かせましたが」
「が、何だ?」
突然変わったクリスの態度と絶対零度を思わせる声音に、隊長がしどろもどろになりながらも必死に抗弁する。
所詮は妄言だと聞き流し、その場で諫めたのならばそれでよかろうに、彼は何故わざわざ報告したのか。
後々誰かの口から遠回りにクリスの耳に入ったら、気分を害するとでも思ったのだろうか。
本人が直接言いに来ない限り、周りの者も普通は口を噤むものではなかろうか、誰が誰に恋慕しようとも何ぞ害があるものでも無し、ワシからすれば小僧の戯言と微笑ましい限りなのだが。
当然それを気に入らない者もいるわけで、その筆頭が想いを向けられた者の夫だったり恋人だったり婚約者だったりと、誉めそやすならばともかく嫁にしたいなどと言えばどうなるかなど、少し考えれば分かるような事ではないか。
「よ、嫁取りだ何だのと喚いておりまして、エヴェリウス侯爵令嬢を知らぬ者たちも同調して騒ぎが大きくなりそうでしたので、慌てて奴らを調査隊に編入した次第でございます」
「ほう、先ほどは士気がどうのと、殊勝なことを言っていた気がするのだが?」
「もちろん、もちろん嘘偽りなく真実でございます。本来であれば奴の快復を待っての出発予定でしたが、先ほど申し上げたこともございまして、身から出た錆と思いすぐに出発させました」
「そうだったか、しかしだ、セルカが貴族であると周知しているのではないか?」
「してはおるのですが、皆まず貴族と関わりの無い者たち、ご無礼な物言いではございますが、獣人が貴族の一員であるということをよく理解してない様でして……。騎士の方々も貴族である前に自分たちは騎士であるというご立派な方ばかりで」
「普段貴族と接していないから理解してないと?」
「は、はい、愚かな平民の無知故と、王太子殿下におかれましては、平にご容赦頂ければ、と」
「なれば必ず押さえろよ?」
「は、ははっ、必ずや」
その後クリスの威圧によって、可哀そうなくらい縮こまってしまった隊長が辞去するのを見送って、ワシは横に座るクリスにため息をつく。
「気持ちは嬉しくはあるのじゃが、あそこまで叩きのめすように言わんでもよかろうに」
「セルカを見ていて思うんだけれど、アレの性格からして突撃してきそうな気がしてね、早々に戻ってこれない場所に送ったのは英断だと僕は思うよ」
「じゃったら、もちっと優しく言えば良かろうに」
「甘く言っても良かったが、アレはあの隊長にある程度敬意は払っている様だったからね、あの様子ならきっちりと言い含めてくれるだろうし、その方が面倒が少なくて良い。しかし、婚約者が居るというのに嫁にするなどと、よく言えたものだよ」
「獣人全てがという訳では無いのじゃが、狭い里や村などでは、強い者が嫁や婿を取るという風習がある者もおるからのぉ。大方あやつの育った村もそう言う考えじゃったのじゃろう」
「しかし、これは何だな、早急に獣人の風習に明るいものを迎え入れた方が良さそうだ、フレデリック」
「はっ、すぐ手配いたしましょう」
確かに一応ワシも知識としてはあるが、それはカカルニア周辺の獣人についてのもの、手早く打合せしているクリスとフレデリックを尻目に、この国に風習を研究している学者などいるのかのぉ等と、のんびりと背伸びをするのだった……




