901手間
しばらく待ってもワシへの挑戦者は現れそうもなく、このままいても訓練は身に入らないだろうという隊長の提案によってワシらは訓練場から引っ込むことになった。
「フレデリックや、近衛や騎士では獣人は採らんのかえ? ワシの見た限り、単純な能力で言えばあれはおぬしより上じゃろう」
「そう、ですね。今のところはその予定は……騎士は、特に近衛では規律を重視しますので、騎士には巡回任務がありますが、近衛の場合宮殿付近に常に居りますし、その業務の殆どは宮殿内の警備、執務室の前などで一日中不動と言うことが求められますので」
「それは無理じゃな」
正直に言えば、それは獣人でなくともかなりきついだろう、当然休憩や交代はあるだろうが勤務中は油断なく鎧の置物と化せというのはよく考えずともかなり難しい。
「セルカ様が王太子妃に成られた暁には、侍女兼護衛として獣人を、と言うのも無くは無いのですが」
「なくは無いが、なんじゃ?」
「いえ、貴族の前に出ても問題ない、そう言い切れるほどの教養を備えた獣人がどれ程いるかといいえば……」
「ふぅむ、確かに難しいのぉ」
下位貴族の下で使用人をしている獣人は居るらしいのだが、貴族相手に相応しい立ち振る舞いが出来るかといえば、恐らく無理だろう。
「セルカ様にお心当たりはございませんか?」
「あるにはある、が。流石にのぉ、皇国から引っ張って来るのは無理じゃろうて、いや、無理ではないじゃろうが、流石にこの寒さは堪えるじゃろうて」
「私は皇国は話で聞くしか無いのですが、そんなに気候が違うのですか?」
「うむ、皇国には暖炉なぞ無いくらいじゃ、下手すれば一生雪を見んこともあるかもしれんの」
「なんと、それ程ですか。全く想像できませんね」
聞いてきたフレデリックだけでなく、傍で聞いていたクリスまで驚いたような声を出す、よその地を見ることなぞ絵画などでしか不可能な上、今まで神国と皇国の間には不仲な王国があるのだ、想像できなくても仕方ないだろう。
女皇と同等などと言われている神子の地位に居たワシが声をかければ、それこそ大挙して押し寄せてきそうだが、巡りを通して温暖な皇国から常に寒い神国に来るのは厳しいだろう。
いや、それでも神子様の為ならば、などといって一族郎党引き連れてやって来そうな気もしないでも無いが、寒さ以外にも男性の地位が高いこの国では不自由しそうな気がする。
「そも、皇国から神国へとなると、道のりだけで相当の月日が必要じゃろうしのぉ、ワシだけでなくこの国に骨を埋める覚悟が無ければ来れんじゃろう」
「なるほど、逆に言えば来る者がいれば、それほどセルカ様に忠誠を誓うつもりがある、そう言うことですね」
「そうじゃがぁ、絶対にそういう輩はおるじゃろうからの」
「随分と言い切るね、セルカ」
目を逸らすように話すワシにクリスがおかしそうに聞いてきた。
「完全にワシ個人とは言えぬが、ほれ、先ほどの訓練場あったじゃろ、あそこにぎゅうぎゅう詰めになるほどの人々から、貢物のようなものをもろうたこともあるぐらいじゃからの。ワシのつこうておる刀もその時もろうたものじゃ」
「それは……あぁ、確かに居そうだね」
元公爵家の嫡男、今は王太子として贈り物などに慣れている為か、さして驚くことなくクリスは頷く。
クリスの淡白な反応とは対になるかの如く、目を見開き驚く声を押さえることに苦労している様子の隊長の姿に、ワシはくすくすと小さく笑うのだった……




