897手間
ワシとミドルが獰猛な笑みを見せているところへ、クリスが引きつる顔を何とか隠しながら訊ねてくる。
「まさかセルカ、あれと戦うつもりじゃないだろうね?」
「当然じゃろう、対等、格上ならばともかく、格下に挑まれて逃げるは恥じゃ」
「ほう!」
格下と、隠しもせずに力自慢には最大級であろう侮辱をぶつけられたというのに、ミドルの反応にはどこか楽しそうな色が含まれていた。
クリスはワシの言葉に呆れるというよりも、なぜか驚くような反応を見せているので、ワシは小首を傾げる。
「対等や格上なら逃げても良いんだ」
「まぁそこは個人にもよるが、その場合は別に格段の恥でもないの。力試しとして挑むのならば良いが、それが敵であればただの阿呆じゃからの」
勝てぬ戦いはしない、ヒューマンは意外とこれを臆病だなんだのと言うが、命あっての物種、勝てぬを勝てぬと断じ、その差を理解するのもまた実力だ。
むしろ勝てぬ戦いを理解できずに挑めば笑い者になるのが獣人だ、つまりミドルは笑い者になるのが常だが、相手がワシでは致しかたない。
人の身で高い山の頂を仰ぎ見ようとも、霞みがかかり見えないのと同じで、いくら強いと言われようとも相手が高すぎれば実力が判らないのは仕方が無い事だ。
「それじゃ何を使うよ、俺は勿論これだ」
ミドルはそう言って、ポンポンと片手に持っていたモノを叩く。
人の背丈ほどは在ろうかという長さの斧に、布を巻き付けたものだろうか。
樵の斧にしてはずいぶんと大きい、正直木を切るだけならばそれ程の大きさは必要ないのではと思うほどだ。
いや、皇国で切り出した木であれば、むしろ小さすぎるくらいか?
「まぁ、これだつっても木製のオモチャなんだがな、それでも俺の力でぶん殴るとあぶねぇから、こうやって布でぐるぐるまきにしてるんだ」
「ほうほう、ふむ、ではそんな玩具では無く、いつもの得物で挑んでくるがよい」
「いやいやいや、俺の得物は良いもんじゃぁないが、それでも刃の所は鉄製だ。そんなもん使ったら危ないだろう」
「大丈夫じゃ大丈夫じゃ、その程度ハンデにもなりはせん。そうさのワシは一切動かず反撃もせず、全ての攻撃を受けておぬしが根負けするのを待つのでも、ハンデとしてはまだまだ足りぬくらいじゃ」
「嬢ちゃんが強いつっても、それは流石に自信過剰すぎるだろう」
冗談だろうとでも言いたげにミドルが笑うが、ワシは黙って首を横に振る。
「自信過剰どころか、随分と過小評価してこれなんじゃがのぉ」
「ほほぉ、良いねぇ小生意気な奴の鼻っ柱をへし折ってやるのも先達の務めってな」
「それはワシのセリフじゃ」
ミドルはバシンと胸の前で右の拳を左の手の平にぶつけてそのまま指を鳴らし、ワシはふふふんと胸を張る。
「あー、フレデリック、私はセルカ以外の獣人のことを殆ど知らないのだが、獣人は皆こうなのか?」
「私もさして関わり合いは無いので、確かにセルカ様がお捕まえになったあの獣人の兄弟や、孤児院での獣人は好戦的ではありましたが、それはその時の状況ゆえ当然だったとは思いますので、皆が皆こうだと言うのは私は存じ上げませぬ」
何やらクリスたちがこそこそ話し合っているがワシには丸聞こえ、たぶんミドルも聞こえているだろうがさして気にしてないようだ。
まぁ、確かに、獣人としてはコソコソしている者よりも、目の前の強者の方が魅力的だろう。
ワシから見れば強者でもなんでもないのだが、心境的にはよく言えば孫と遊ぶおばあちゃん、悪く言えばただの暇つぶし。
今朝クリスから聞いた話によれば、もうニ、三日はこの街に居なくてはいけないとか、そして例の如くワシは自由に外へ出て回ることは出来ない。
つい先日まで自由に出歩いていた反動というのもあるだろう、その鬱憤を晴らしてやろうと目の前の哀れな男にニヤリと笑いかけるのだった……




