893手間
クレスター侯爵の館から戻った翌日、久々にゆっくりと眠れると思ったのだが、外から聞こえる元気な掛け声、というには少々野暮ったい声で起こされる。
眠りを妨げられたとて寝不足になったりする訳では無いが、睡眠がさして必要ないとはいえ不本意な起こされ方をすれば不機嫌にもなる、それもまだ空が白み始めた頃となれば尚更だ。
「セルカ、どうしたんだい? 今朝はずいぶんと不機嫌じゃないか」
「いや、何ぞ朝から外が騒がしくてのぉ、ゆっくりと寝るつもりが起こされてしもうてな」
そこまでむっすりとした顔をしていたはずではないのに、流石にクリスは気付き、朝食を食べ終え食後のお茶を楽しんでいるところで声をかけてきた。
いや、そもそもワシに機嫌悪いねと聞けるような者が、アニスならば聞けるだろうだ今ここに彼女は居ない、他の侍女たちはさほど付き合いが長い訳でも無く、クリスぐらいしか居ないというものあるか。
「申し訳ございません、それは騎士や兵たちの鍛錬の声でございます」
「それにしては随分と気合いが入っておった気がするが」
話に入って来たのはフレデリック、彼はいっそ見事と思えるほどに深々と頭を下げ、ワシが聞いた声を説明する。
「戦の話を聞いた兵たちが奮起し、それに触発されて他の者たちも朝から鍛錬するようになりまして」
「なるほどのぉ、しかし、あれだけ早うからやって街の者の迷惑にはならんかえ?」
「この詰め所は街の居住区から離れて建てられています、鍛錬場もそこまで立派ではありませんが壁に覆われておりますので」
「ふむ、まぁ、当たり前の話であるか」
「彼らに言って、明日から早朝の鍛錬は控えさせましょう」
「あぁ、いや、まてまて待つのじゃ。ゆっくり寝れんから鍛錬を止めろなぞ外聞が悪い、何の音か分かっておったら、まぁ気にせんことも出来るしそのままでよいのじゃ」
「畏まりました、ご配慮くださりありがとうございます」
配慮などではなく寝れないから静かにしててとは、頑張っているだろう者たちに流石に聞かせるわけにはいかないだろう。
「それにしてもまぁ、朝から鍛錬するなど気合いの入った連中じゃのぉ」
「セルカ様のご活躍を聞き、自分たちも強くあらねばと奮起いたしまして」
なるほどなるほど、それはワシも鼻が高い、しかしそんな理由ではますます鍛錬を止めろなどとは言えない、フレデリックにそうしてくれと頼まなくて良かった。
「そういえば、兵の中にすごく強い獣人が居るんだっけ?」
「はい、彼が獣人でなければ、いえ、少々騎士道を嗜むようであれば、例え平民でも騎士に取り上げられるは間違いないかと」
話はそれで終わりかと思ったところで、クリスが何やら気になることを話し始めた。
強い獣人とは、あの黒猫兄弟くらいなのだろうか、獣人とはあまり交流が無いしワシとしては是非とも会ってみたい。
そうフレデリックに伝えれば、何故か少し顔を渋らせたもののすぐに了承し先触れを送り出すのだった……




