88手間
昨晩はいつの間にか気を失っていたのか、カーテンの隙間から漏れる光と遠くから聞こえるクッカーという鳥の奇妙な鳴き声で目を覚ます。
キングサイズなんて目じゃない大きさのふかふかな寝台から降りて、カーテンを勢いよく開くと薄暗かった部屋が一気に明るくなる。
はめ殺しで多少曇りガラスの様な色合いとは言え、この世界で初めて見るしっかりした窓に昨日は驚いたものだ。
話によれば最近領内で見つかった特殊な木の樹液を加工したものらしい。確かに触った感触もガラスと言うよりプラスチックに近かった。
まだまだ量産できる代物でも無く、試験的に各個人の部屋にだけ付けられている。
「うーむ、朝日が気持ちいいのじゃが、体中がべたべたしてちと気持ち悪いのぉ…」
朝日を思う存分堪能した後、寝台の隅っこに避難していたスズリを伴って部屋の中に設けられたとある一角へと向かう。
その個室においてあるバケツの底にじょうろの口が付いた奇妙なものを拾い上げ、更に奥にある扉を開く。
バケツの中に法術で作り出した温水を貯め、部屋の中にある刺又の様な器具でバケツを天井にあるフックへと吊り下げる。
「よっと…ん?ん~んぐぐぐぐぐ。ぐげ!」
バケツを天井に引っ掛けた後、じょうろの口に付いている栓を捻ろうとするが手が届かず足を滑らせて変な声が出てしまった。
「スズリやー、あの栓を捻れるかの?」
「コン!」
出来るよ!とばかりにスズリが勢いよく壁を登りバケツへと飛びつくと、器用に前脚で栓を捻る。すると、じょうろの口からお湯が降り注いでくる。
勢いよくではないのがいささか残念ではあるが、それでも体中のべたべたを洗い流すには十分だ。
「くぅ、こちらに来てまさか朝シャンできるとは思わなんだのぉ…」
どこぞのCMの様にシャワーを浴びていたら、バケツの水が尽きたようでぴちょんぴちょんと滴を垂れるのみとなった。
前世の様に蛇口を捻ると…みたいな上等なものでは無く、キャンプで使う吊り下げ型のシャワーみたいな器具を使ってのシャワーだが、それでも十分気分転換にもなる。
シャワーバケツを一度下ろし再度お湯を溜めてから天井に戻すと、シャワー室を出て体を乾かし服を着て、寝台の中央で未だに寝ているカルンの下へと向かい、ゆさゆさと体をゆする。
「カル~ン、起きるのじゃ~」
「んん~…あ、おはようございますセルカさん」
「んむ、おはようなのじゃ。シャワーに湯を溜めておいたから冷めんうちに浴びてくるとよいぞ」
「あ、そうなんですか?ありがとうございます、それじゃ浴びてきますね」
カルンの背中を見送ってさて今日は何をしようかと考えていると、ノックの音と共にメイドさんの誰かであろう声がかかる。
扉を開けるとそこには、昨日の内には見たことがないメイドさんが立っていた。
「おはようございます、セルカ様。朝食の準備が出来ましたのでお呼びに参りました」
「んむ、ありがとうなのじゃ。カルンがいまシャワーを浴びとるのでな、出てきたら一緒に行くのじゃ」
「かしこまりました。それとお部屋のお掃除ですがお二人がお出かけなど部屋を空けている際に行いますので、ご留意ください」
「わかったのじゃ」
失礼しますと言って去っていく背中を見ながら、ホテルでもないのに部屋の掃除をしてくれるとはさすがじゃの~などと思っていると。
「どうしたの?誰か来た?」
「ん?いや、朝食の用意が出来たとな」
「そっか、じゃあ行こうか。あ、部屋の掃除とかはメイドの人たちがやってくれるから気にしなくていいよ」
「それも先ほど来た子が言っておったの。しかし、メイドさんが部屋を掃除してくれるとはさすが貴族じゃのぉ…」
「普通は自分でやりますもんね。中にはお金の無駄遣いだとか言ってくる人も居るんですけどね」
「あ、いやワシはそういう意味で言ったわけでは…」
「ふふ、わかってますよ。言っているのは貴族になれなかった人たちの一部だけで、メイドや使用人についても、基本的に何らかの事情で職を失った人とか親が居ない子供を引き取って働いてもらってますし、中にはライニの様に元ハンターの人とかも居るので護衛も兼ねてるんですよ。っとそういえば朝食でしたね、待たせてもいけませんし行きましょうか」
「そうじゃの」
カルンの後に付いて食堂へ向かっている途中ふと気になったことを聞いてみる。
「先ほど貴族になれなかった人が…とか言っておったが、望めば誰でも貴族になれるのかえ?」
「ん~、誰でもという訳ではないのですが、戦争などで断絶してしまった家が出たり、新たに領土が増えたりした際など、領地経営の人手が足りなくなった時に募集したり任命したりするんですよ。大抵は他の貴族の家を手伝っていた家などからですけど。最近は戦争も内乱も無いですし、最後に貴族家が増えたのはもう何代も前の当主の時なのですが、その時指名されなかったり選ばれなかったりした家が代々嫌味を言ってきているんですよ。そんな器の小ささだから貴族になれなかったというのに…。セルカさん…すみません」
「な?なんじゃ。今の話のどこに謝ることがあったのじゃ」
「ただハンターをやっているだけならこんな面倒な家の事情に巻き込む事もなかったのに、僕と一緒だとどうしても巻き込んでしまう。僕が貴族と言う事を隠したままひっそりと過ごしていればもしかしたらとも思ったんですけど、やっぱり両親や何よりセルカさんに隠しておくなんてできなくて」
「い、いやカルンが気に病むことなぞ何一つないのじゃよ。貴族じゃったという事に驚きはしたがの、貴族の家に嫁入りじゃ。それに気づいた時点で多少のやっかみがある事ぐらい覚悟の上じゃて」
「セルカさん…」
「カルンや…」
「おっほん!中で旦那様をはじめ皆さまお待ちですので」
少女マンガの様な雰囲気になったところで、咳払いと共にライニの茶々が入る。
「そ、そうじゃったの。急がねばの」
「そ、そうですね」
すでに食堂の扉前に居たのでワシらが少し落ち着いた頃を見計らってライニが扉を開いて中へと促す。元ハンターとは思えないほどのパーフェクトな執事っぷりだ。
「おはよう」
「セルカちゃんおはよう」
「二人ともおはよう」
「おはようございますなのじゃ」
席に座り朝の挨拶をすませる。
「うふふ、二人ともお熱い様でお母さん安心だわ~。これはもうカルンに次期当主の座を譲った方がいいかしら」
「か、母さん!私もまだまだなんですからもうしばらくお待ちを!」
「うふふ、早くしないとセルカちゃんに赤ちゃん出来ちゃうわよー」
朝食はパンとスープ、そしてベーコンエッグという実にシンプルな品揃え。あと朝食時は夕食の時とは違い、食べながら皆思い思いに喋っていた。若干一部不穏な事を話しているが。
問題が無ければ長男が家を継ぐのかと思っていたが、もしかして子供が先に出来た息子が家を継ぐことになるのだろうかと首を捻る。この人…お母様の場合、からかっているだけの可能性も十分あるが。
「あ、そうそう。カルンとセルカちゃんにお願いがあるのだけどいいかしら?」
その軽い口調とは裏腹に真剣な表情のお母様に、知らず知らずのうちにごくりと唾を飲み込むのだった。




