891手間
腰が曲がり、杖を突き、ヨボヨボと歩く老人と言うのは、例え傍に使用人が控えていようとも、何とも心許ないというか不安になるというか。
使用人たちもそこは心得たものなのか、元々そういう構造なのか、玄関から入ってすぐの部屋が応接室らしく、彼らに続き部屋へと入りお互いほっとしつつ向かい合わせのソファーに、ワシはクリスの隣へと座る。
「改めまして、ようこそ御出で頂きました。王太子殿下直々のご来訪、我が家の不手際による恥とはいえ、それ以上の誉れに御座います」
「よい、そこまで畏まる必要は無い。足の悪いご老体に鞭打つなど、誰にも出来るはずが無かろう」
「勿体ないお言葉でございます」
「それと紹介が遅れたが、彼女が私の婚約者である、セルカ・エヴェリウス侯爵令嬢だ」
「初めまして、私がクレスター子爵でございます」
「んむ、ワシがセルカじゃ」
クリスの紹介に合わせ、ワシが名乗ればクレスター子爵は目を細め、孫娘でも見るような暖かな視線でワシの名乗りに答える。
その後しばらくクリスとクレスター子爵が話すのを、使用人に出されたお茶やお茶菓子をつまみながら眺める。
ワシが躊躇いなくお茶などへ、手を伸ばしていたことに使用人が少し驚いていたのは気になるが、気にすることは無いだろうと再びお茶をすする。
話の中でクリスが件の盗賊団のことを切り出せば、クレスター子爵は忸怩たる思いを皺だらけの顔に浮かべ、曲がり切った腰を更に曲げて深くクリスへと首を垂れる。
「長くこの地を治めながらも、その様な輩が跳梁跋扈するを見逃していたのは私の不徳の致すところ、何卒この老骨めの首一つで収めて頂きたく」
「盗賊団と繋がっていたと言うのならば話は別だが、盗賊団が居ただけで一々首を刎ねていたら、国の統治が立ち行かなくなる。それに、話を聞く限り盗賊団に襲われて見逃された者たちが、意図的に襲われたことを隠していたようだしな」
「では、その者たちを探し出し処罰を」
「いや、それもいい。被害が補填されぬだけで十分な罰といえよう、それよりもだ――」
クリスが盗賊団からの密偵、と呼んでいいかは分からないが、そういう者が潜り込んでいるのをクレスター子爵に話す。
やはり盗賊団の手の者が街に入り込んでいると言うのは、街を治める者としては特段に不愉快なのだろうか、皺だらけの顔を更に皺だらけにして考え込んでいる。
「大元の盗賊団が壊滅しているとはいえ、彼らがまた新たな盗賊団を結成しないとも限りませんな」
「あぁ、その出自に同情は覚えるが、罪は罪だ」
この国に刑務所などという更生施設は無い、犯罪を犯した者、特に盗賊に関しては厳しく、その場で処刑か後で処刑か、鉱山で死ぬまで働くか、しかない。
たとえ直接盗賊行為を働いていなくとも、盗賊へと情報を流し、商人や旅人を危険に晒し、そんな者たちを守ろうとする騎士や兵たちを嘲笑うかのような行為は到底許される者ではない。
「分かりました、このクレスター子爵、全力を挙げ調査し必ずや不届き者に罰を受けさせましょうぞ」
「あぁ、だが慎重にな。あまり大々的に動いては逃げ出すか大人しくするかしてしまうだろう」
「確かにそうですな。では、黒きオオカミの様に盗人どもの喉元に噛みついてやりましょう」
黒い魔物のオオカミは、彼らからすれば仲間が喰い殺されるまで気付かない、とまで言われる恐怖の象徴。
それの如く盗賊を仕留めようと言うクレスター子爵の顔は、若い頃はそうとうやんちゃ坊主だったのだろうことを思わせるニヤリとした獰猛に笑いを浮かべ、クリスの表情を引きつらせるのだった……




