889手間
右手を天井に向け、右ひじに左手を頭の後ろを通して添えて伸びをする。
そして今度は左右を逆にして、もう一度伸びをしてからくるくると、円を描くように首を回す。
「ふぅ、やはりこの姿の方が落ち着くのぉ」
もう間もなく夕飯といったところで、ようやく我に戻った侍女たちに解放され、狐の姿から、元の獣人の姿へと戻ることが出来た。
ワシが居るというのに三人だけで話が盛り上がってしまったからか、恐縮している侍女たちに身支度を整えてもらい夕飯へと向かう。
通された部屋では既にクリスが待っており、ワシもクリスに促され対面の席に座る。
「もうその姿に戻ったんだね」
「流石にあの姿で食事はのぉ。出来んことも無いが、やはり手を使えぬから食べ方が汚くなってしまうからの」
「あぁ、確かに」
次々と料理が運ばれてくる中、ワシとクリスは久々に雑談を交わす。
「ところで、セルカが連れてきたあの女性だけれども」
「シャーロットじゃな、あの子がどうかしたのかえ?」
「騎士団付きの下女として一時的に雇うことになったよ、ここから神都までの間の給金があれば、万が一神前街に彼女の親族が居なくともしばらくはやっていけるだろう。その時には騎士団付きの下女をやっていたと言うのは、必ず箔になるはずだ」
「そうかえ、それは良かったのじゃ」
「彼女からの話をフレデリックから聞いたが、一応セルカにも聞くけれども、盗賊団のアジトに他に囚われている者は居ないんだね?」
「ふむ、ワシもシャーロットに聞いただけじゃからのぉ、盗賊どもも他は死んだなどと言っておったからまず間違いは無いと思うのじゃ、しかしなぜ今頃?」
「あぁ、もしまだ囚われている者がいるのならば、調査隊の出発を急がせないとならないからね」
「なるほど、それもそうじゃな」
確かにあのアジトの周辺は、素人がほいほい歩き回って良いような場所では無い。
だからこそ誰も来ず、危険というデメリットよりも、見つからないというメリットを取った、取らざるを得ない盗賊団のアジトとなっていたのだろうが。
「あぁ、じゃが、盗賊団の生き残りは居るかもしれんの、あ奴らの話では口減らしに森の放り込まれた子供を盗賊として育て上げ、どこぞの街に潜り込ませておるという話じゃった」
「なんだって? その話、もうちょっと詳しく」
「詳しくと言うても、街に潜り込ませて商人や兵の動向を探らせておるとしか言っておらんかったからのぉ。その仕事上、街中ではある程度真面目に働いておるじゃろうから、見つけるのは困難ではないかの」
「我らに守られていながら、盗賊にその情報を流すとは何と卑劣な」
見かけは善良な市民、しかしてその実態は盗賊に情報を流す、クリスが憤るのも分かる、護る側からすれば尚更だろう。
「紛れ込むならば人の多い街が良い、となれば近隣ではここほどそれに合致する街は無いだろうね」
「んむ、大きな街であれば、多方面に行く者たちの動向を調べるのも容易いじゃろうしの」
どうやって情報を流してるのか分からない上にワシらは長くここに留まる訳でも無し、そもそも大元を潰したのだから大丈夫だとは思うのだが、彼らが一念発起してまた新たな盗賊団を創り上げないとも限らない。
しかし、それはワシらの仕事ではなく、この街の治安を担っている兵たちの仕事だろう。
「丁度いい、明日、この街にいる領主へ挨拶に行くから、そこで伝えるとしよう、僕からの言葉ならば無下には出来まい」
「それは無理であろうなぁ」
クリスに厳しく言われるだろうまだ見ぬ領主に憐れみを感じるが、よくよく考えれば自業自得のようなもの。
ワシが気にすることでは無いかと気分を変え、運ばれて来た料理に舌鼓を打つのだった……




