880手間
ガチャンと何か落ちる音で目を覚ます。
ワシのお腹にもたれ掛かるように寝ているシャーロットを起こさぬ様に周囲を見回せば、焚き火の傍で何やら慌てている獣人の青年が居たので、彼が何か落したのだろう。
襲われて何か落したという様子でも無し、ただ単に不注意だろうと見回す為に少し上げていた頭を前足の上に戻し、鼻から抜くように息をする。
「あ、すみません、起こしちゃいましたか?」
『かまわぬ、そも寝る必要も無い身じゃからの』
その音で向こうもワシが起きたのに気付いたのか、くるりと振り返って頭を下げる。
「そうですか、それは何とも羨ましい。ところで、もしよければ少し話しませんか?」
『んむ、かまわぬのじゃ』
時間としては丁度日が変わるか変わらないかといったところか、見たところ一人で見張りというよりも焚き火の番をしているようだし、彼の暇つぶしに付き合うのも吝かでは無い。
どうせ周囲にはこちらを窺いそそくさと逃げ出す獣が居るばかり、どうせ何か近付いて来たら分かるのだしと再び顔を上げる。
『して何を聞きたいのじゃ?』
「その、変化できる獣人なんて聞いたことも見たことも無かったので、もしかしたらどこか遠くの国の出身かな、なんて」
『ふむ、なるほどのぉ、確かにそうじゃ』
目の前の獣人はかなり年若そうな、青年というよりも少年と言った方が相応しいその顔は、外の事などには強い興味を示しキラキラと輝いている。
「やっぱり、隣の王国ですか?」
『いや、もっと遠くじゃな』
「獣人の国の皇国ですか! 僕も一度行ってみたいです」
『いやいや、もっと遠くじゃ。その二つも行ったことはあるがのぉ』
「皇国よりも遠くですか」
少年は言わずとも想像もつかないとその顔が語っている。
それもそうだろう、同じ国の中でも移動するのにひと月、ふた月かかるは当たり前、他国となるとどれ程かかることか。
『そう言うおぬしはここらの出身かの?』
「はい、もうちょっと北の方にある村の出です」
少年の話によれば獣人ばかりの村という訳では無いが、村というだけあって仕事は少なく、その村の獣人は大抵は狩りで生計を立てるか、どこかの街にグループ単位で出稼ぎに行くのだという。
確かによく見ればこの少年の耳と尻尾も柴犬っぽく、聞けばこの商人に雇われている獣人はみなその村出身なのだとか。
あの最初にあった弓を止めようとした青年も、親兄弟では無いが少年の近縁の者らしい。
「それにしても獣人の国、憧れます」
『確かに、あそこは獣人には住みやすいじゃろうのぉ。ただ、皇国は女性上位の国じゃから、肩身の狭い思いをするやもしれんがの』
「どこの国にも問題って言うのはあるんですね」
『あれは問題という訳では無いがの』
「それで、その皇国よりも遠い国って獣人はどんな扱いなのですか?」
『獣人は珍しい者という扱いかのぉ、基本的に獣人は自分の村や里に引っ込んでおって、ヒューマンが住む街などに来るのは変わり者ばかりじゃな、その変わり者でも基本的に里の事は話してはならぬという掟があって、それを守っておるからどういう里じゃということは同じ獣人同士でも同郷でもない限り知らんといった感じじゃな』
ワシの話を興味深そうに少年が聞くものだから、ついつい饒舌になりそれを少年が熱心に聞くということを繰り返し、焚き火が消えているのを呆れた様子の傭兵が言いに来るまで気付かず、危うく少年が怒られるところだったが、ワシが再び火を点けることで何とか少々小言を貰う程度ですんだのだった……




