862手間
移ったあくびを噛み殺し、陽が高くなるのを待つ。
生憎の曇天でさほど明るくはならなかったが、致し方なかろうとゆっくり立ち上がり、直接この場からは出ていかずに道がある方へと回り込む。
儼乎たる足取りで道を進みゆけば、見張りは一体何が来たのかと目をこすり、呆けた様から一転、転がる様に櫓から飛び出れば、目の前の里は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
狐一匹出ただけでその様子は流石にビビり過ぎだろうと思わず半目になり、頬をかきたいところだがこの姿ではそれも出来ない。
そんな風に思っていると、トスッと左前脚の付け根に矢が突き刺さる、無論ワシの身に突き刺さる訳もなく、ふかふかの毛に引っかかり刺さったように見えるだけだが。
だが傍目からはそんな事は分からないのだろう、ワシに矢を射かけてきた者はニヤリと笑うと、続いて二射、三射とワシに矢を放ってくる。
矢が入らぬ様にペタンと耳を伏せるだけのワシに気を良くしたのか、矢を射る者が増えてくるが鬱陶しいだけで、殆どの矢は毛で弾かれワシの足元にパラパラと散らばる。
しかし、それでもワシが動かない事に気を良くでもしたのか、勢いよく塀に設えられた門が開き、鬨の声と共に如何にも柄の悪い破落戸どもが、剣や斧、バラバラな獲物を手にワシへと向かってきた。
「野郎ども相手はでけぇだけの獣だ、ビビんじゃねぇぞ!」
「あんだけでけぇんだ、上等な毛皮も肉も取り放題だ!」
如何にも体格が良く人相も一際悪い数人が、発破をかけながら大木を伐り倒せそうな斧や剣を掲げいの一番に突っ込んできた。
破落戸みたいな見た目ではあるが、ワシの毛皮を褒めるとは中々見どころがあるではないかと、ふふんと上機嫌に鼻を鳴らす。
真っ先にワシの下にたどり着いた、鉞担いだきん、ではなく大男がワシの右前足へと裂帛の気合いと共に一撃を叩き込んでくる。
普段であれば防いでも、彼我の重さの関係からたたらを踏むかも知れない一撃は、ワシの足を動かすことも出来ず、その毛並みで全ての勢いが削がれる止まる。
大男が驚いている気配が伝わってくるが、後続の破落戸どもはそれに気付かずワシの足へと思い思いの一撃を叩きこんでくる。
二、三十人はいるだろうか、足や腹へと何度も何度も攻撃を加えてくるが、その様は子供が木の棒をもって、鎧を着込んだ者にチャンバラを挑んでるが如くの無様を晒している。
中にはハァハァと肩で息をして、何度か息を整えてからまた攻撃をし始める者も居る始末。
それでもワシの薄皮一枚どころか毛の一本も切れる、いや、毛に傷を負わせる気配すら無い。
「くっそ、何だこいつは、黒いオオカミみたいに剣が効かねぇ!」
「だったらやり続けろ! あいつ等だって囲んでボコれば倒せるだろ!」
「けどよぉ頭、あれって数が居るしこいつも……」
「んなわけぇだろ、こんなのが沢山いたら俺らは森ん中に居れる分けねぇだろ!」
ほほう、鉞を担いだ者がこの集団の長らしい、なればもう攻撃を受ける必要は無いかと未だ右前足を切り付けてくる大男を、ぺしゃんと体重を掛けぬよう気を付けながら肉球で優しく押さえ込む。
大男は必死にワシの足をどけようともがくが、押さえつけられているので踏ん張りも効かず、そもワシの力に敵う訳もなくビクともしない。
「かっ、頭がやられた!」
「にげ、にっ、ダメだやれっやれっ!」
押さえつけただけだというのに、何人かは錯乱して逃げたり、腰を抜かしたりしている。
なかには頭を助けようと、足を攻撃してくる気骨のある者もいるにはいるが、当然ワシに痛痒を感じさせることは不可能。
『そろそろええかの?』
ワシは何気なく声をかけたつもりだった。
だが効かないとはいえひたすら殴られ続けてたのだ、ワシも少々苛立っていたのだろう、声に力が入ってしまった。
今のワシの言葉は無理矢理マナでもって音を出しているようなモノ、大きな声はそれだけ多くのマナを含む。
そんなモノを至近距離で浴びた男たちはといえば、マナに耐性の無い者は昏倒し、耐性の高い者も頭を石で殴られたかのようにその場で頽れ蹲り呻き声をあげるなど、一瞬で阿鼻叫喚の巷となるのだった……




