828手間
どれだけ無防備に後ろに倒れこもうとも、尻尾のおかげで頭を打つなどという間抜けなことは無い。
すっかりと薄緑の輝きが収まった尻尾に包まれ目を閉じて、目を開けた。
ただそれだけのはずなのに、どんでん返しでもされたかの様に目の前にあった空が天井へと変わっていた。
軽く周囲を見れば、砦でワシがいつも使っている部屋のベッドに寝かされているようだ。
「ぬぅ? いつの間に……」
「あっ」
ワシが一人ごちるとそれを聞いたのだろう、声のした方向に首を回せば丁度部屋に入ろうとしていた、侍女というよりもお手伝いさんといった風貌の女性が、ちょっとびっくりして口元に手を当てている。
じっとワシが見ているのに気付いたのか、またも「あっ」と声をあげるとそのままくるりと部屋から出ていってパタパタと足音が遠ざかる。
「なんじゃったのじゃ……」
あっ、を二回言うだけで去っていった女性、まぁ、ワシの様子を見に来たのだろうがよほど慌てたのか扉が開けっ放しのまま。
やれやれと嘆息しつつ扉を閉めようかと、ベッドから体を起こそうとするが縫い留められたかのようにピクリとも動かない。
ピクリともと言うのは少々大袈裟だが、全身だるくて動かすのが億劫ということには変わりない。
そんな事を考えていると部屋の外からすっと手が伸びてきて、開けっ放しだった扉が静かに閉められる。
「そういえば部屋の外に護衛がおったの」
時には木の上で寝ようが土の上でそのまま寝ようが気にしないがそれはそれ、流石にいくら体がだるいからとは言え部屋の中で扉が開け放たれている状態で寝るほどには、ワシは恥を捨ててる訳では無い。
憂いも無くなったしもうひと眠りするかと目を閉じかけたその時、先ほどのパタパタとした足音とは違う、重さのある複数の足音が近付くのが耳に入ってきた。
バタンッと勢いよく、先ほど閉じられたばかりの扉が開け放たれると最初に姿を見せたのは、嬉しさと心配を半々した表情のクリス。
「セルカ、目が覚めたって!?」
「ぬ、ワシはそんなに長く寝ておったのかえ?」
チラとカーテンの隙間から僅かに覗く外を見れば真っ暗だが、日を跨ぐほどの遅くでも無いと何となくだが感じる。
しかし、今が何時かは分かるが何日かは分からない、それなりの速度で戻ればその日の内に砦に帰れる距離であったし、元々最低でも一日二日は野営する腹積もりで出たのだ、何日かかけてゆっくりと戻って来たと言われても納得できる。
「あぁ、セルカは十日も寝てたんだ」
「なんじゃ、その程度かえ」
ベッドの傍にある椅子に座りワシの手を取りほっとしたように呟くクリスには悪いが、ワシにはその程度の反応だ。
例えるならば何時間も寝過ごしたと思ったら実際は四半刻も寝てないよと言われたような感じだろうか。
下手したら数巡りの間、寝たこともある身からすれば十日など誤差の範囲だ、せいぜい起こすのに肩を揺らす回数が一回か二回増えたその程度。
「あ、あぁ、うん……そうだセルカ、何か食べるかい? 十日も食べてないんだ、何か消化に良いものを用意させよう」
「そうじゃな、いや、いまは遠慮しておくかの。起きるのも億劫じゃからのぉ、今はもうひと眠りしておきたい気分じゃ」
「そうか、わかったよ。でも、起きるのはまた十日後とか無いよね?」
「大丈夫じゃ、たぶん。んむ、心配なら明日起こしに来るがよい」
疲れて眠るなど久方ぶり過ぎてその辺りの感覚は無くしてしまって久しい、ついとワシが目を逸らすと何が面白かったのかふふっとクリスが笑うとワシの額を撫でたかと思えばそこに口付けを落す。
ワシがいきなりのことに驚いていると、またクリスは微笑み立ち上がる。
「それじゃあ、おやすみセルカ。また明日」
「う、うむ」
何とか返事を喉から絞り出し部屋から出るクリスを見送ってパタンと扉が閉まるとほぼ同時、自分で想像する以上に疲れていたのだろう、すぐにすやすやと寝息をたてはじめるのだった……
 




