72手間
ウェイトレスの様に食事の乗った盆を片手で持ち扉をノックする。ウェイターのバイトをしていた…はずのワシにはこの程度造作もない。
「カルンや、ワシじゃセルカじゃ。入ってもよいかの?」
反応はないが中に人の気配はある。寝ているならばよしと念の為、扉に手をかけるとカギはかかっていない様で、抵抗なく扉が開く。
部屋の中はランプが灯っておらず真っ暗だが、ぼんやりと寝台に誰かが腰かけているのは見える。
「起きておるのであれば返事をせぬか、心配するであろう?」
部屋の主の了承など要らぬとばかりに中に入り、ランプに火を灯し扉を閉めると、寝台に腰かけてたカルンがビクっとするがそれを見て苦笑いする。
その様がなんとなく可愛らしく、やれやれといった顔で愛おしそうにカルンを見つめる姿はオッサン共の誰かに見つかったら確実にからかわれただろう。
「体調が悪いと聞いたからの。ほれ、食事をもらって来たのじゃ。あまり食べれずとも少しでも腹に納めておかんと治るものも治らぬぞ」
そういってお盆を少し掲げるが、それでも反応はない。
寝台に近づき、サイドテーブルにお盆を置くと寝台の縁に座るカルンのすぐ横にポスンと腰かける。
「ふむ、熱は…なそうじゃの。気疲れであればはよう食べて横に…」
「ごめんなさい、体調が悪いっていうのは…嘘で、本当は…ちょっと…」
カルンの額に手を当ててみたりしたが途中で言葉を切られた。
「よいよい、体調が悪くないのであれば良いのじゃ。それを誰も咎めはせぬよ。しかし、なんぞあったのであろう?ワシでよければ話を聞くが?」
「えっと…そう…ですね…聞いても笑わないでくださいね…?実は、怖くなったんです」
「なんじゃ、そんな事じゃったのか。はっはっは、気にする事なぞ無いぞ?口止めなどされておらぬから言うが、あのアレックス達ですら今回は恐怖で食事も喉を通らぬ様子じゃったぞ」
カラカラと笑い、実際のアレックスらの様子はそんな易いなものでは無かったが嘘は言っていない。いつもより食事の量も少なく肉抜きにする程だった。
「笑わないでくださいねって…はぁ…その………こんどは怒らないでくださいね、絶対ですよ?」
ちょっとむくれて言ったあとワシの目をじっと見つめて絶対と念を押してくる。しかしその様は彼氏に迫る彼女じゃのぉとは口が裂けても言えない。
「わかった、わかったのじゃ。怒らぬ、怒らぬから話してみい」
「僕が怖くなったのは…その…セルカ…さんなんです…」
「ワシが?まぁ、あれほど暴れたのじゃ、それも致し方なかろう?衛兵共ですらまるで鬼教官が来たかのような見事な最敬礼じゃったぞ?」
「あの姿もすごかったんですけど…そうじゃなくて…なんていえば良いんでしょうか。普通ならいつか死んでしまいそうだと思うのかもしれませんが、セルカさんに限ってそういう姿は想像出来なくて…。どう言えば良いのか、どこか遠くに行ってしまいそうで…そう、僕たちを置いてどこかに行ってしまいそうで怖くなったんです」
「ふむ?ワシはここにおるぞ。おぬしらの様な者は探してもおらぬであろうし、早晩どこぞに去るなぞはせぬよ」
おぬしらが去らねば、という言葉は胸にしまっておいた。
「それでも、それでもきっと何時かはどこかに行ってしまうんですよね?」
「そればかりは何とも言えんのぉ…世の中いつ何があるかわからぬ。絶対は保証できぬのぉ」
カルンは言葉に詰まり目だけで懇願してくる。
「じゃが…いつかまではカルンの傍に居ると約束しよう。ま、傍におれるかはカルンの努力次第じゃの。危険な場所でそこにカルンが着いてこれぬと判断すれば容赦なく置いていくのじゃ」
「ふふっ、セルカさんはまるで僕のお姉さんみたいですね、実は僕は三男で上二人は兄だけなんですけど、姉が居たらこんな感じなのかなぁ…って」
「なんじゃ藪から棒に、この身は紛うことなく十五じゃぞ?カルン、おぬしの方がひとつだけとは言え上じゃろう?」
「そうなんですけど、なんとなく安心できるというか甘えれるというか…」
「むー、なんぞそれではワシが年寄りみたいじゃと言われてるようで心外なのじゃが」
確かに中身はカルンより確実に年上であるだろうが、それはそれで不服なので年相応に見えるようかわいらしくむくれてみせる。
「えっとあっと、そうじゃなくて、確かに言葉遣いとか古風?というかちょっと変わってるなぁとは思いますけどそうじゃなくて」
「ふふふ、この話では怒らぬと約束したからの、そこまでうろたえなくてもよかろう?」
あまりに狙い通り狼狽えてくれたので思わず吹き出してしまう。
「むぅ、訂正します。セルカさんは意地悪なお姉さんです、兄もそうやってからかうんですよ」
「それだけ分かりやすく反応をしてくれてはのぉ…」
「でも…それじゃ嫌なんです。お姉さんは嫌なんです」
「い…嫌…じゃ…と…?」
まるでかわいい弟が突然反抗期に入ったかの様な感覚になり、ショックでついつい涙目になってしまう。
「その…姉弟は嫌なんです…。父は常々こう言ってたんです。"悩むのならばいい、だが迷うなら行動しろ"と」
カルンが寝台から立ち上がりワシの前で跪き両手を取る。
「だから…いえ、こんな時にいう事じゃ無いとは思うんですけど」
カルンが握るその手の力を僅かに強くする。
「セルカさん!僕と付き合ってください!」
「は?」
嫌と言われたショックで呆けたまま両手を握られたりと、なすがままになっていた頭にその言葉が中々入ってこない。
「は?うぇ…ええええええええええ?!」
その言葉が漸く理解できぬまでも分かると、素っ頓狂な声が勝手に出てくる。
「ワ…ワシはおぬしからしたら不老と呼べるほど長寿じゃぞ!」
「知ってます」
きっとずっと誰かがワシを忘れても生きていく。
「いくら宝珠持ちで優秀なマナの保有量だとしてもヒューマンではせいぜい二百も生きれれば上々じゃ」
「そうですね」
ヒューマンだけじゃない、ハイエルフだってきっとワシを置いて逝く。
「おぬしが、おぬしらが成長しいつか天寿を全うするその時まで、ワシは共に皺を増やすこともなくこのままなんじゃぞ!」
声が震える。もっと何かをと喘ぐが、自分で言っていてそれが悲しくて辛くて言葉の代わりに段々と涙があふれてくる。
「それでも!だからこそ!その長い長い歩みのほんの僅かな間だけでも、その僅かな時を僕と!僕だけのために下さい!もし、もしもこの手を取ってくれるのであれば、一つ。たった一つだけ、貴方を置いて逝く事だけ許してください」
いつの間にかワシの手を握りしめていた両手は無く、カルンは跪いた姿勢のまま左手を胸の前におき、右手をそっと差し出してくる。
「ワシは…ワシはッ!」
何か答えなくちゃと思っても頭の中は真っ白で、目からは止めどなく涙が、口からは嗚咽しか出ない。
強く強く握りしめたその右手を暖かく抱きしめられていた事にも気付かず、ただ泣き続けることしか出来なかった。




