476手間
緩やかだが険しい高山地帯の岩山、遠くから眺めるならばそれなりに雄大なのであろうが、近くで見ればただひたすらに岩、岩、岩、砂利の寂れた風景だ。
そんな岩山の中を長い月日をかけて人々が行き交ったのだろう、砕け砂になり踏み固められた岩の道を砦へと向けて登っていく。
などとまるで登山家のように偉そうにいったものの、ワシらはただ馬車に揺られているだけで何の労苦も無い。
強いて言えば砂利道故に少々馬車の揺れがきつい位か、それも軽装とはいえ鎧を着こんで徒歩で登っている兵らに比べれば苦と呼ぶのもおこがましいか…。
「ふぅむ、そこそこ登っておるような気もするのじゃが…」
「昨日聞いた様子ですともう間もなくかと」
昨晩はこの山の麓で野営をし、今朝早くから昇ってもう間もなく陽も頂上に昇ろうかというのに、ワシらはまだ頂上にはたどり着いていない。
それも重い食料や武具を運んでいる足の遅い荷馬車の為だろうが、幸い麓から見た限りでは標高もそれほど高く無い様で、アニスのいう通りそれから間もなくワシらは砦へとたどり着いた。
砦内へと入り馬車から降りて目に入ったのは、古い時代の砦だからか灰色の三つほどの巨大なレンガを置いただけのような武骨な背の低い二階建ての建物、それが少々幅の広い峠を塞ぐように建っている光景だった。
この山の岩を削り出して峠を広くしながら作ったのだろう、周囲の山々と同色の砦やその城壁は、遠目からでは山と繋がり同化してここに砦があると見えないのではと思うほど周囲になじんでいる。
そんな砦をきょろきょろと物珍しさに視線を巡らせていれば、砦の兵だろうか案内の者がやってきて長旅に疲れた学院の貴族らを宿舎へと案内し始めた。
一塊となって移動する彼らにならい、ワシらも移動しようかとしたところ別の案内の兵に呼び止められ、恭しく一番大きい建物の中にある少し豪華な扉の部屋へと通された。
その部屋の中は品が良いというよりも実用性と耐久性を重視したような重い家具類に囲まれた、鉄の鎧こそ着こんでいないものの熱い筋肉の鎧に覆われた武骨な砦に相応しい、きちりとした服に身を包んでいなければ山賊の頭領にでも見えそうな男が椅子に座っていた。
「クリストファー様、ようこそこの様なむさ苦しい場所へお越しいただきました。私はエヴェリウス侯爵閣下より、このエヴェリウス侯爵領外縁砦を任されておりますフロスト・ノイマンでございます、畏れ多くも神王猊下より伯爵位を賜っております」
「あぁ、父上より話は聞いている。何でもこのエヴェリウス侯爵領外縁砦を、引いては聖ヴェルギリウス神国を代々護ってのがノイマン伯爵家だと」
「いえいえ、護っているなどとは畏れ多い、父祖から受け継いだこの硬い椅子を守っているに過ぎません」
フロスト・ノイマンと名乗った歳の頃四十といった感じの薄いブロンドの髪と髭を無造作に伸ばした男は立ち上がり、低く落ち着いた声で恭しく礼を取る。
クリスがこの国では彼の家は有名なのだろうか誉めそやせば、彼は叩けば金属音がしそうなほど硬そうな表情を柔らかく崩し砦と同じく、古く丈夫そうな木の椅子の背を軽く叩いて謙遜する。
「クリストファー様、そろそろそちらのお嬢様をご紹介いただいても?」
「彼女はエヴェリウス侯爵の養女となったセルカ、セルカ・エヴェリウス侯爵令嬢だ」
「おぉ、貴方様がそうでしたか。改めましてフロスト・ノイマン伯爵でございます。私めはエヴェリウス侯爵閣下、お父君の部下のようなもの。どうぞお気軽にノイマンとお呼びください」
そういってクリスと話していた時と同じ低く落ち着いた声に優しさを滲ませて、心なしかクリスの時よりも恭しくワシに向かって礼を取る。
「さてお二方とも長旅でお疲れでしょう。いま客室へとご案内させていただきますのでどうぞごゆるりと、何かございましたら近くに待機しております兵どもにお申し付けください」
「配慮感謝する。ところでノイマン伯爵、魔物の襲撃はどうなっている?」
「魔物どもはなかなかの規模でして、その分足も遅い様でもう二、三日は余裕があるかと」
「そうか」
まだ余裕があるとわかったから、クリスはそれ以上聞くことなくワシらは兵に案内され隣同士の客室へと通された。
客室はさすがに貴族を通すだけあって広々とした部屋、壁に備え付けられたカンテラが照らす室内は掃除が隅々までいき届いているのか塵一つ落ちていないように感じる。
「きれいなのは良いのじゃがちと寒々しいのぉ」
「砦ですからどうぞご容赦を」
「それもそうじゃな」
思わず零れた呟きに、ここまで案内してくれた兵が非常に恐縮して謝罪する、ここは砦なのだからこれだけ広い個室を与えられただけ下にも置かない扱いだろう。
落ち着いて部屋の中を見れば何処を向いても天井も床も壁も灰色の石造り、部屋の中央に置かれた少しくすんだ赤の絨毯だけが彩りを添えている。
その他は少し大きめのベッドとサイドチェストにワードローブ、食事などをするためのテーブルと椅子だけのシンプルなものだ。
「それでは私は部屋の外で警備しておりますので、何かございましたら遠慮なくお申し付けくださいませ」
「うむ、ご苦労じゃったな」
「ではお嬢様、私は暖炉に火を入れてまいります」
「うむ、頼むのじゃ」
よくよく見ればこの部屋には窓がない、壁にある数のカンテラの光とアニスが言った通り暖炉にはまだ火が入っておらず、そのせいで余計寒々しく見えたのだろう。
ワシをテーブルの傍につけ暖炉に火を入れに行くアニスの背を見つつ、今この間も近付いている魔物達、さてどうなるかと車いすの背に体を預けもっふりとした尻尾に体を埋めるのだった…。




