467手間
クリスと二人、矯めつ眇めつしつつモルティフェルムの葉の煎汁を飲んでいたら、当たり前だが昨晩煎じたものは全部なくなってしまった。
モルティフェルムの葉の煎汁はマナが少ない人、正確にいうならばマナを生み出す能力が低い人にとっては飲んだら即座に死に至るほどの猛毒。
だが逆にマナを生み出す能力が高い者にとっては至上の甘露であり、猛毒に反比例するかのように良い効果をもたらしてくれる。
ワシの場合元来のマナを生み出す能力は凄まじく高い、既に小さな世界樹と表現しても過言ではないほどだった。
しかし今は封印されマナを生み出す能力は絶無である、例えるならば木の葉に滴る夜露で渇きを満たしているようなもの。といっても小さくても世界樹ほどとなれば夜露の量も馬鹿にはならないが。
そのせいかモルティフェルムの葉にはマナを生み出す能力は無いと判断されたのか猛毒となってワシに襲い掛かっていたらしい、それがあの猛烈な苦みだ。
「という訳での、恐らくじゃが猛毒の正体は急激なマナ中毒ではないかと思うのじゃ、といってもマナを込めたモルティフェルムの葉であってもそれほどマナは含まれておらぬからの、せいぜいマナに耐性の少ない者が昏倒するくらいじゃ。じゃから飲んだ際に何らかの作用を起こしているのじゃろう、それがマナの量が多い者にとっての薬となるのじゃろうて」
「私は薬師でも医者でもないからね、よくわからないが…昏倒するなら十分危険なんじゃないかな。でもセルカには何もなくて良かったよ」
「ある意味毒では無かったのじゃが。ま、本当に毒でも効かぬからの、ワシに銀の食器は不要じゃな」
「ははは…それは何とも頼もしいね」
毒に限らず魂すら縛る契約や呪も無効なのだが、どうやらここではその概念すら無くなっている様で気にするまでもないだろう。
怨み言やおまじない程度には呪の方はあるみたいだが、相手の言動を縛るほどのものは無いので問題はない。
「あ、そうだセルカ。また傷薬を作ってくれないかい?」
「ん? もうなくなったのかえ?」
「最近は騎兵訓練に近いものをやる様になってね、折角だから作るところを見ていってもいいかい?」
この地域は気温が低いから服も露出が少ない、見た目からは判断できないが擦り傷とか多いのかなと思いながら邪魔をしないことを条件にクリスの提案に頷く。
「では早速はじめるかの」
クリスにベッドから車いすにお姫様抱っこで移してもらい、そのまま調合スペースへと車いすを押してもらい、作業中に車いすが不用意に動かないよう車いすの車輪に車輪止めを噛ませてもらう。
尻尾を避けるようにして、クリスは横からまだ何も始めていない調合スペースを見ているが、危ないので少し下がるように手で示す。
「まずは魔石を砕くのじゃ」
机の引き出しの中から人差し指と親指で丸を作ったよりも少し小さい魔石を取り出し、それが五、六個は入りそうな丈夫な麻袋のようなものに入れしっかりと口を縛る。
「それをどうやって砕くんだい?」
「もちろん槌でじゃ、こうするのは砕いた魔石が飛び散らぬようにじゃな」
魔石を入れた麻袋を少し柔らかいまな板のような長方形の木の板の上に置き、侍女に取らせた木槌を手に持ち軽く麻袋に向けて振り下ろす。
バギンとガラス玉を砕いたかの様な音と手ごたえが木槌を通じてきたのを確認する。
トントントンと麻袋の上を均すように叩いていき、大きめの塊があると先ほどより軽く叩いて小さくしていく。
均し砕くを数度繰り返し大きな塊がなくなったのくらいで木槌を侍女に返して麻袋のを口を解き、砕いた魔石を薬研の船形の容器へと注ぎ込む。
「不思議な形の容器だけど」
「うむ、これをな、この取っ手の付いた円盤、薬研車というのじゃがこれですりつぶすのじゃ」
クリスに説明しながら、薬研車をすこしだけ跳ねるようにして魔石を砕き、そこから薬研車前後させゴリゴリと更に魔石を細かくしていく。
「私もそれをやってみていいかな?」
「うむ、もちろんじゃ。これは重いから気を付けるのじゃぞ」
普段雑事に手をつけない貴族だからだろうか、薬研で魔石をすりつぶすことに興味を覚えたのか、ワクワクとした様子でクリスがワシに頼み込んでくる。
ならばとワシは薬研車を机の上に置き、車輪止めを外し車いすを引いてもらいクリスに場所を譲る。
興味津々といった楽しそうな様子で薬研車に手を伸ばし、持ち上げようとしたクリスの動きが驚いたかのようにピタリと止まる。
「えっこれ重っ!」
「うむ、硬いものを楽にすりつぶす為の物じゃからの、それなりに重い必要があるのじゃよ」
「そうなのか…それにしても、これほど重い物を使うとは薬師とは大変なんだね」
「いや、それは一等重くして貰っておるのじゃ」
「それはどういうことだい?」
「ワシは足で踏ん張れぬからの、その分重くして貰っておるのじゃ」
もちろん重い分だけ動かすのが大変なのだが、そこはワシ全く問題がない。
その腕力であれば一般的な薬研車でも十分なのだが、踏ん張りが利かぬ上にワシにとっては一般的な薬研車は綿のように軽いせいで上手く力が入らなかったのだ。
なので養父様に無理を言って、重い薬研車を用意して貰ったという訳だ。
「私には無理だ。しかし……これはあいつの言ってた話も強ち嘘では無いのかもな…」
薬研車を持ち上げることを諦め、両手を上げて降参を示すクリスがぶつぶつと呟く。
後半は普通であれば誰の耳にも入らぬようなかなり小さな声だったが、ワシの耳にはしっかりと入ってきた。
だが本当に小さな声で誰かに聞かせるような話でも無いのだろうと気にせずに、再び車輪止めで車いすを固定して貰ったワシは作業を始める。
「うむ、魔石はこれで良いじゃろう。次は魔石と混ぜ合わせる薬草の準備じゃ」
今度は瑪瑙製の乳鉢と乳棒を薬研の隣に置き、侍女から渡された壺からノコギリソウを取り出して乳鉢の中に入れ、胡麻をするように細かくしていく。
「ここに先ほどの魔石を加えて、混ぜ合わせるのじゃ」
ある程度ノコギリソウが細かくなったら、薬研の船をむんずと掴んでその船首から乳鉢にサラサラと魔石の粉を加えていく。
「混ざったら少し柔らかい木蝋を混ぜ合わせマナを少し加えて完成じゃ」
「そのもくろうってのは何だい?」
「これはの、木の実から作った蝋じゃ。といってもワシも詳しい作り方なぞ知らんがの」
「へぇ…」
クリスと話している間にもぐにぐにと混ぜ合わせ、均等に混ざりきったところで活性化するギリギリまでマナを加えて、ヘラを使い乳鉢の中の軟膏を容器へと移す。
「これで完成じゃな、んむ此度も良い出来じゃ」
「いつもこんな風に作ってたんだね、ありがとうセルカ」
出来立ての軟膏を受け取りながら、とろける笑みを間近で見せながら礼を言うクリスに思わず顔を赤くしながら背けてしまう。
「わ、ワシにかかればこのくらい朝飯前じゃしの、それにクリスのことを思えば全く苦でも無いしの」
「そうだね…そろそろ朝食だろうし一緒に行こうか」
ワシの反応を見て、クリスだけでなく周りの侍女たちもとてもいい顔でニコニコとしている。
そんな視線に晒されて全身くすぐられるようなむずかゆさを感じながら、クリスに車いすを押されて食堂へと向かうのだった…。




