466手間
冷めたモルティフェルムの葉の煎汁は飲みやすかった。
ただ、飲みやすかったといっても煮だしたばかりのアツアツに比べれば…だが。
そんな一杯をようやく飲み干し頃、ノックするや否や返事も待たずにクリスが飛び込むように部屋へと入ってくる。
「セルカ、また髪の毛が変なことになったんだって?」
「確かに変なことと言えばそうじゃが…」
クリスは言いながらつかつかとベッドサイドに歩いてきて、さっと侍女たちが差し出した椅子にどっかりと座る。
「それで、今度はどんな事になったんだい?」
「そうじゃな、見た方が早いじゃろう」
ワシは少し体を捻ってクリスに髪の毛を差し出すかのような体勢にする。
「これ…は? 染料が髪にかかったとかではないよね?」
「うむ、染めようと思うてもこうも見事にはならぬじゃろう」
「それでこれは一体?」
「さぁ?」
ワシはさっぱり分からないと肩をすくめる。
前回は髪から晶石の粉がこぼれるようになった、マナの流れからそれの強化版みたいなものだろうと当たりは付けており、何より原因もはっきりとしている。
しかし、何故こうなったかだけは分からないのだが、それでも悪いことでは無いはずなのでさして気にしてはいない。
「ふぅ……普通は髪の色が変わるのは一大事だと思うんだけれど……」
「慶事じゃったかの?」
「それは男性で白く髪が変わった場合だけだよ」
ワシのあっさり具合に呆れたクリスが、額に手を当てて一つ息を吐いてからワシに向き直る。
「何が原因かもわからない?」
「いや、今回は分かっておるのじゃ、恐らくというか十中八九これじゃの」
指先でモルティフェルムの葉の煎汁が入ったティーポットの蓋をはじく、そのせいで少しヒビが入ったような気もするがきっと気のせいだろう。
「これは?」
「これはのモルティフェルムの葉を煎じたものじゃ!」
「あぁ、聞いたことがある。昔、御爺様がお飲みになったそうで、甘味を入れていないのに甘く何度でも飲みたくなる味だったと」
「え? 甘い…じゃと?」
「うん、随分と病気で堪えていた際の言葉だから、もうちょっと控えめの味だったかもしれないけどね」
「そ…そうなのかえ…」
そういえば、レイロフも今わの際の者がどうせ死ぬのだからと、マナの少ない者には猛毒にも関わらず飲みたくなる味だと言っていたなとふと思い出す。
「ふぅむ、ちと飲んでみるかえ?」
「いいのかい?」
「うむ」
薬として貰ったものだから、試しだけと一口分だけカップに注いでクリスへと渡す。
人間、想像していた味と乖離していた時が一番驚く、甘いと思っていたモノが凄まじく苦かった時のクリスの反応はきっと見ものだ。
クリスには悪いがニヤニヤして眺めていると、煎汁を口に含んだクリスがカッと目を見開く。
「す…すごく甘い、御爺様の話は本当だったのか。なのに蜂蜜のように舌に残ることなくさっぱりしていて、確かにこれは何度も飲みたくなる味だ…」
「なんじゃと…」
「なんでセルカが驚いてるんだい? これほどの味であれば毎日飲む薬であろうと苦ではないね、むしろ羨ましい位だよ」
「いや…その、ワシが飲んだらすさまじく苦いのじゃが」
「変な所を飲んだんじゃないかい?」
「うぅむ、そうなのかのぉ」
もう一度試しにと、今度は二口分注いで先にクリスに一口だけ飲んでもらう。
「どうじゃ?」
「うん、甘くておいしいよ」
「ふむ、ではそこから美味しいのかの」
そこまで味が変わるのであれば、勿体ないが次からは最初の一、二杯分は捨ててしまうかと思いつつカップを呷る。
「にがいのじゃ……」
「えっ」
ダバッと口から思わず煎汁を溢れさせそうになったが気合いで防ぎ、少し煎汁が残ったカップをクリスへと渡す。
「やっぱり…甘いよこれ」
その意図を汲んだクリスが意を決して飲むが、やはり甘いという感想しか出てこない。
「うぅむ、どういうことじゃ?」
「マナが少ない者が飲むと猛毒と聞いたけど…それ以外は特に何もなかったはず」
「うむ、ワシもそう聞いたのじゃ」
「そういえば、マナが少ないってどういう事なんだろうか、体力が落ちてるときもなんかもマナが少ないよね。御爺様はマナが漏れてしまう病の薬として飲んだという話だし、きっとマナの量は少なかったはず」
「ふむ、そういえばそうじゃのぉ」
何を持ってマナが少ないと判断しているのか、体内に有る量でなければ……。
「生み出す量かのぉ。おじいさまとやらは漏れておるだけであれば、生み出す量自体は健康な状態とさして変わらぬはずじゃ」
「なるほど……あれ? でもそう考えると、その生み出すところ? が封じされてるセルカって、マナの量が少ないってことだよね、つまりセルカにとってそれは猛毒なんじゃ」
「お! お嬢様!!! は、早くお吐きください!!」
「ひはひはひは、あっ慌てるでない慌てるでない、ワシに毒は効かぬのじゃ!」
つまり猛毒を飲んだ可能性がある。そうクリスが気付いたのだが、クリスより早く慌てだしたのは近くで控えていた侍女たちだった。
わっと一人がワシに纏わりついたかと思うと口の中に手を押し込んで吐かせようとし、他の者は吐く先である桶やらその後の後始末の用意をするという、慌てているくせに実に用意周到なことで…。
ワシは大丈夫だと吐かせようと喉に手を突っ込んでくる一人を引っぺがし、自分に毒は効かないと言い聞かせる。
「まったく…即座に死に至ると言われる猛毒じゃぞ、なんぞあれば既にワシはぽっくり逝っておるじゃろう」
「も、申し訳ございませんお嬢様。この度の無礼、何卒私め一人に留めて頂き家族には沙汰なきよう……」
「よいよい、ワシを心配してのことじゃから咎める由もなしじゃ」
「お、お嬢様」
今にも地にこすり付けそうなほど頭を下げるワシの口に手を突っ込んだ侍女に、苦笑いしながら何もしないと優しく声をかける。
何せ危険な物を飲み込んだ時の対処としては吐かせるという事は何ら間違ってない、本当に害ある毒であれば彼女の行動は褒められるに値する事だ。
「それにしても直ぐに人が死ぬような毒を苦いって……」
「うむ、恐らくじゃが毒にならぬ者にとっては甘露なのであろうのぉ、つまりあれじゃな…甘露と思うて今わの際に飲んだものはとんだ目に遭って逝ったという訳かえ、うーむ…まさに死人に口なしじゃのぉ」
飲んだものは死ぬほど苦いと警告することも出来ず、残った者は至上の甘露を飲んで逝けたのだと信じる。
確実に死ぬというのが分かっているのに口に含んで味を確認するような酔狂な者も居ないだろうし、何とも不思議なモノだなぁとクリスが呆れ肩を竦めてる横でしみじみ思うのだった…。
 




