458手間
高名な医者である養父様が、血相を変えて飛んできた。それだけで、ワシは余程ひどい病気なのかと覚悟を決めるには十分だ。
ワシはベッドの上で養父様に背を向けるように横になり、見やすい様にと扇状に髪の毛をベッドへと広げ養父様の診断結果を待つ。
今、養父様がどんな顔をしているかを見れずに長々と待つというのは中々に辛い、髪をいたずらに動かさないよう後ろを振り向くことも出来ないので、チラリと窺う事も不可能だ。
どれほど経っただろうか、診断の間ずっと息すらしていないのではないかと思うほど、無言を貫いていた養父様が、諦観とも安堵ともつかぬため息を吐く。
「すまないが…私にはさっぱりだ」
次に聞こえてきた言葉に思わず振り返ると、そこには微妙な顔で肩を竦める養父様の顔。
しかし微妙な顔ではあるものの、そこに死を連想させるような色は無い、少なくとも命に別条はないことだけは確信しているかのような顔だ。
「髪から粉がと聞いた時は心の臓を鷲掴みにされたかと思ったが、これは全くの別物だ」
「髪から粉というのは、それほどまでの病気か何かなのかえ?」
「あぁ、大昔に流行った鉱物毒…鉱物毒というのはね、特定の石に長く携わっていると受ける毒のことでね、髪から粉というのはその一つの症状なのだよ。その症状は、最初に髪から粉が噴き次に灰のように髪が崩れ、最終的には肌までも山肌からから剥がれ落ちる岩のように崩れて腐り、全身から血を垂れ流して死ぬっていう恐ろしい毒でね」
「な…なんと恐ろしい毒じゃ…」
その毒の症状が進行する様子を想像してしまい、ぶるりと身を震わせる。
流行ったというからには沢山の疾患者が居たのだろう、それはそれは恐ろしく悍ましい光景だったに違いない。
「粘銀と呼ばれる粘土のような金属の毒で、発見されて直ぐに物珍しさから沢山の貴族や職人、それを掘り出す鉱夫が手にしてね。それが皆、特に大量に毎日接していた鉱夫が沢山毒に侵されて倒れたんだよ。当然すぐにご禁制に指定され取引や採掘はおろか、知らずとも持っているだけで極刑が下されるくらいにね」
「かなり大事になったんじゃのぉ…」
「粘土のように柔らかいという点以外では、見た目は銀と相違ないからね。暗殺用の毒に用いられる可能性が高かったからご禁制になるのは素早かったと聞いていたよ、その頃の貴族たちは余程暗殺を恐れていたんだろう。いや、それは今はいい、それを思わせる症状だったのでね…違う様で本当に良かった」
「うむ、それはワシも良かったのじゃ」
養父様が語った恐ろしい話はひとまず脇に置いておき、致死の病でないというのは分かったが、養父様はワシの症状について「さっぱりだ」と…つまり分からないと言ったのだ、ならばなぜ養父様はこうも安心しているのだろうか。
「じゃが、なぜ大丈夫だと思っておるのじゃ?」
「ふむ…それだが……」
振り返ったままの少し無理のある姿勢だったことを思い出し、体も養父様に向かい合うようにしてから体を起こし、養父様に問いかける。
しかし養父様は、その答えを出し渋るかのように腕を組み、天を仰いで「うぅむ」と唸る。
「どうせ知ることになるか…歴代の神王がお休みになっている御座所の最奥に、この…セルカの髪から零れる粉と同じ色合いの石碑があるのだよ。この石碑は如何な者であっても傷付けること能わず、唯一初代神王だけが文字を刻むことが出来たという、その様子を伝える一説にセルカの髪から零れる粉と似たような表現が使われていてね、薄緑の鮮やかな水晶から零れる粉は新雪のように清らかで、地へと触れる前に空に溶ける…とね、ならば悪いものでないのは明らかだ」
「な…なるほどのぉ」
そう言えば養父様は、この国の国教である神王教の敬虔な信徒だった…。
話の通り直ぐに溶けてしまうのでワシは直接髪から零れる粉を見てはいないのだが、養父様の話にある薄緑の鮮やかな水晶というのに一つ心当たりがある。
いや、ワシから零れる薄緑の粉という時点で気付くべきだったのだろうが、長いことそれに触れていない生活が続きすっかりと忘れてしまっていた。
「その薄緑の水晶じゃが…ちと待っておれ……」
「うん?」
養父様の反応を待たず、目を瞑り深く息をしてからワシのマナを覆っている卵の殻のように脆く、地層のように分厚い封印を慎重に慎重に削り出し左の手のひらの上に、情けないことに小指の先ほどしかない晶石を作り出す。
「そ…それは……あぁ、正しくそう正しくそれだ、初代様が刻まれた石碑と同じ……」
「ふむ、やはりそうじゃったか」
ワシとしては情けないと思うくらいの大きさしかない晶石だが、よほど感動でもしているのか養父様はぷるぷると震える肩と同じくらい声も震えている。
「実際に現物を見ねば断定は出来ぬが、恐らくその石碑というのはワシが晶石と呼んでおる物じゃな」
「しょう…せき? 一体どんなモノなのだ?」
「実にシンプルな物じゃよ、マナの塊じゃ」
「マナの塊だと?」
養父様の目は今にも落ちそうなほどに見開かれ、同じくらい口もあんぐりと開け分かりやすい程に驚愕している。
「超高濃度のマナが集まるとこの様に結晶化するのじゃ、この辺りはマナが薄いからのぉ…無いと思っておったのじゃが……」
「セ…セルカはそれを生み出せるのかい……?」
「うーむ、今はこれが限界じゃの。量産などは不可能じゃ」
左手の中でころころと転がす晶石を追って、養父様の目がくるくると回りながら興奮した様子でそう言ってくるので、思わず苦笑いがもれる。
シン皇国の女皇にあげてきた、あの巨大な紅い晶石を見たらひっくり返るのでは無いのだろうか、などと詮無いことを考えてしまう。
「量産など畏れ多い、となると…セルカの髪からマナが溢れているという事か…」
「ふむ、しかしマナが抜けておるような感覚はないのぉ、それに髪も尻尾も普段通りの手触りじゃしどういうことかの?」
「先ほども言ったがさっぱりだ…とりあえず、髪を梳かねば零れぬようだし今のところ何の症状も無いのならしばらくは普段通りでいいだろう、もちろん何かあったらすぐに対処できるよう使用人や侍女たちにはしっかりと言い含めておく。だが三日ほどは様子を見る為に休むように」
「うむ、わかったのじゃ」
致し方ないこととはいえまた三日も急に休んだら、病弱な深窓の令嬢扱いされてしまう、実際は戦場で暴れまわるくらいの者なのだからなんだか騙している様で悪いような気もする。
そんな風に思考が明るい方にむいたものだから、髪をかきあげたらキラキラと輝く薄緑の光が舞い散るのは、なかなか綺麗なのでは? と呑気なことも思ってしまうのだった…。




