448手間
ガタンッという振動で目を覚ますとそこは馬車の中だった。
寝る前と違う光景に寝ていた体を少し起こし、耳をピクピクと動かして警戒する。
しかしすぐに目の前にアニスが座っているのが目に入り、安心してもう一度体を横たえようとして頭を置いた枕の硬さに首を傾げ何を枕にしているのかとペタリと手を当てた瞬間、目の前にクリスの顔。
上から覗きこんでいるクリスの姿勢で枕の正体に思い至り体を起こそうとするが、クリスの手で優しく制される。
「そのままで、初めての乗馬で疲れたんでしょう」
「いや、乗馬は初めてではないんじゃが……あんな乗り方をしたのははじめてじゃの」
確かにアレは別の意味で疲れたと思い出して顔を紅くする。
それにしても精神的なものは兎も角、肉体的な疲れに対しても人並みになってしまったかとため息をつく。
前ならば三日三晩、いや一月でも不眠不休でいけた自信があったものだが…。
「もう少しで着くけれど、疲れているなら寝てていいよ」
「うむ、そうしようかの……」
ワシのため息を疲れからのものと思ったのか、クリスがワシの髪を優しく撫でながら言う。
ため息の原因は違うが、疲れているのは間違いないのでお言葉に甘えてクリスの膝枕でもうひと眠りすることにする。
屋敷に着いたら起こしてもらえる、そう思っていたのだが…ワシが次に起きた時は屋敷のベッドの上、しかもどうやら気を利かせたのか着替えまで済ませられていた。
更にタイミングがいいことに、目を覚まし意識がはっきりしたところでノックの音が響いてきた。
「起きておるのじゃ」
「失礼します……」
入ってきたのはアニスと侍女数名、ワシの着替えなどは複数人で行われるので時に気にもしていなかったのだが、なんだか皆そわそわしているような感じを受ける。
「お休みのところ申し訳ございません、お着換えをしていただきたいと」
「ふむ、それは構わぬが……」
今着ているのは寝間着なので夕食を食べるなら着替えないとダメだろう。しかしやはり様子がおかしい…緊張し気合いが入っているというか、飾り立てねばという気概すら感じる。
「何かあったのかえ?」
「はい、クリストファー様の父君、ヴェルギリウス公爵閣下がお見えになっております」
「なんじゃと! そんなことワシはちいとも聞いておらぬが」
「どうやらお忍びということで、先ほどご到着なされたようです」
公爵といえば国にもよるだろうが、大体は王族が臣下した身分…要は王族に次ぐ地位のある家。
それがお忍びとはどういう事だろうか。いや喧嘩した息子に会いに来たというのであれば全く筋が通らない訳でもないが…なぜワシも着替える必要があるのだろうか?
しかし、よくよく考えたらこの屋敷は公爵家所有、そこにワシは居候させてもらっているのだから挨拶するのは当然かと、アニスたちがワシを着替えさせるに身を任せる。
「お嬢様お綺麗でございます」
「うむ…」
着替えさせられたのはナイトドレスほど煽情的ではないが、Aラインの少しのフリルが可愛らしさを演出する落ち着いた空色のドレス。
その胸元には当然とばかりに、クリスから送られたレギネイのブローチが輝く。
身支度を終え、ヴェルギリウス公爵が待っているという客間に向かいながら、あの王子様のようなクリスの父親とはどんな典麗な人物だろうかと少し緊張する。
そしていよいよ客間へと到着し、扉を開け目に入ったヴェルギリウス公爵の姿の第一印象は、正しく王様と表現するに相応しい姿だった…。




