445手間
何か新しいモノを作ったら、早く試したくなるというのが人情。
心情的には飛んで帰ったつもりだが、実際はいつも通りにのんびりと帰宅した。
「クリスは帰ってきておるかの?」
「いえ、クリストファー様はまだご帰宅されておりません」
「そうかえ、ではここで待つかの」
「お嬢様、流石に玄関では…」
返って来るなり出迎えてくれた使用人にクリスが帰宅しているか聞いてみたが帰ってきていないという。
ならばと玄関でクリスの帰宅を待つといえば、アニスから待ったがかかる。
「ここは肌寒くございます、また体調を崩しお風邪を召されては…クリストファー様がご帰宅されましたらすぐにお呼び致しますので」
「むぅ、確かにそうじゃな」
車いすだからどこでも座っていられるとはいえ、そこが快適かと言えば否だろう。
室内とはいえ暖炉がないので玄関は肌寒い、しかもワシはついこの間まで臥せっていたのだ苦言を呈されても当然だろう。
アニスの言葉に駄々をこねることもなく部屋に戻ることしばし、使用人の一人がクリス帰宅の知らせを持ってきた。
「ただいまセルカ。セルカが私を呼んでると聞いてきたのだけど」
何故か嬉しそうな本人を添えて。
「おかえりなのじゃ」
ワシが声をかけるとニコニコと、すぐにベッドサイドの椅子へとクリスはいつも通り歩いていく。
それに合わせワシもベッドの上を転がってベッドの縁へと移動する。
「それで、何かあったのかい?」
「うむ、クリスや、怪我はしとらんかの?」
「怪我? いや、それらしいのは…せいぜい手綱が擦れたくらいかな」
そう言ってクリスが両掌を開いてワシに見せてくれた。
確かに手のひらと指先の方、手綱を握る際に振れる場所が少々擦り傷になっていた。
「おぉ…痛そうじゃのぉ」
「ま、この位はね」
「何にせよ丁度良いのじゃ、ワシが薬学部に入ったのは知っておるよな?」
サイドチェストの上に乗せてある、軟膏が入った器に手を伸ばしながらクリスに問う。
「そこで傷薬を作ったのでの、クリスが擦り傷やら作ることが多くなったと聞いたからのぉ、持って帰ってきたのじゃ!」
「私の為に?」
「うむ」
ワシが頷いた途端、パッと花開くどころか背後に花でも咲き乱れるのではないかと思うほどの笑顔をクリスが見せる。
その笑顔にワシもつられて頬が熱くなるほど嬉しくなってしまう。
「ほ、ほれ。手を出すのじゃ」
「はい」
クリスが両手を差し出すと、ワシも器の中の軟膏を人差し指で掬い取りレイロフに言われた通り、軟膏にマナを送ってからクリスの手のひらや指先に優しく塗っていく。
ワシのマナを受けて暫くキラキラと光る軟膏は暫くはこのままだろう、この状態はレイロフ曰く薬効が活性化した状態でよく効くようになるそうだ。
しかし無理やりマナで薬効を引き出している状態でもあるので、活性化が収まった後は劣化が著しく素早く洗い落とすのが良いそうだ。
「なんだかよく効きそうな気がするよ。ありがとうセルカ」
「どういたしましてなのじゃ。とりあえずこれはクリスに渡しておくからの、怪我せぬ方が良いとはいえ遠慮なく使ってほしいのじゃ」
「あぁ、ありがとう。ふふふ、これであいつにまた一歩」
「む? アイツ?」
ワシの手から軟膏の容器を受け取ると、なぜだか勝ち誇ったかの様にクリスが言うので、首を傾げて尋ねてみる。
「あぁ、ちょっと…そう競っている人がいましてね。どっちが上手くいくかと、まぁ当然私の方が何歩も先に行ってるけどね」
「そうかえ、ライバルが居るのは良いことじゃ。じゃが怪我をせん程度にの?」
恐らくは乗馬の技術で競っている人物がいるのだろう、青春だなぁなどと思いつつ。非常に珍しい勝ち誇ったクリスの横顔を微笑ましく見守るのだった…。




