444手間
先日、晴れて薬学部に入部し調剤をする日々だ。
当然ワシに薬学の知識など無いので今のところ指示された通りに調剤したり簡単なモノを教えてもらう程度だが。
「まずはこの乾燥させたノコギリソウを細かく砕いて、そこに薬研で砕いた魔石の粉を混ぜ合わせるんだ。混ぜる時は乳鉢の方を回すと上手くいくよ」
「ふむふむ」
カチャカチャカチャと空色に薄雲の様な淡い色が美しい瑪瑙の乳鉢にその名の通りギザギザした葉っぱが特徴的なノコギリソウを入れ砕く。
そこへ薬研 ―細長い船の様な容器に、円盤の中央に持ち手が付いたローラーがセットとなった道具― で砕いた魔石の粉を言われた通り乳鉢へと投入していく。
この魔石の粉であるがカカルニアでは魔石を砕く方法すら秘術となっていたが、こちらの魔石は純粋にマナが魔物の体内で結晶化したものではない為だろうか、簡単にハンマーで砕け薬研で粉にすることが出来た。
「そうそう、しっかりと混ざったらそこに羊毛蝋を少しずつ混ぜながら加えるんだ。その際に同じく少しずつマナを混ぜると貴族用の傷薬になる、混ぜなければ平民用だね」
「なるほど…」
レイロフの話に耳を文字通り傾けつつ真剣に乳鉢の中に少し温めて柔らかくなったラノリンを混ぜ、言われた通り少しずつマナを混ぜつつ撹拌する。
今学んでいるのは薬学の基礎中の基礎、そして最も頻繁に使われるであろう傷薬の作成である。流石に大怪我には効かないが擦り傷、切り傷に効果的という。
作る際のマナを込める工程であるが、これをする事によって保存期間が大幅に伸びるという、マナが多い者ほど寿命が長いのと同じ原理だろうか?
貴族用とレイロフが言っていたのは別に差別という訳では無く、マナが多く含まれている者は耐性が低い者には毒となる、そして貴族は総じてマナへの耐性が高いため問題なく使えるからだ。
当然貴族の中にもマナの耐性が低い者が生まれるが、貴族社会の中ではそういう者は恥らしく余程の才が無い限り良くて一生幽閉、最悪……。
お蔭で貴族はマナ耐性が高くなり、魔導器の補助と地域のマナの多さに依ってとはいえ魔法まで使えるのだ。
「うんうん、上出来だね。マナの具合も綺麗だ、下手にマナを加えると魔石の粉が光りはじめて品質が落ちてしまうんだが、それも無い」
「これで完成なのかえ? 意外と簡単にできるものなのじゃなぁ」
「一番簡単なものだからね、手間のかかるものとなると煮だして乾かして、さらにそれを砕いてまた煮だしてを繰り返したりする」
「うへぁ、それは手間じゃのぉ…」
「おかげでここに入ってくれる人が殆ど居なくてね…」
ふうっとため息をつくレイロフを横目に、彼には悪いがワシも本気で薬学を学びに来たわけでもないので、曖昧な笑いで返しておく。
やはり貴族も平民も、子供というのは華やかなものにあこがれる。
ワシが他の者に聞いた限りでも、令息はクリスと同じく乗馬や騎兵などの体を動かすもの。令嬢はダンスやワシが見たようなお茶会や刺繍や音楽など。
もちろん魔法を主に教える学院として、魔法に関連する部活もあるがそれはもっと上になってからしか入ることが許されていない。
それらに比べれば飾り立てるのも不可能なほどに、この薬学部というのは地味だ。せいぜい瑪瑙の乳鉢くらいだろうか。
これも貴族の財力だからこそ手に入る高級品ではあろうが、飾り立てる宝石としての瑪瑙ではなく実用品の鉱石としての瑪瑙。
だからだろう、彫刻も何も無く八角形の厚くずっしりとした塊の中央をくぼませただけの乳鉢は、言われなければ加工前の原石かと思うほどだ。
「さて今日は此処までです、明日から私は所用で暫く学院は空けますのでお休みにします」
「む、そうなのかえ…いつ帰ってくるか分かるかの?」
軟膏の傷薬を手のひらに乗るくらいの小さな丸い器に移し、道具やらの後かたずけをしたところでポンとレイロフが手を打ち、今日の部活の終了を告げる。
レイロフは学生ではなく研究者として残りその傍ら学生に教えているような状況らしく、要するに顧問というやつでたまにこうやって学院の外へと出かけていく。
今回はそれがどうやら長いらしく、実に申し訳なさそうにレイロフは頭を下げる。
「さてそれは先方次第なので何とも。とはいえただお休みにするのも申し訳ないと思いまして、エヴェリウス侯爵閣下にセルカ様の調剤道具一式をご用意して頂けるよう先日申し上げておきました。ただし先ほど教えた傷薬以外は作らないよう、薬はそのまま毒ともなりますので」
「その点は重々承知しておるのじゃ。うむ、帰っても傷薬を作って精進するのじゃ」
「先ほど見た限り傷薬であれば御身内の方に限りお渡ししても大丈夫なモノかと存じます」
「ふむ、ではクリスにでもあげようかのぉ」
魔石の粉が入っているからか、ラメ入りのクリームの様に輝く器に入った軟膏を見つつ、最近掠り傷を手のひらなどに付けることが多くなったクリスを想う。
そんなワシをアニスやレイロフが微笑ましく見守ってることに気付くことなくキュッと軟膏が入った器の蓋を閉めるのだった…。




