432手間
突然ではあるが、学び舎を舞台とした恋愛物語のヒロインと言えばどんなものだろうか。
私見の王道ではあるが、可愛らしいや綺麗は大前提として、平民出だったり男爵などの低位貴族もしくは没落貴族などだろうか。
何にせよ分かりやすくこれ見よがしにバカにされやすい身分、そしてファンタジー要素があれば特別な力を持ってたりすることも多いだろう。
そしてヒロインが居るのであればお相手役が必要になる、こっちはどんな人物だろうか。
文字通りの王道で王子様、これは言うまでもないだろう。何にせよ容姿、身分、資質全てに置いて高い者たちがお相手役なのは間違いない。
まさにワシとクリスである、ワシはこの国に限って言えば今でこそ侯爵令嬢ではあるが養女で平民の出であるしクリスは文句なしの王子様な公爵令息。
物語であればここに悪役令嬢が出張ってくるわけだが、実際にそんなことをしてくる者がいる訳がない。
衣食足りて礼節を知る、金持ち喧嘩せずとはよく言ったもので、内心どう思っていようが実際に行動に移せば咎められるのは自分、そして子供とはいえその様なことをした際に家にもたらされる様々な問題も理解しているのであろう。
「と思っておったのじゃがのぉ…」
「何をブツブツ言っているの? 所詮はまともに喋れない犬畜生ということかしら」
「狐なんじゃが…」
何が「所詮」なのかは分からないが、実に分かりやすい侮蔑の言葉である。
狐と犬を間違えるこの度し難いお嬢さんは、見た目も実に分かりやすい悪役令嬢である。
流石にドリルみたいな髪型はしてないが、腰まであるくすんだブロンドの髪をこれでもかとウェーブさせ、藍色の瞳は意地悪く吊り上がり、口元は皮肉げに歪められている。
着こんでいるドレスはこれから舞踏会にでも行くのかと思ってしまうほど豪奢なモノ、サテンの様に滑らかであるがどうやら木綿で作られたモノをサテンの様になるまで何度も何度も着たもののようだ。
もちろんそれ自体は悪い事では無いし、むしろ物を大切にしていると褒めるべきところだろう…。
だがそれも彼女の態度で台無しだ、獣人であるワシを見下し平民の出であることを嘲り、養父様に取り入って養女になったのだろうと侮蔑する。
「その胸でお次はクリストファー様を誘惑しているのかしら?」
「はぁ…今であればこれまでの暴言、戯言と流してやるからさっさとワシを返すのじゃ……」
ワシが窓越しの陽気にうとうとし、クリスと侍女が目を放した一瞬の隙に連れ去った手腕は見事という他ないが、子供の癇癪の様な茶番に付き合うほどワシは寛容ではない。むろん我が子であれば叱って矯正してやるところだが。
先ほどから私こそクリストファー様に相応しいだのと宣っているが、「現実を見ろ」と何度口から悪態を吐きかけたことか。
ワシが美人でスタイルが良いことは否定しない、何せ文字通り女神が創りたもうた美なのだから。対する彼女もカサンドラと言うらしい男爵令嬢も決して不美人ではない。
平々凡々特に美人でもないが醜くも無い、かといってはっと目を見張る部分もない。相応の格好をすればモテモテとは言わないまでも愛されるであろう見た目。
しかし、無理にしている華美な服装や髪型と言動が、醜くない彼女をひどく醜く見せている。
「それは出来ない相談ね。貴女が自分の非を認め、クリストファー様を私に捧げれば考えなくもないわ」
「非とはなんじゃ非とは。それにおぬしの物言いは公爵家を軽んじておる、今であればワシの胸の内だけに留めておいてやるから、反省し身の丈に合った行動をせい」
「あら、奴隷風情がなにを言っているのかしら、私が公爵家の嫁になる、これ以上私の身の丈に合ったことはなくってよ?」
「はぁ…」
先ほどからこんな調子で宣い続け、褒められるのはワシに手をあげてない事だけではないだろうか。
先ほどから自分こそ相応しいなどと言ってるが、彼女の実家は十束一絡げの貧乏貴族、暮らし向きが良くならないのは国がまともに評価してくれないからだとか何とか。
ワシとしては彼女の家のことなど知った事では無いし、彼女の口から語られること以上は知らないので何とも言えないが、これが以前クリスだったか養父様だったかは忘れたが、よほどのことがないかぎり爵位を取り上げられない弊害であろうか…。
余程のこと…後継ぎが居なかったり一家全員死に絶えたり、他には重罪を犯したり例えば、高位貴族の者を拉致したりなど…。
「全く…素人の芝居でももう少し捻ったことをいうものだが…」
「む? おぉクリスではないかえ、よくここが分かったのぉ」
ここは校舎の影、人も通らぬし彼女も話すばかりで手を出す様子もなく、どうしようかと何度目かのため息をついた時、呆れ果てた様子のクリスが建物の影からやってきた。
「まぁ…初めから見てたし」
「ならばもうちょっと早く助けにき――
「クリストファー様!」
クリスが聞き捨てならないことを言い、それに文句をといったところでワシの言葉を遮って語尾にハートマークでも付きそうな声音でカサンドラが実にこびた様子でクリスへと擦り寄る。
何故だろう、今まで特に腹立たしいなどとすら思わなかった相手なのに途端に不愉快に感じ始めた。
「セルカを侮辱し、我が公爵家を軽んじる様な者に呼ばれる名は無い」
「クリストファ……」
「呼ぶなと言ったのが分からなかったのか?」
クリスは擦り寄る彼女を手で制し、見たことも無い冷ややかな目と声音で言動すら抑える。
「全く…セルカの優しさを踏みにじるとは度し難い、連れていけ!」
「はっ!」
クリスが怒りを滲ませて命を下すと、クリスと同様影で控えていたのか学院の警備の者がカサンドラをひっ捕らえてどこかへと連れて行く。
捕まえられ連れていかれる彼女はもっと喚くかと思ったが、クリスに冷たくあしらわれたのがショックなのか、それとも屈強な警備の者に怯えてるのか大人しく連れ去られて行ってしまった。
「すまないセルカ…」
「いや…まぁ、学院内でこの様なことになるとはワシも思っておらんかったしのぉ…しかしなぜ最初から見ておったのであればさっさと助けに来てくれんかったのじゃ?」
「んー、まぁセルカならいいか…。実は最近彼女の様な低位貴族が街で問題を起こしているのだけれども、問題と言っても分を弁えているのか小心なのか分からない処罰するには少々弱い事ばかり、住民の苦情だけでは名ばかりとはいえ貴族を罰するには足りなくてね、そこに彼女が出てきたってわけ、もちろん手を出すようであれば即座に出て行ったけどもすぐに出なかったのはキッチリと彼女の罪状を確定させる為だったんだけどねぇ、文句を言うばかりで手は出さないそこは評価できるがやったことは立派な誘拐だ」
「つまり?」
「低位貴族を…いや高位も含め貴族を取り締まる法を作るための取っ掛かりにね」
「ふーむ、ワシは深くは知らぬから何も言えぬが……クリスの役に立てたのならば良いのじゃ」
よく分からないがクリスの役に立てたなら、三文芝居を見せられた甲斐もあったと言うものだ。
後日クリスに聞いた話だが、彼女の家は彼女を学院に入れる為に相当無理したらしく沙汰を下すまでもなく借金奴隷として身売りされ、お家取り潰しとなったらしい。
この事があったかからかは判断が付かないが、その後はワシにちょっかいを出すような者も居らず、目下の悩みはクリスとカルンの仲が悪い位という平和な学院生活をしばし送るのだった…。




