417手間
シンの静まり返った室内に、カチャカチャと小さく食器がたてる音だけが響く。
ここはワシの部屋がある城の三階にある身内向けの食堂、身内向けといっても無駄に華美な装飾がないだけで高級そうな家具や絵画で飾られた広々とした部屋。
部屋の中央には縦にそれぞれ十人ほど、横には二人ずつそれぞれが余裕をもって食事できるほど大きなテーブル。
その横と縦の角にエヴェリウス侯爵とワシが、お互い斜め前に向き合うように食事している。
「のう…」
「………」
「エヴェリウス侯爵や…」
「………」
ワシが声をかけるたびにエヴェリウス侯爵は、ちらりとこちらを確認するように見るが決して口は開かない。
これは決してエヴェリウス侯爵がワシに意地悪してるわけでも、食事中は話しかけるなという訳でもない…彼は待っているのだ。
待っているモノを知っているワシは、ふぅ…とため息を小さくついてからそれを口にする。
「養父様」
「なんだいセルカ」
ワシが養父様と呼びかけるだけで、先ほどまでの老紳士然とした引き締まった顔を、初孫を愛でる老人のようにデレデレと緩めている。
「そんなに嬉しいのかえ?」
「もちろんだとも。息子の嫁は書類上は私の娘になるが、やはり息子の嫁は息子の嫁だからね。その息子夫婦も子爵位を得て戻って来るとはいえ、今は孫と共に別の街で暮らしているしね。当主としては諸手を挙げるほど喜ばしい事だが子も孫も皆男子だけでな、昔から娘か孫娘を持つのが夢だったのだよ」
「じゃからといって呼びかけを無視することは無いじゃろうて」
「何を言ってるんだい、セルカも今やエヴェリウスだろう。ともに働く者たちの口から娘の話を聞く度に、内心奥歯をかみ砕く思いだったがそれもここまでだ…」
エヴェリウス侯爵がいう通り、ワシは正式にエヴェリウス侯爵家の養女となりセルカ・エヴェリウスとなった。
一般家庭の養子では無く、貴族の養子なので諸々の手続きが面倒なものとなると聞いていたのだが、この様子だとエヴェリウス侯爵はかなり強引にねじ込んだのではないだろうか。
娘を持つのが夢だったとはいつぞや聞いた何とも懐かしい夢だが、決して軽んじている訳では無いだろうがまだ見ぬエヴェリウス侯爵の息子と孫が哀れでならない。
「それでエヴェ…養父様、王国の方はどうなっておるのじゃ?」
「それかい? それについては安心したまえ、非公式な会談ではあるが双方合意の上に和睦が決定している。怪我人や、魔導器に被害はあった者の死人が出なかったのも良かった」
エヴェリウス侯爵はデレデレとした顔を引き締め伝えてくれたに、戦が再開されることは無いと分かってほっと息をつく。
「ほほう…それはこの国の王も納得しとるのかの?」
「猊下は臥せっているからね、国務はいま公爵閣下に一任されている。実は公爵閣下は中立を謳っているが穏健派寄りでね、私や穏健派の者はこれを機に神と王の権利を分離しようと思っている」
しかしそこで気になるのは急進派の者たち、それらが矛を収めてくれるのだろうかと心配になる。
だが、その心配は杞憂だったようだ。急進派とは名ばかりで、功を焦った神王の太鼓持ちばかり自分たちで何かする気概というか力がない者たちだという。
「急進派といっても数が多いだけでそこまで影響力は無いのだよ。その殆どが子爵や男爵などの低位貴族で一番上も伯爵だ、敬虔な…いや狂信的な神王教の者たちばかりだからね、猊下の言葉なく行動を起こすことは無いだろう。とはいえ数が多いから一掃することも出来ない、ならば隔離してしまえとね、神には我が国の象徴となってもらい政治とは切り離す、民には神にばかり負担をかけるのは良くない我々を見守ることに専念してもらうと、そう言えば大半の者は歓迎してくれるだろう」
「そうかえ、その話は一先ず置いておいて、会談でワシのことは何か言うておらんかったかの?」
「あぁ、もちろん即刻帰国させてくれと要請されたが、友好の第一歩として侯爵家の養女として迎え入れるとね、向こうもそれを渋ってきたがもう一つ友好の証として此方の学院に留学生をといったとこを向こうの王太子殿下が大層乗り気でね、セルカと一緒に入学する手筈になっているよ」
「おぉ、カルンもこっちに来るんじゃのぉ。それにしてもよくそこまで話がまとまったのぉ?」
不倶戴天とまではいかずとも、仲の悪かった国へ大事な大事な王太子殿下を送るのだ、いったいどんな心境の変化があったのだろうか。
「セルカ、君が居れば大丈夫だろうと、向こうの国王も王太子殿下も考えているとの話だったよ」
「今のワシにそんなことを期待されてものぉ…」
ワシが居れば何があっても大丈夫と思っているのだろうが、今のワシはただのか弱い乙女である、何か緊急時の備えとして考えられても困る。
「もちろん王太子殿下の安全は公爵閣下が責任を持って保証してくださる。公爵閣下が猊下より国務を任されている以上、公爵閣下のお言葉は猊下のお言葉と同等…急進派が猊下を信奉している限り安全は保障されているようなものだよ」
「ふーむ、自縄自縛というわけじゃの…」
猊下の為に動きたいが、猊下の言葉が無いと動けない。猊下の為に動きたいが、下手すれば猊下の言葉に背く事になると…。
信仰心が強いからこそのジレンマというやつであろうか、何にせよ信仰心が強ければ強いほど、下手にカルンに手を出す者は居ないという事だろう。
何にせよしばらく会えぬと思っていたカルンにまた会えるのだ、これは楽しみだと入学までの間、上機嫌で過ごすのだった…。




