407手間
ベッドの縁に座るワシの目の前にエヴェリウス侯爵、その斜め後ろに控える様に佇むアニス。
二人の表情は正反対で侯爵は毅然とした、アニスは今にも泣きだしそうな、けれども二人から感じるのは同じ雰囲気で話し難いことをいまから話すといった感じだ。
二人の背後にも侍女が何人か控えているが、みな力尽きたねじ巻き人形の様に俯いてその表情はうかがえない。
「私がいまから伝えることは、嘘偽りのない真実だ。しかし、決して早まったことをしたりしてはいけないよ」
「う…うむ……」
エヴェリウス侯爵が意を決したかの様に開いた口から出てきた言葉は、判決を告げる裁判官の様な重苦しく、そして幼子をあやす父親の様に穏やかなもの。
その常ならぬ雰囲気に、ごくりと唾を飲みこんで続きの言葉を待つ。
「……一生……かどうかは分からないが、君はもう歩くことが出来ない……」
「どういうことじゃ!」
声を荒らげ、思わず立ち上がってしまったのも当然の反応だろう。
エヴェリウス侯爵に詰め寄ろうと一歩踏み出した筈が、ふらりと体が前方へと倒れこんでしまう。
恐らくワシの行動を予想してたのだろう、お辞儀をする角度よりも浅いところでアニスとエヴェリウス侯爵の二人に肩を抱えるような形で優しく受け止められた。
たったそれだけで今しがた言われたことは真実であり、紛れも無い現実だと理解してしまった。
立ち続けようとしても足に上手く力が入らず、まるで歩き方を忘れてしまったかのように一歩踏み出すことも出来ない。
確かに素足で踏みしめている筈である絨毯の感触はまるで厚い革越しの様におぼろげだ。
「どういう…ことじゃ……」
二人によってゆっくりといたわる様に再びベッドの縁に座らされた口から漏れるのは同じ言葉。
しかしそれは先ほどと違いか細く、泣き声のように震えていた。
「恐らく…ではあるのだが、君が外に出ようとした際に整備用の魔導器の影響を強く受けたためだろう。マナが下半身不随の者と似たような形に固定化されてしまっている、それで歩けなくなったのだ」
「これは…一生なのかえ?」
「流石にそれは分からない。前にも言ったがそもそも整備用の魔導器の影響を受ける人は居ないのだ、同様の症例が無い上にそれが重なったとなれば尚更。そもそも貴女の場合暴走状態の魔導器すら足元にも及ばない程のマナがありそれが固定化されている。私はこれでもそのマナの流れなどを弄って体調を整えるという方法も医者としてとっていたのだがね、貴女の場合はまるで轟々と流れる大河にティースプーンだけで何かしようという様な状況で……要は私ではお手上げという事だ」
「つまり…その固定化とやらを何とかすればよいのじゃな?」
「理論上は……そうだね」
多分ではあるが足にマナという血流が回ってない状況ということだろう、それを元に戻せば再び歩けるそれだけで沼に沈み込むようだった気持ちが僅かにだが上向きになる。
だが容易に手を出せば固定化されたマナの内側にある、パンパンに膨れた風船のようなマナが破裂する恐れがある、早くカルンらの下に帰りたいところだが業腹ではるが慎重にことを進めねばなるまい。
何せ急いてこの様な状況になってしまったのだから同じ轍を踏むようなことはしてはならない、それこそ本当に歩けなくなるばかりか寝たきりになってしまうかもしれない。
「兎も角だ…貴女をそんな風にしてしまって言うのも何なのだが…軟禁しておく理由も消えたのだ。この城内を侍女と護衛を連れていれば自由に動き回ってもらってかまわない」
「この足でかえ?」
誰でもそう言わざるを得ないだろう、当然返された言葉にエヴェリウス侯爵は心臓を刺されたかのような沈痛な表情で一言消え入りそうな大きさで「すまない」と呟いてからパンパンとその手を鳴らす。
すると部屋の外からガラガラと、いつも食事などを載せているワゴンとは別の物を押して侍女が一人入ってきた。
「奇妙な椅子のように見えるだろうが、これを使えば動き回ることが出来る」
「ほう…」
入ってきたのは車いすといっても車いすと聞いてパッと思いつくような、大きな車輪を自分で回して動くようなものでは無い。
貴族が座る様なクッションが備え付けられた豪華な装飾の付いたひじ掛けのある椅子を、車輪が付いた板に乗せたかのような誰かに押してもらうこと前提の原始的なモノ。
「女性のこのようは不便な思いをさせるのだ、医者としても侯爵としても男としても最大限の配慮をすると約束しよう」
「いいのかえ? ワシは敵国の者じゃぞ?」
「その辺りは、うむ……追々話すとしよう。今は休みたまえ」
ワシがそれほど取り乱すこともせず話を受け入れたことにほっとしたのだろうか、常の調子を取り戻したかのように話す侯爵が部屋を辞する。
「これからは私含め常にお部屋に侍女を控えさせるようにいたしますので、どの様な些事でも構いません何なりと私どもにお申し付けください」
「うむ、とりあえず今は侯爵のいうたように休むかのぉ…」
ワシの不安を払しょくするかのようにニコリと微笑むアニス。
彼女にベッドの中央に運ばれる僅かな間に忘れて久しい疲れたという感覚に襲われ、アニスの腕の中でくぅくぅと寝息をたてはじめるのだった…。




