405手間
ベッドの縁、落ちない程度の場所に仰向けに横たわり、天井から吊るされたシャンデリアをじーっと眺める。
ちらりとそこから視線を移せば黒い長方形の板を顔に張り付けたエヴェリウス侯爵…もちろんプライバシーがどうたらという訳では無い。
黒い長方形の板に鼻をかける凹みだけを入れ、耳に引っ掛けるだけの簡素な鉤爪状の棒が両端に付いたそれは、実に原始的なサングラス。
当然これはオシャレの為という訳では無い、むしろこれをオシャレと言い張るならワシはそのセンスを疑わねばならない。
端的に言ってしまえばワシの診察の為だ、どうやら彼はマナを光源として認識している様で、要するに見るマナが強ければ強いほど光輝いて見える。
だから、ワシを診るためにサングラスをかけているのだ。
「今日の診察はこれで終わりです、とりあえずこれで……」
「ワシは…ねるのじゃ…はなしはあとできくぅ」
「ふぅ…ではアニスから後で話を聞く様に…。アニス、彼女を真ん中に戻してやりなさい」
「かしこまりました」
ギッとベッドの縁に膝を乗せたアニスが、両手をワシの下に差し込むようにして持ち上げそのままベッドの上を膝立ちでゆっくりと移動している。
意外と力があるのだなぁと、うつらうつらとした頭の片隅でぼんやりと考えると、そっと割れ物でも扱うかのように降ろされたのでゴロンと横を向いて寝に入る。
何せ先ほどまで仰向けだったせいで自分のふかふか尻尾を敷物にしていた、おかげで診察中ずっと睡魔との辛い闘い…それがいま終わったのだ。
何やらごちゃごちゃとアニスとエヴェリウス侯爵が話し合っているが、聞き耳を立てることすらできず代わりにワシはくぅくぅと寝息をたてはじめる。
「ふぁああ……ふむぅ、むぅ……」
「申し訳ございませんお嬢様、起こしてしまいましたか」
「いや、自然に起きただけじゃからのぉ…」
寝ぼけ眼をこすりながら体を起こせば、アニスたち侍女がちょうど食事の準備をしているところだった。
お肉が煮込まれた良い香りが鼻先をくすぐるが、彼女たちが食事の準備をしているということは間もなくアレが来る。
ぺしょりと耳を後頭部に向けて畳んで、さらに手を乗せて耳を塞ぐ。
そしてダメ押しとばかりに、所謂女の子座りと言われる体勢から膝を抱える様に丸まって尻尾を体にぴったりとくっつけて、外から見ればまるでベッドの上にふわっふわなお饅頭でもあるかのよう。
その御饅頭の中、いつでも来いと心中で呟いた瞬間、ガラーンガラーンと部屋中に鐘の音が響き渡る。
鐘が鳴り止んだ後も身を縮め続け、残響が部屋をしっかりと出ていったのを耳を片方だけ開放して確認するとようやく身を起こしほっとしたように息を吐く。
「お昼の鐘…そんなに煩いのでしょうか?」
「煩いというか頭に響くのじゃ、ワシら獣人は耳が良いからのぉ……」
ここらではお昼に一度鐘を鳴らす風習がある、その鐘楼がワシのいる部屋の真上にあるのだという。
そのせいで鐘の音は部屋全体がまるで増音装置の役割となって鐘の音がワシの耳を襲う、音量がというよりも丁度苦手な音になっているのだろう、うっかり耳を塞ぐのを忘れた日はそのまま気絶してしまうほどだった。
とはいえ本日の危機は去ったのだ、せっかくのお昼ご飯が冷めてしまう前とゴソゴソとベッドの上から転がり落ちる様に移動し椅子へとスチャと着席する。
本日のメニューはお肉と芋などの野菜を一緒に煮込んだモノ、香りからして殆ど香辛料は使ってないシンプルなものだろう。
あとは、狐色の焦げ目がついたごつごつした岩の様な表面と十字の切れ込みが特徴的なパン、そして蜂蜜酒。
ここらで採れる果実はお酒に向いていないらしく、高原地帯で採れる蜂蜜から作ったお酒がここらの主流らしい。
「うむ、きょうのも美味しかったのじゃ」
「ありがとうございます、厨房の者にもそう伝えておきますね。そうそう、今朝の診察の結果ですが、もうマナは安定しているとのことでした」
「ほほう、そうかえ」
食後のお茶を楽しんでいるところで伝えられたアニスからの言葉に、ニヤリと一人ほくそ笑む。
しかし、焦ってはいけないやはり脱走といえば皆が寝静まる夜中が定番だ、さらにワシは夜目も効くがヒューマンはそうもいかない。
食後も今まで通りのんびり過ごし、シャンデリアの火も消され、部屋を照らすのは暖炉の炎のみ。
暖炉の様子を見に来た侍女も先ほど部屋から出て行ったので、しばらくここに人は来ないだろう。
「くふふふ、これはあれじゃ大脱出というやつじゃの」
声を抑えて一人呟き、ベッドから飛び降りて一歩二歩と扉へと抜き足差し足で近づいていく。
その度にまるで波が段々と高くなるかの様に揺さぶられる気分になるが、ぐっとこらえてさらに一歩二歩と扉へと歩み寄る。
だがしかし、あと五歩ほどあるけば扉に手が届くといったところで、とうとう波は大船すらひっくり返す程のものとなり遂にはバタンと床へと倒れ伏してしまう。
しかし、倒れても波に揺られるような感覚は止まることなくワシを襲い続け、そのせいか上手く力を入れることが出来ずに立ち上がるどころか、這って戻ることも出来ない。
どれほどの間そこに倒れ伏していたのだろうか、「キャーー」と誰かがあげた悲鳴を聞いたのを最後にワシはふっと意識を手放したのだった。




