404手間
ガリガリと羽ペンを使い、犢皮紙に老紳士から聞いた話を書きこんでいく。
だてにぐったりするほど話を聞いたわけではない、気分はさながら敵国に潜り込んでいるスパイである…最初から捕まってるけど。
まず老紳士の名前、彼はここ聖ヴェルギリウス神国の一地方、沼地周辺を収めるエヴェリウス侯爵。
医師であり杖の魔導器の整備士…といっても技術的なモノでなくマナが見えるという特性を利用した監督官のようなモノ…だろうか。
彼が納めるエヴェリウス侯爵領の特産はまず領内にある高原地帯で飼育されている牛に羊の毛をくっつけたような家畜。
毛は衣服に、角は煎じて薬に、肉は美味しく、乳は栄養満点、皮も犢皮紙にと捨てるところの無い素晴らしい家畜らしい。
そしてもう一つは沼地から取れる泥炭、聖ヴェルギリウス神国ではこれが一般的な燃料とのことだ。
「ふむ、泥炭とはどんなものじゃろうのぉ…」
「これが泥炭でございますよ」
書く手を止めふと思ったことを口にすると、間髪入れずにアニス…ワシの身の周りの世話をしてくれる侍女が答えてくれた。
アニスが「これ」といって指し示す先には、暖炉の横に置かれた鉄籠に入れられている乾いたレンガ状の物。
「ほほう…それが泥炭なのかえ。名前からして泥の様なモノと思っておったのじゃが…」
「私も乾いた物しか見たことはございませんが、泥の様に濡れていては火が付きませんわお嬢様」
「ふぅむ、それもそうじゃな…」
液状でも火が付くものはそれなりにあるが…それはそれ、確かに水濡れでは燃料としては不合格だろう。
この泥炭の他に火が付く黒い石、恐らく石炭ではないかと思われる物も採れるらしいが、こちらは泥炭に比べて産出量が少なく鍛冶などでしか使われないという。
また犢皮紙に視線を落としガリガリガリと書き込んでいく、
泥炭や石炭の話が出た際、木炭や薪はとも思い質問したのだが、この聖ヴェルギリウス神国の土地の大半は山岳地帯か高原地帯で薪などに使える程、潤沢に木材が採れる訳では無いという。
一巡りを通じて気温が低く、暖炉に火がともらない日は無いというほど。そこで疑問に思ったのだが、なぜ最初ワシが目を覚ました際に扉が開けっ放しだったのか。
話を聞けば、これはどうやらこの地方での最大限のステータスシンボルらしい。
部屋の扉を開けっぱなしにしても、客人に寒さを感じさせないほど火を絶えず強くできるくらい我が家は富んでおりますよ…と、そういう事らしい。
前回はそこらまで聞いた辺りでワシがダウンしたため、とりあえずここまででいいかと筆をおく。
「ところでアニスや」
「何でございましょう」
暖炉の火を調節していたアニスはその手を止め、ワシへと向き直りにこにこと次の言葉を待っている。
「この国には獣人とかおるのかの?」
「ええ、もちろん居ますわ」
聖ヴェルギリウス神国はヒューマン人優位の国、その中でワシがここまで厚遇のは何故だろうとアニスに聞けば特に含んだ様なこともなく、当たり前だとばかりに居るという。
「ヒューマン優位の国と聞いておったんじゃがのぉ」
「その通りでございます、獣人の方々は基本的にみな奴隷ですので」
アニスによれば奴隷といってもひどい扱いをされている訳では無く、多少制限はあるもののヒューマンと同じような生活を送っているらしい。
ここで置いていた筆をインクに浸し、アニスの話を聞く端からガリガリとその内容を書き記していく。
この制限と言うものはまず個人で家を持てないというもの、なので獣人はみな誰かの家に住み込みで働くか国が用意したアパートというか寮での集団生活をするらしい。
次に仕事以外では許可なき限り街中の特定区域しか移動できない、行けないのは高級住宅街や鍛冶や行政などの特定の職場がある区域。
獣人を召使いとして雇っている貴族は多いらしいのだが、ヒューマンの召使いのみを雇える家というのはそれだけで皆が羨望するほどの財力がある証になるらしい。
「ふーむ、ワシも獣人なのじゃが…なかなかの厚遇なのはどういうわけじゃ?」
「それはお嬢様のお色のためにございます」
「色?」
アニスの言葉に「はて?」と首を傾げる。
「我が国では白は神聖な色なのでございます。歳を重ねた際に髪が白くなれば白くなるほど、その人生で良き行いをしたのだと教えられておりますので」
「あぁ…」
またこのパターンかと目を細める。
「旦那様には他の理由もあるらしいのですが、私どももそこまでは存じ上げません」
「あれは…のぉ…」
喜々としてワシの中のマナがどうのこうのといっていたし、何といえば良いのだろうその時の様子は貴重な実験動物を愛でるかのような感じだった。
いや、牢に繋がれるでも無し、貴重な被検体として扱われているのだろう。
彼が言うにはワシの中のマナは、無理矢理閉じ込めてしまったせいでかなり不安定なのだという。
ワシとしても自身のマナだというのに、全く干渉できないという妙な感覚で実に気持ち悪い。
ワシからすればここは敵国、暴走がなんぼのものだと逃げ出してもいいのだが、敵国とはいえ無辜の民を巻き込むのは寝覚めが悪い。
もう少ししたら落ち着くらしので逃げるのはそれからでいい、アニスらの話を聞く限り待遇が悪くなるという事も恐らくないだろう。
今度こそ筆をおき、敵国に捕らわれているという実に切羽詰まった状況であるはずなのにのんびりと体を伸ばし、用意してもらったお茶を優雅に啜るのだった。




