402手間
ガラガラと開けっ放しの扉から、また最初に来た人たちと同じお仕着せの女性が一人ワゴンを押して入ってきた。
ワゴンに乗っているのは、銀製の水鳥の首のような形の土台に段々にお皿が付いたケーキスタンドと翡翠色の陶器製の片手で持てそうな壺。
ワゴンをテーブルの傍まで寄せるとワシに一礼し、先ほどから唯一喋っている女性へと何事かを耳打ちする。
耳打ちするということは聞かれたくない話だろうと耳を背けていると、伝え終わったのかまたもワシに一礼しお皿とフォーク、壺だけをテーブルの上に置くと、彼女はワゴンの脇にすっと控えて動かなくなった。
それにしても、皆にこにこと微笑んで愛想は良さそうなのだが最初に入ってきた女性以外喋らないのは何故なのだろうか。
そんな風に考えてると、髪の毛と同じ薄いプラチナブロンドの眉尻を下げ少し困ったかのような表情で、最初に入ってきた女性が口を開く。
「お嬢様、旦那様はお仕事の都合で少し遅れてこられるとの事です。申し訳ございませんが、お茶菓子などでそのお暇をつぶしていただければと」
そういって彼女はペコリと一礼してからケーキスタンドに乗せられたお茶菓子をワシの前に置かれた更に取り分けてくれる。
その姿を見つつ、暇になるのであれば丁度いいと声をかける。
「のう、ちと聞きたいことが…と、その前におぬしの名前はなんというのじゃ?」
「ただの侍女でございます、旦那様のお客人に名乗るほどの者ではございません」
名前が分からないと呼ぶのにも苦労する、そう思ってかけた言葉に取り分ける手を止め返ってきたのは何処の観劇の剣士と突っ込みそうになるセリフだった。
「じゃがそれではワシが不便じゃからのぉ」
「それでしたら…私の名はアニスでございます」
仕方ありませんねと彼女はたれ目がちな目元を緩ませて、桃花色の瞳でワシにしっかり見つめ恭しくお辞儀をする。
「ふむ、アニスというのか。よろしく…でよいのかの?」
「はい」
そういってふわりと笑うアニスは中々品があり、どこぞの貴族家から行儀見習いとしてやってきた令嬢かなと考える。
とりあえずの不便は取り除かれたところで、ワシはアニスに当初の目的だったことを問いかける。
「それでじゃ先ほど聞きたいことといったのはの、彼女らはなぜ喋らんのかの…ということじゃ?」
「それはですね。彼女らは、旦那様のお客人であるお嬢様にお声がけできる身分ではございませんので。どうかご寛容のほどを」
「ふむ、では致し方あるまいのぉ」
アニスは自分の時と違い、明確に身分といってのけた。
ワシはそういう事は気にしない質だが、彼女らは…雇用主である旦那様とやらは気にするかもしれない。
それで立場が悪くなるのは彼女たち、最悪解雇されかねない。であればワシが口を出すというのは愚というもの、この事はこれでおしまいとお茶に口を付ける。
するとアニスは再びお菓子を取り分ける作業に戻る。
少ししてお皿に綺麗に置かれたのは、きつね色に焼かれた一口サイズのシュークリームの様に真ん丸とした焼き菓子がころころと三つほど、胡桃色の小指の先ほどの大きさの涙型の実が一粒乗った新雪のように白いタルト。
「おぉ、これはおいしそうじゃのぉ」
「スコーンには、こちらのジャムをお好きなだけ付けてお召し上がりください」
そういってお皿の脇にコトンと置かれ蓋が取られた翡翠色の陶器の中を覗けば、赤色の何かの果実を煮詰めて作ったであろう少し酸味のある甘い香りのジャムが入っていた。
こちらをお使いくださいといって差し出された銀のスプーンを使い、少ししっとりとしたパイ生地の様な触感のスコーンの上にたっぷりと乗せ口へと運ぶ。
サクリとした歯触りのスコーンの小麦が香ばしい風味が広がり、そこに加わる甘酸っぱい果実でジャムに頬が緩む。
三つあったスコーンをぺろりと平らげれば、間髪いれずに白いタルトに手を伸ばす。
チーズケーキの様な少し重い滑らかな生地をフォークを使って削り取り、そのまま口に入れればミルクの風味に加えほんのりとした甘さと樹の香りが口に広がる。
「ふぅむ、樹の蜜でも使っておるのかのぉ」
「お嬢様はお鼻がよろしいのですね」
アニスが少し目を丸くして驚いたように問うのが少しおかしくて、ふふんと鼻を高くしながら耳をピコピコとわざとらしく動かしてやる。
「獣人じゃから当然じゃの」
「まぁ…」
アニスは手で口を押え、堪らないものを見たとばかりにまなじりを下げている。
他の侍女たちも同じようにまなじりを下げている、やはり何処だろうと女性はこの手のモノに弱いものだ。
「お気に召したようで何よりですな」
そんな折、私はここに居るぞと告げるかのようなノックの音と声。
そちらの方に目を向ければ、そこに居たのはワシが気を失う直前、最後に見たあの老紳士の姿があるのだった…。




