394手間
393手間、冒頭部分が消えてた状態で投稿しておりましたので追記しました。
ワシが一人だから油断しているのだろうか…それでも大将が一人で敵前に身を晒すというのは…。
今にもはち切れそうな歪んだ樽の様な体形に合わせた鎧を着こんだとしていても、一応盾を持った歩兵の後ろにいたとしても…。
領地運営に問題がない程度とはいえ根本が馬鹿なのだろう。なにせこんなことをしでかすのだ。
「私がデアラブ侯爵としっての狼藉か!」
「狼藉か! はこちらのセリフじゃ馬鹿者」
「なっ!」
言い返されたことか、馬鹿と面と向かって言われたことか、それともその両方か。
首があるのかどうかわからない、でっぷりとした顔を怒りで真っ赤にしてぷるぷるとデアラブ侯爵は震えている。
それにしてもよくもまぁこれほど見事に太れるものだ。確かデアラブ侯爵家から出されてしまった側妃も太っていたしそういう血筋かもしれない。
と言うことはその子供、見かけたこともない王子も太っているかもしれない。
「まー、あれじゃー。おぬしの下賤な企みもここまでじゃ! 大人しく縄に付き裁きを受けるがよい! とはいえ反乱の首魁じゃその罪重いがの。それだけでなく街の者を虐げた悪鬼羅刹が如くのその所業。おぬしには相応の末路があると知れ!」
「言わせておけばぬけぬけと、私の孫が王となるはずだったのだ!」
「はんっ。正妃の子が王位継承権が高いのは当然じゃろう、それに優秀じゃ。文武両道まさしく王の器じゃのぉ…それに比べおぬしの孫は軍の訓練についてこれなかったと聞くではないか、もちろん力だけが全てとは思わぬが…それを上回る英知や気概があるのかえ?」
「なかろうと関係ない! 私がそれを補えばよいのだ!」
デアラブ侯爵が鼻息荒くそういうのを見て、ワシはこれ見よがしにため息を吐き、手のひらを上に向けやれやれと少しオーバー気味に肩をすくめる。
要するにだ、デアラブ侯爵は外戚となって権力を握りたいと、何とまぁ実に小物らしい目的というか…。
そんなワシの態度にデアラブ侯爵は痙攣しているのではないかと思ってしまうほど、ぷるぷるぷるとその身を震わせている。
「権力を持ちたいのであればそれ相応の振る舞いというのがあるじゃろう。侯爵という立場もまともな頭で考えるのであれば十分すぎるほどの権力と思うのじゃが? ま、その権力もおぬしは自らの愚行でダメにしたわけじゃが」
「侯爵の名は私の力ではない! 亡き父から無能無能と罵られ、なればと側妃を出して子を産ませてもあの王子が王になるというではないか!」
「何が"なれば"なのかは知らぬが、このような愚行をしておるのじゃ。無能と蔑まれてもしかたないであろうなぁ、きさまの下らぬ欲のせいで死んだ者の無念は如何ほどのものか…腸が煮えくり返る思いとはこの様なことをいうのじゃろうな」
「ぐぎぎぎ、えぇいアレを殺せ! 撃て!うてぇい!!
ワシの小馬鹿にした口調からの一転、底冷えするような声に侯爵軍の兵たちがヒッと短い悲鳴を漏らす中。
デアラブ侯爵だけは豪胆なのかだからこその無能なのか、憤懣やるかたないとばかりに顔を真っ赤に燃え上がらせて気炎をあげている。
とは言え兵たちも命令が下ったからだろうワシ目掛け、てんでんばらばらではあるものの雨の如くに矢が降って来る。
「だからきさまは無能じゃと言うのだ!」
ガァと叫ぶように吐き捨ててワシの周囲から蒼い炎が立ち昇り、そこへと降り注いだ雨がすべて跡形も無く炎と共に空へ消えてゆく。
一度矢が無効化されたのを見ているだろうに、もう一度それを選択するとは戦の指揮官としては失格だろう。
「セルカ様遅くなって申し訳ありません!!」
「おぉ来たかバルドや、こちらは気にせず…いや、あちらの兵が近づかぬよう威嚇しつつ民を連れ後退するのじゃ」
とはいえ三度目は無いだろう、歩兵を出され回り込まれては人質がと思っていたところへバルドの叫びが聞こえてきた。
姿は人質と炎の壁に遮られ見えないが、声が聞こえた方向に顔だけ向けて指示を出す。
これで後顧の憂いは無くなったと侯爵へと向き直り、その顔を改めて睨みつける。
改めてみたその顔はテカテカとだらしなく脂ぎっており、頭もガーデンフォークの先端を乗せたかの様に貧相だ。
あぁ、やはり権力者というのは見目も重要だな…などと頭の隅っこで考える。
「さて、頼みの綱ものうなった…潔く降伏するならよし、とはいえ降伏しようが抵抗しようがおぬしに名誉ある死など待ってはおらぬがの」
「えぇい! 全軍突撃あの生意気な小娘もろとも王を殺せ!!」
口角泡を飛ばし侯爵が命令を下すが、兵たちは一歩も動かない。
今までのやり取りなどが見えていない後方では動いている気配はあるのだが、前面で動かない兵たちに阻まれて前へと出れていないようだ。
「おぬしと違い兵たちはよく分かっておるようじゃのぉ…さて再度問おう潔くここで武器を捨てるのであれば係累まで罪はいかぬ、じゃがワシに剣を向けるのであれば……分かるの?」
ワシの言葉に自棄になって突っ込んでくるのが居てもおかしくはないが、努めて低く言い放った最後の言葉によほど心胆を寒からしめられたのだろう。
氷水に身を沈めたかのように真っ青な顔で、汚いものでも放り投げるかのように自分たちが持っている武器を投げ捨てている。
中にはそこまでする必要は無いのに革鎧まで脱ぎ捨てているものまでいる。
「わ、わたしたちは降伏します。で…ですので何卒妻や子だけは…どうか…どうか……」
一人が両ひざを地面に突き許しを乞い始めると、他の兵たちも同じように膝を突き懺悔するかのように胸の前で両手を組み、口々に許しを乞い始めた。
「きさまらぁ! 貴様らの主は誰だと思っている!! 」
前の兵が跪いたせいで後ろの兵が見えるのだが、彼らは侯爵とその周りの兵の様子に訳が分からずぽかんと間抜け面を晒している。
そんな状況のなか一人だけ顔を真っ赤にした侯爵が唾を飛ばしているが、その様子を青い顔よりもさらに冷ややかな視線で周りの兵たちは侯爵を見ている。
「私の命が聞けぬというならここで死ね! きさまらの代わりなど幾らでもいるのだ!」
「ふぅ…どこぞに小悪党のすゝめの様な本でもあるのかのぉ…」
デアラブ侯爵が手に持った槍で手近な兵を刺そうとしたので、ため息を漏らし殺させるわけにもいかないと『縮地』で侯爵の眼前まで行き同じ馬の背に乗り、顔…は嫌なので実に趣味の悪いゴテゴテと装飾された鎧を掴み、先ほどまで人質だった人々が居た場所と兵たちの間へと投げ捨てる。
ゴシャリと嫌な音と共に地面に激突し、何かを喚き散らしながら樽の様に転がっているのでどこか折れたのかもしれない。
しかし、どうせ処刑されるのだ…それまで生きているのであれば後はどうなってもいいだろうと、冷めた様子でその姿を一瞥するとまだ降伏してない兵たちへと向き直る。
「きさまらの先に道なぞ無い! ここで降伏するならば良し、でなければあの街できさまらが卑劣にも行ったことをきさまらにするだけじゃ!」
後ろにいるということはそれなりに身分がある者たちが大半だろう、ならば慈悲は無いと言い放つ。
すると元々大した気概も無い連中、ワシが片手で紙屑のように侯爵を投げ飛ばしたのを見ていたのであろう、次々と武器を捨て降伏している。
だが、いかにもといった身なりの者の中には、降伏したけど自分にはお咎めなど無いだろうと高をくくったような顔の者も居る。
あれだけのことをしておいてと、今すぐにでも捻り潰したい衝動に駆られるが、そんなことをしてはこいつらと同類となってしまう。
ふぅと深い息と共にその衝動を追い出すと、馬の背を蹴って先ほどまでいた所付近へひらりと舞い降りると、ブギュと何かを踏み潰した様な音が聞こえた。
「うむ、後のことは兵らに任せるかのぉ…」
いまだそびえる炎の壁の向こう、バルドらに守られて離れていく人々を見つめ、満足げに頷くのだった…。




