373手間
青い海、青い空、白い砂浜、そして白いワシ!
振り返れば防風林という訳か、松の幹に柳の枝葉が合わさったような木々の林。
さらにその向こうにはお城があり、何ともいえぬ風情を醸し出している。
「おーい、カルンや早うおぬしも来んかえ」
「も、もう少し景色を眺めてからいくよ」
一枚の絵になりそうな風景の中に、ビーチマット代わりのござがひかれ、その上に体育座りで座るカルンとそのやや斜め後ろに正座したスズシロ。
スズシロはいつもより薄手とはいえ着物 ―浴衣に近いもの― なのだが、カルンは袴を膝辺りですっぱりと切ったような水着を着こんでいる。
だというのに先ほどから、ござの上で座ったままここから動いたらまずいとでも言わんばかりに動こうとしない。
「せっかく泳ぐ許可が女皇から出たのじゃから、景色など休憩中にでも見て今は泳げばよいのに…」
腰に手を当てこれ見よがしなため息をついた後、着た時にも確かめたが再度自分の水着に不備が無いかを確認する。
細いゴムが無いので腰の左右で紐を止めるタイプのビキニパンツに、チューブトップブラの様に胸部だけを覆ったさらしの様な上。
スズシロが言うには、これがこの国での一般的な女性の水着だそうだが…本当にそうなのだろうか?
全裸が基本です! などと言われなかっただけマシだが、もうちょっと大人しいと思っていたので意外だった。
「まぁよいか。まずは準備運動じゃな」
いつでも来るがよいという気概を込めて、カルンの方を向いたまま屈伸などの準備運動を始めると、何故かますますカルンは縮こまってしまう。
運動が嫌いという訳ではないはずなのだが…一体どういうことなのだろう? やはり泳げない? たしかにあの年頃で泳げないと知られるのは嫌な思いだろう。
「カルンや、泳げぬことを恥じる必要は無いのじゃぞ。何、ワシが泳げるようになるまで付き合うてやるからのぉ」
「本当にそう言う事じゃないから、あとでちゃんと泳ぐから」
やはりというかなんというか、後で泳ぐの一点張りで暫くは梃子でも動きそうにない。
無理矢理にでも海に叩き込むことは容易いが、そんなことをやっても意味がない。
本人が後から来るといっているのだから、仕様がないかとくるりと海へと向き直る。
「それにしても、スズシロめ。少しさらしをきつく巻き過ぎではないかの」
今にもちぎれ飛びそう、それほどにパンパンになったさらしを顔をしかめ、少し緩めつつ愚痴を漏らす。
もしかして、この国の女性の何処とは言わないが、ある一部がささやかなのはこれが原因ではなかろうか。
きつく押さえたら成長しない。植物であれ、なんであれ当たり前の事だ。
「これは一言いっ…いや、ワシが言うても不興を買うだけじゃろうのぉ…」
例えワシが言おうとも、どんな反応をされるかは火を見るより明らかである。
だがしかし、今はそんな事よりもと首を振り、目の前の海へと走り出す。
とは言え思いっきり泳ぐという訳では無い。ぷかぷかと波間を浮かぶそれだけだ。
「ザザーン、ザザーンと揺れる波はプールとは違った心地よさじゃのぉ……」
ワシは泳げない訳ではない、しかし泳ぐのは苦手だ。なにせワシ自慢のふわっふわもふもふの尻尾が、浮き輪の役割を果たし泳ぐも潜るも難しいものとしている。
けれど泳ぐ潜るだけが海の楽しみではない。ゆらゆらと波間に漂うそれだけでも十分楽しいのだ。
沖合に流されないようにという事だけに気を付けながら、しばしクラゲの気分を味わっているとバシャバシャと、波をかき分けようやくカルンがワシの傍までやってきた。
「ねえや…」
「なんじゃー?」
「ねえやみたいに浮くことは出来るんだけど、泳ぐのが…その上手くいかないから教えてくれないかな?」
「うむ、もちろんじゃ。……ここでは何じゃから少し浜辺に近づくとするかの」
カルンは海面から肩辺りから上が出ているが、ワシではここは足が付かない。
なのでワシの足が付くあたりまでもどり、カルンへと泳ぎの指導を開始する。
ワシの胸辺りから上が出るくらいの水深だが、泳ぎの初心者にはすぐに足が付き、泳いでる最中少し手を伸ばせばそれが分かるくらいが丁度いいだろう。
「そうそう、その調子じゃ。口から吸って…鼻から出す、プハッ…ブクブクブクっとそんな感じじゃ」
「ブハッ……ふぅ…。だいぶ慣れて来たけど…なんでそんな息の仕方をするの?」
慣れたといっても少し苦しくなったのだろう、カルンが立ち上がり息を整えながらそんなことを聞いてきた。
カルンの手を指導の為にワシが握って引きながら教えていたのだが、ワシが手を握った姿のままカルンが立ち上がったため、傍目からは仲の良いカップルが手を繋いで見つめ合っているような構図になっている。
だがそういう設定で周りには喧伝しているので、全く問題は無いのだが…っとそれよりもカルンの質問に答えねば。
「うむ、答えは簡単じゃ。鼻から水が入ると気分が悪くなるじゃろう? それを防ぐためじゃ」
「あぁ…なるほど」
初心者は特に水面から慌てて顔を引き上げるせいで水飛沫が酷く、鼻から息を吸ってしまっては一緒に水を吸いかねない。
水中で口から息を吐けば、容赦なく鼻から入ってこようとする水を防ぎきれない。
息継ぎの仕方でパニックを起こしかけている水泳初心者が、鼻から入った水の不快感でパニックになり溺死するというのは意外とあること。
それを防ぐためにもこの呼吸法は中々に重要なのだ。
「カルンもだいぶ上達したし、少し休憩にするかえ?」
「いや、まだまだ行けるよ」
カルンの泳ぎは確かに最初は残念な物だったが、短い指導の間に随分と上達した。
本人の資質もあるだろうが、何よりワシの教えが良いのだろうと胸を思いっきり張る。
そうしたのがいけなかったのだろう…。カルンが九十度のお辞儀をするような姿勢になり、さぁ足を蹴り上げようかといったところでブツンという何かが切れる音が耳に入った。
「あっ……」
そんなカルンの間抜けな声と共に、ハラリとワシの胸を覆っていたさらしが波に漂いはじめる…。
ワシが両手を握っているために、カルンは目を覆うことが出来ず、ワシは胸を覆うことが出来ない。
どれほどそんな間抜けな状態で止まっていただろうか。もしかしたら一瞬かもしれないが、カルンの片手を放しその腕で両胸を抱えるように隠す。
「おぉ…水着が破れてしもうたのぉ」
片腕で無理矢理胸を隠しているせいで、むにんと胸が歪み。それを見上げるカルンは、海面から顔を出しているせいもありパクパクと開閉させている口はまるで鯉のようだ。
そして突然カルンがまだ繋がっていたもう片方の手を振りほどくと、声にならない叫びを上げながら勢いよくその場から更衣室として用意された小屋まで駆けて行ってしまった。
「むぅ、ワシの胸など見慣れておるじゃろうに。そこまで慌てるものかのぉ…? 昔はこれを吸っておったというに」
カルンが居なくなったのでわざわざ隠す必要も無いかと、露わになった両胸を両手でふにんと持ち上げて呟く。
とは言え水着が破れたままではカルンも帰ってこないだろう、ワシも水から上がり堂々と歩きながら着替えの小屋へと戻るのだった。




