372手間
カルンの傷もすっかり癒えた頃、火のマナの影響でこの皇国は、ワシの知るところの夏の様な時期へと本格的に入っていた。
「ほほぅ、許可なきものは入れぬ砂浜…」
「はい。避暑にはとても良い場所で御座います。女皇陛下以外使う者も居りませぬが、セルカ様であれば何の問題も無いでしょう」
スズシロが言うのは、要するに女皇陛下専用のプライベートビーチという訳か。カカルニアでもここと同様、火のマナの影響で暑くなった時にはプールに入ったものだ。
けれどそれは人工のプール広かったものの、湖などと比べればましてや海と比べれば小さすぎる。
海が無かったカカルニアでは望むべくもなかったが、まさかここで泳げることになるとは…。
「ふむ、それはカルンも行けるのかえ?」
「もちろん王太子様もご一緒に、で御座います」
「んむ、病み上がりの慣らしに泳ぎは良いじゃろうしの。はて? カルンは泳げたかのぉ?」
水泳がリハビリやトレーニングに適しているのは知っているが、カルンが泳げるかどうかは知らない。
十中八九泳げない…というよりは泳ぐことを知らないだろうが、それに関しては泳ぎを教えればいいだけである。
それよりも問題なのは…。
「この国では泳ぐ際は、どのような格好をするのかの?」
「ここらではあまり、というか全く見ませんが皇都では泳ぎの為の服…というのも変ですが恰好が御座いますので、それをご用意させていただきます」
「ほう、それは楽しみじゃのぉ」
ワシはカカルニアのプールに入る為の水着は持っているが、それは所謂ビキニというもの。
水着を知らぬ者が見れば、明らかに破廉恥な下着である。
もしここでは泳ぐ際は、襦袢の様な物を着るのが常識であれば、ビキニ姿は奇異どころではない下着一丁で歩き回るただ変態だ。
「ところで、赤晶石の台座はどうなっておるか聞いておるか?」
「はい。木の硬さはもとより、どの様な姿を彫り出すかに難儀している様でして。三月では足りぬと申しておりました」
「ふむ…」
確かに斧ですら食い込むのがやっとの木だったのだ、どういう道具を使うかは分からないが削るのも一苦労だというのは容易に想像できる。
この街と皇都は容易に行き来できる距離でも無ければ、やり取りできる距離でもない。
デザインはタガヤにすべて任せているでの大丈夫だろうが、赤晶石これの採寸はしてはいるが何か確認でもあるときにいちいち社に来るのは大変だろう。
「では赤晶石をタガヤの工房に運んでやって欲しいのじゃ」
「大丈夫なので?」
「あれほど大きいものじゃ、盗むような者も居らんじゃろう」
巨大な丹色の水晶、宝石の原石と考えれば途方もない、もしくは値段が付けられない程の価値だ。
しかし、その分目立つ。売ろうとすれば一発で足が付く、そんな危険な物を狙う盗人も居ないだろう。
「いえ、それもなのですが。マナの塊とおっしゃっていたので…」
「それに関しても大丈夫じゃろう、そこらの者が大槌を振り下ろしたところで傷一つ入らんじゃろうしな」
一度晶石となったマナは非常に安定している、魔具や強力なマナで外部から刺激を与えねば自ら崩壊するなどという事も無い。
削り出すにも、それ専用の魔具か道具にマナを込めてやるしかない。もちろんマナを込めるのは宝珠持ちでなければ不可能な量が必要。
この削り出しの際に、削り滓の代わりにあふれ出るマナを抑える術は、晶石を扱う職人の間で秘匿されているのでワシも知りえないが、そも削り出せないのだから問題は無いだろう。
「では、後ほど手配させていただきます。皇都までの宿の確保などもございますのでしばし日を頂きたく」
「うむ、良きに計らえなのじゃ」
「はっ」
スズシロが退出し、一人残された社の中でコハクとスズリを撫でながらふと思った疑問を口にする。
「はて…ワシ泳げたかのぉ?」
プールには何度も行った、ライラにも泳ぎを教えたことはある。
しかし、肝心のワシは水面にぷかりと浮くかプールサイドで寝ていたか位しかしていない。
「ま、何とかなるじゃろ」
ぷかりと浮かぶことは出来たのでカナヅチでは無いはずと、止まっていた撫でる手を再開させつつ海水浴に胸を躍らせるのだった。




