370手間
足取りが重い、まるで山の尾根を丸々背負わされているかのようだ。
もちろんそんなモノ背負ったことなどないし、できても両締め釘の様に地面と尾根の間で埋まるだけだ。
一歩一歩の憂鬱さを、あの頼まれずとも付いてくるスズシロも居ないことがさらに加速させる。
キィキィと鳴く床が、まるで自分の悲鳴の様に聞こえるくらいは憂鬱だ。
もし嫌いだといわれたらどうしようと、頭を抱えながら歩く途中ハッとして踵を返す。
「行き過ぎたのじゃ」
来た道を戻りまた踵を返し、来た道を戻る。
ワシを案内しようとした文官は、スズシロに首根っこを引っ掴まれて元の職務に戻ってしまった。
その男が言うにはカルンは、今寝てるという。正確には今というよりはあの日から布団の住人という話らしい。
別にそれほどの重傷や起きれない程に体調を崩しているという訳では無く、大事を取ってとのことだがワシにとっては大事である。
「ね、寝ておるなら起こすのも悪いし後日改めてと…」
「ねえや?」
襖の前を行ったり来たりしていると、不意に部屋の中からかけられた声に背筋をピンと伸ばしてしまう。
ワシが来たことが、部屋の主に知られることとなってしまったらもう帰ることなどできない。
覚悟を決めて引手に手をかけ、ゴクリと喉を鳴らしそろりと襖を開ける。
「ど、どうじゃ? 具合は悪くないかの?」
「悪くは無いけど、ねえやはどうしてここに?」
まさに寝起きといったばかりに上半身だけ起こしたカルンへ、どう声をかけていいか分からず無難なことしか口にできなかった。
それに対して返された言葉は驚きは含まれているものの、喜色に溢れ咎める声音などない。にも拘わらずワシには後ろ暗い気持ちが湧き出てくる。
「いや…その…カルンの体調を……いや、そうでは…うむ。すまなかったのじゃ!」
「え?」
しかし、ここでズルズルと引きずっても気持ちが悪い、だから自分で自分の首を斬る思いでバッと勢い良く頭を下げる。
「ワシのせいで怪我をさせてしもうた、無論それを望んでた訳ではないのじゃ。しかし、そういう状況になると分かっておって何もしなかったのじゃ…」
「何を言ってるの?」
「その通りじゃ、謝って済む問題では――」
「違うよ、ねえやは何で謝ってるの? 今回のこと、ねえやは悪くないよ。崖に落ちたのを助けてくれたんでしょ? その後のことも、ねえやがいなければ死んでたかもしれないって聞いたよ」
「じゃが、その死んでたかもしれんことを引き起こしたのはワシじゃ」
悲痛ともいえるワシの声に対しカルンの声音は優しい。けれども命の恩人がワシと言うのであれば、命を脅かしたのも同じくワシだ。
カルンならば捌けるであろう、ワシであれば命の危機に曝される前に救い出せるであろうと慢心して。
その結果がこれだ、今も命の危機に陥っているという訳では無い、傷も残るかもしれないが後遺症が残るほどではない。
しかし、各所に包帯を巻いた痛々しいカルンの姿が、ワシをワシ自身がザクザクと切り刻む。
「ねえや、ここに座って」
「う…うむ」
俯き唇をかんで立ち竦んでいると、何時に無く険しい口調で言ったカルンが、布団の傍の畳をポンポンと叩く。
その口調に少し気圧されたワシは特に反論もすることなく、とぼとぼと叩かれた場所に向かい俯いたままポスンと力なく座り込む。
「ねえやのせいじゃないよ…」
「しかし…」
顔を上げ反論しようとするワシの頭へ、ポンと優しくカルンの手が置かれる。
「雨の降りはじめで足場が悪いのに、崖際で戦ってた自分が悪い。楽をしようと、ねえやのいう通りにしっかりと剣にマナを通してなかった自分が悪い、そうすればさっさと前の奴を倒して、飛び込んできたやつにしっかりと対処できたのに」
「しかしじゃな…」
「そうやって自分が悪いって言われて、ねえやの気分はどう? いい気分じゃないでしょ?」
ポスポスと頭を撫でながら言われた言葉はまさにその通りで、「むぅ」と押し黙るほかない。
「僕としてはちょっとうれしかったんだ、必死になって助けてくれようとしたねえやもそうだし。そんなことで悩むんだって知れてうれしいって言ったら変かな?」
「そ、そんな事とは…」
「僕にとってはそんなことだよ、だって王になるといってもまだ実感は無いし。軍に入ってるんだから、戦いで死ぬ覚悟は何時でも持っておけって父上にも常々言われてたし」
「じゃが…」
カルンはワシを許すと言っているのだろうか? だが…と何処かで思ってしまう、許すことと嫌いにはならないことは同義ではない。
「カ、カルンは…ワシを嫌いになってはおらぬのかえ?」
そうワシが弱々しくいった途端、カルンの堰が切れたかのようにお腹を抱えて笑い始めた。
「あははは。はぁ…ふぅ、ほんとにそんなこと考えてたの?」
「なっ! 何を笑ろうておるのじゃ! ワシは、ワシはじゃなぁ」
「そうそう、ねえやに弱気は似合わないって。いつもみたいに傲岸不遜でふてぶてしくて…」
ワシャワシャとワシの頭を撫で始めたので、その手をはらって頬を膨らませて反論する。
すると、よほど笑ったのか涙をぬぐう仕草までしてカルンがしみじみと呟いた。
「おぬし…ワシのことそんな風に思っておったのか」
「だってねぇ、誰に対しても態度が変わらないし。人の上に立つのを父上以上に慣れてるみたいだし」
「ぬぅ、別に慣れたくてなれたわけじゃ無いのじゃが…」
何がツボに入ったのか。またカルンが笑い始めたので、ぐぬぬと唸りカルンを睨みつけてやれば、カルンがポンポンと再度ワシの頭を撫で始めた。
「そうそう、落ち込んでるねえやなんて見たくないし。元気なねえやが好きだよ」
「そ、そうかえ」
撫でる手の優しさにカルンに嫌われてないと分かって、覚えず笑みがこぼれてしまう。
「まぁ、でも…ねえやが今回のこと悪いと思ってるのなら…」
「う…ぬぅ…」
カルンが撫でていた手をスッと引き意地の悪い声音で呟くので、何を言われても言い様にギュッと目と手を瞑り俯いて言葉を待つ。
「今日一日、昔みたいにお世話してもらおうかな?」
「む、そんな事でいいのかえ?」
「うん、箸使うと痛いんだよね。ここってナイフやらフォークやら置いてないみたいでさ」
「うむうむ、そのくらい任せるのじゃ! なんじゃったら治るまでしてもいいのじゃぞ?」
「流石にそれは…何にせよ元気になってよかったよ」
「ん? なんぞ言うたかえ?」
「いや何も?」
久々に我が子の世話が出来ると舞い上がったせいで、カルンが何か言ったのを聞き逃してしまった。
その後、上機嫌でカルンの体を拭いて包帯を変えてやったり食事の補助をしてやっていたため。
スズシロからは微笑ましいものを見たような、文官たちからは血反吐を吐くような視線を向けられていることに、終ぞ気づくことは無いのだった…。




