363手間
外が茜色に染まる頃、ワシの目の前には無残にも床へと横たわるカルンが居る…。死んではいない、いないがピクリとも動かないその様からは気絶していることが分かる。
その顔には苦悶の表情が刻まれ喘ぐように口が開かれている、両手は腹部を抑えそこに一撃が加えられそれによってその場に崩れ落ちたことが分かるかのように、少し膝を曲げた状態で倒れている。
ワシであれば止めることも出来たであろう、しかし現にカルンが倒れている…ワシには止めることは不可能だったのだ。
何でこんなことになったのか…それは翻ること少し前。
「ほほう…ここが文官用の屋敷なのじゃな?」
「はい、元々ここは個人の屋敷でして、表門からは牛車は入れない様になっていますのでご足労をおかけしますが」
「なんぞ今更な話じゃなぁ…」
門番も居ない簡素な門…といっても屋根瓦などが付いた、わびさびを感じさせる歴史を感じさせる風合いのモノ。
そこから覗けば少し先に落ち着いた感じの屋敷も見え、そこまで歩く程度いまさら足労などとあえて言う必要も無いだろうとは思う。
トテトテとスズシロをお供に門をくぐり抜け、屋敷の玄関にたどり着くとそこで出迎えてくれたのは、カルンと数人の文官だけ。
もちろんこれだけしかここに文官が居ないわけではないし、ワシのことを軽んじてという訳でもない。
ただ単に、ワシが大仰な出迎え不要と申し送りしたからに他ならない。
「何日ぶりかのぉカルンや。息災じゃったかえ?」
「それはこっちが言いたいことだよ、ねえや。ほんと無事でよかったよ」
「何を言うておるんじゃ。ワシが無事かなどと心配するよりも、自分の上に岩でも降ってこぬか心配しておった方がまだ現実的と言うものよ」
ふふんと胸を張るもののカルンもスズシロも苦笑い、事実火山弾がぶつかっても無事なワシとぶつかったらただでは済まないカルンらを比べれば、ワシを心配するなぞ杞憂に過ぎないというもの。
「セルカ様ここで立ち話も何ですので」
「うむ、そうじゃな」
「じゃあ、こっちにねえや」
スズシロに代わり、今度はカルンをお供に屋敷の中を案内される。
そのスズシロは護衛の侍中を二人ほど残して、文官に案内され炊事場へとワシに出すお茶を入れに行ってしまった。
増改築を繰り返してきたのであろうか、一人では迷いそうな屋敷の廊下を進み、ようやくと言うほどでもないが少ししてたどり着いた部屋へと入る。
部屋の中は何といえば良いのか、あえて特徴を上げるほどのことも無いまさに居間と言った雰囲気の和室。
ワシが部屋の中を眺めている隙に、サッと出てきた侍中が特に整える必要も無さそうな、綺麗に置かれている座布団をさらに整えここに座れという事なのだろうと思い、そこへと正座する。
一緒に着いてきた文官や侍中たちは部屋の外に残り、そっと襖が閉められると、ふぅと息を吐き少し足を崩して話し出す。
「さてと堅苦しい挨拶をする必要も無かろう、どうじゃ? ここの生活は」
「そうだねぇ。ねえやが書類仕事は嫌だって言ってた意味が分かったかな…」
「まぁ、王になれば流石にそれほどやらされはせんと思うがの、忙しさは変わらぬかもしれぬが」
それにしても玄関から始まり、先ほどからチラチラとこちらをカルンは窺っているようだ。
王太子ともあろう者がなんとも情けない話で説教しようかとも思ったが、よくよく考えればカルンはそういうお年頃かと放って置くことにした。
「確かに父上も書類は扱っていたけれど、ここまでする必要はあるのかな…とも思っちゃうよ」
「それはアレじゃ、上に立った時に下の者の苦労が分かればきちんとした為政者になれるであろう?」
「そうなのかな?」
「さてのぉ、ワシはそこまで上に立った覚えはないからの、流石に言い切れはせぬがな」
これ以上続けるような話でも無いだろうと話題を探す。この少し話が途切れた瞬間を見計らったかのように、外からスズシロの入室を求める声が聞こえてきた。
「失礼いたしますセルカ様、お茶とお茶菓子をおもちしました」
「今くらいそのような事、流石にここの者に任せれば良かったのではないかえ?」
「セルカ様のお口に入るものですから」
確かに、得体の知れぬ者が用意した物を口にするよりかは良いが。スズシロの口調からはワシの身を案じるというよりも、そんな栄誉を渡してなるものかといった気迫を感じる。
そんなお茶を入れるスズシロをカルンがチラチラと何かを気にするように見ているので、婚約者役のワシを見るなら何とも初々しいと周りも思うだろうが、流石にこれは注意すべきかと口を開きかけたところでいいことを思いついた。
「そうじゃスズシロや、おぬしらの侍中の訓練にカルンを入れてやらぬか?」
「私どもの…ですか?」
「ね、ねえや?!」
「うむうむ、文官の仕事に飽いたというでな。文官をやった後であれば、これは当然武官の流れというものであろう?」
「しかし……王太子様は社の敷地には入れませぬが…」
「あれに混ぜるのではない、おぬしが元々侍中にやっておる訓練に、じゃ」
温泉は口惜しいがそろそろまた新鮮なお刺身も口にしたい、カルンには悪いがその出汁に使わせてもらおう。
流石にいつまでもここに居るという訳にもいかない、ワシとしては皇都に戻る丁度良い切っ掛けとして。
さらにそれによってカルンは飽きを解消でき、しかもワシは新鮮な海産物をまた食べれると一石二鳥、いや三鳥の名案である。
「確かに…私も離れておりますので、そろそろ皆の緩みを解消するにいい頃合いでしょうが。台座の件は如何するので?」
「む、そうじゃなぁ…」
確かに皇都とここでは随分と離れてしまう、家具…台座を家具と言ってよいかわからないが。
まずある程度木材を乾かしたりしなければなかったような…? そう考えると出来るまで数か月、下手をすればこの巡りの内には終わらないかもしれない。
「見目に関しては、タガヤに全面的に任せるからの大丈夫じゃ。それに凡そすぐに出来るようなものでもあるまいし、おぬしも鈍る一方では嫌じゃろう?」
「そう…ですね……。ですが、ひと月か半月ばかりお待ちを頂きたく」
「ふむ、それはまたどうしてじゃ?」
「道中のお宿の確保や、女皇陛下への申し送りなどが必要ですので」
「なるほど…しかし、その間同じようにというのものぉ…そうじゃ! カルンをこの街の防人に混じらせるというのはどうじゃ? 街中は流石に無理があろうが、外での魔物狩りなどであれば良い訓練にもなろうて」
「ねえや?」
何か聞こえた気がするが気のせいであろうと断じ、顎に手を当て考えるスズシロの反応を待つ。
「良い訓練にはなると思いますが…私どもが付く訳にもいきませぬし」
「で、あればじゃ。ワシもそれに同行するのじゃよ!」
「セ、セルカ様もですか?」
「うむ、なればおぬしらも参加でき体を動かす良い機会にもなりカルンにも付くことが出来る。ワシが参加すれば防人たちも喜ぶじゃろう。それにじゃ、防人を神子がやれば義務とはいえ子供たちも防人にさらに興味を持つのじゃないかの?」
有名人が一日なんとかみたいなアレである。何にせよ色々理由を並べ立ててはいるが、最大の理由はワシが広い所で動きたいというだけである。
「少し、この街の防人の長と相談してもよろしいでしょうか」
「うむ、当然じゃな」
「ねえや、自分の意見は」
普通であれば他国の王太子を危険な場所に向かわせるなどもっての外、しかしワシが居れば何処であろうと安全である。
ついでにカルンは宝珠持ちだ、ハンターの縮地などは無理でも『技』を多少教えるのも良いかもしれない。
久々に我が子にモノを教えるような心地になれるのではと胸躍らせ、その後もスズシロといくつか話していると昼の用意が出来たという声が聞こえる。
陽は中天を指し空は青く、茜色に染まるには…カルンが倒れるにはまだしばし間があるのであった…。




