355手間
ハァハァという荒い息遣い、じりじりと進む足取りは道を確かめながらというよりも、暗中をカンテラなしで進んでいるかの如く。
なるほど…確かにこれでは往復で何日も掛かってしまうのもむべなるかな。
「のう…」
「みっ神子様。急にお声を掛けないでください、ここはもう小角鬼の巡回が居てもおかしくはないのですから」
「そうじゃろうが…ちぃと警戒が過ぎぬかの? それでは巣に着く前にへたれてしまうじゃろうに。スズシロもそう思うであろう?」
先頭を行くタガヤの護衛の一人に声をかける。すると彼女はビクリと肩を弾ませて、肩と同じく弾んだ声をまるですぐそばを怪獣でも通っているかのように、ヒソヒソと声量を落として何とも非難めいたことを言う。
確かに無警戒よりかはマシなのではあろうが…極度の緊張状態というのは身も心もガリガリと削るもの、もう少し肩の力を抜いても良いのではないだろうか。
「警戒を怠らないのは良いことですが何事も張り詰め過ぎは良くありません。なので警戒は緩めず気は緩める、これが長く警戒を維持する際の秘訣です」
「ど…どういうことで?」
「言葉通りですが…どう例えれば…」
そう思い護衛の専門家であるスズシロに話を振ってみたのだが、余計に混乱させただけのようでスズシロ本人もどういったものかと顎に手をあて首を捻っている。
「まーあれじゃ、物をよく見ようとぎゅーっと目に力を入れ続けておったら目が疲れるし視野も狭くなるからの、一点を見つめるのではなく緩やかに全体を眺めておれば、こう後ろまで見えてくるであろう? そういう事じゃよなスズシロや」
「えっ? いえ…なるほど確かにその通りでございますが……」
「ますが?」
「流石に後ろまでは見えません」
「いや、確かに目では見えぬが…こうなんとなーく見える気がせぬか?」
「無理です」
「むむむ」
スズシロの言いたいことを上手く例えれたと思ったのだが、スズシロ本人に無理だといわれてしまった…。
有り体に言ってしまえば気配を感じるとかそんな風なのだが、無いのだろうか…ない…のかなぁ?
「ご…小角鬼だ!」
「おっと言ってる傍からですか、七匹…ですかね?」
「ふむ、そういえば来ておったの、七匹じゃな」
「いやいやいや、来てたの知っておられたのならもっと早くに教えて頂けませんでしょうか!」
「じゃって小角鬼じゃしの?」
「えぇ、小角鬼ですし」
「こ…これだから強い奴は…」
木立の陰に小角鬼を見つけたタガヤの護衛が、小声で大声を上げるという中々に器用なことをやってのけた。
確かに随分前からなんか居るとは思っていたが、流石に小角鬼だとまでは断定できない。
それに小角鬼程度、下生えを刈るぐらいのこと一々気を張る必要もない。
「侍中で小角鬼に後れを取る様なものはおらんじゃろう?」
「もちろんでございます。元よりその程度の技量も無い者はおりませんが、セルカ様直々に鍛えて頂いたのです万に一にもその様なことはございません」
スズシロが自信満々を体現するかのようにドンと胸を叩き宣言し、それに同意するかのように他の侍中も深く頷くとタガヤの護衛は「おぉ」と感嘆の声を漏らし憧れのヒーローでも見つけたかのような顔をしている。
「という訳じゃ」
「では、おまかせし――」
「おぬし等だけでやってみい、日々これ精進というであろう?」
「えっ」
崖から蹴り落としたら人はこんな顔をするのだろうか、そう思うほど見事に絶望とでも言えばいいだろうか、そんな感情がありありとタガヤの護衛たちの顔に浮かんだ。
「いくら庭で棒を振っておっても何の役にも立たんからのぉ、実践こそ最高の訓練じゃ…うぅむ、カルンも連れてくれば良かったかのぉ。あやつも最近たるんでおるようじゃし…」
「な…七匹もの小角鬼を私らだけで…?」
「うむ、もちろん危うくなれば助けに入るがの。じゃが魔法を使う奴はおらぬし弓持ちも見たところ二匹だけじゃ、おっとあちらさんも気づいたようじゃな」
「むむむむむ、無理ですって。あいつらあんななりしてますが、うちらより力強いんですからそれなのに……ただでさえ数で負けてるところに突っ込むなんて死にに行くようなものですって」
「そうなのかえ?」
「そうですね、小角鬼は大抵の成人より膂力が強いです。けれどもセルカ様からしたら大抵の者は産まれたばかりの赤子ほどの力も無いでしょう」
「何をいうておる、産まれたばかりといえど赤子の力は中々なものじゃぞ、自分の体重を短い間であれば支えれるくらいじゃからな」
「おぉそうなのですか、さすがセルカ様は博識でいらっしゃる」
「いやいやいや、なんで呑気にそんな話をしてるんですかねぇ! ひうっ!」
ワシがスズシロと話をしていると声を荒げた護衛の傍の木に、スタッと小角鬼が放った矢が刺さり護衛が情けない声を上げる。
見ればタガヤ含めあちらは腰が完全に抜けている様で、これでは小角鬼を倒すどころか迎え撃つことも難しいだろう。
「仕方ないのぉ…ほれスズシロや」
「はっ!」
ワシらの目的は木材の入手と巣の破壊であって訓練ではない。仕方がないとスズシロたちに水を向けてやればドサリと背嚢をその場に落とした侍中たちが木々の間を抜ける風の様に小角鬼たちに襲い掛かり、たちまちのうちに物言わぬ骸が七つ森の中に転がった。
「うむうむ、流石じゃの…それに比べおぬしらはタガヤは仕方ないが護衛で食っておるのじゃろう?」
「た…確かに護衛で食ってはいますが、一々見かける毎に戦ってたら身が持ちませんって。避けれる戦いは避けるそれが普通ですよ神子様、戦わなければ死にませんからね」
「ふむ、なるほど確かにその通りじゃな」
戦わなければ死にはしない、実に当たり前の事である。戦えば死なずとも大怪我する可能性はあるし、それが原因で病気などに罹り命を落とすことだってある。
戦いを極力避ける、そういう護衛もあるのかとなるほど手を打つ思いだ。ワシは今まで襲われそうであれば、先にソレを排除するやり方ばかりだったので思いつきもしなかった方法だ。
「セルカ様、小角鬼の処理はいかがされますか?」
「あぁ、それも戦いを避ける理由なんだ…戦えば死体が残る、それを処理するのもひと手間だしな魔石を取るにしても埋めるにしても、その間に他のが血の匂いで寄ってこないとも限らない」
「ふむふむ…確かに魔石を一々取り出すのも手間じゃしの、小角鬼のモノは手間の割に安いしのぉ……」
なるほどなるほどと最もな理由に頷きつつスズシロらが倒した小角鬼の下へ行き、狐火を使い瞬きすらさせぬ間に小角鬼たちを灰すら残らぬほど焼き尽くす。
「よし後始末はこれでよかろう、後の行程は彼女らの言う通り極力戦いを避けてゆくとするかの」
「かしこまりました」
その後の行程は一切戦うことなく、おかげで出発した当日の内に予定の地点までたどり着くことが出来た。
小角鬼の目は獣人より悪いのでさきにこちらを見つけるということもなく、不意打ちもワシとスズシロにかかれば受けることは一切ない。
野生動物に至ってはワシがいる群れを襲うなどという愚かしいことはしないので、心配する必要は無い。
これが普通の護衛の在り方なのだろうと感心することしきりではあったが…彼女らも彼女らで、他の人とズレているとたどり着いた場所で分かり額に手を当て首を傾げるのであった…。




