351手間
スズシロに引かれた馬にゆられ、視点が高いのが楽しいのか、きゅいきゅいとはしゃぐ子狐をなだめながらゆっくりとワシらは進む。
社にたどり着く頃にははしゃぎ疲れたか、それとも今までの緊張でも途切れたか子狐はワシの胸の間でくぅくぅと眠りこけ、日は間もなく沈もうかという高さまで落ちていた。
「おぉぉ、神子様…神子様…」
「むぅ? ナギやおぬしには民と共に避難するよういっておったはずじゃが?」
「神子様のお姿が見えぬのに、どうして私が逃げられましょうか」
社でワシを出迎えてくれたのは、今にも泣きださんばかりに顔を歪め声を震わせているナギの姿。
一先ず社の中へと入り、事の顛末をナギとスズシロに話す。
「やはりそのような無茶を…巫女たちと共に行かず正解でした」
「逃げても誰もおぬしを責めぬじゃろうに…まぁ、よい街の者の避難はどうなっておる?」
「街の者は流石に全員を動かす馬車もございませんので、子供や若者、職人をまずは避難させまして今街に残っておりますのは年寄りと防人、文官だけにございます」
「カルンは?」
「王太子様は他の文官と共に残っておいでです。神子様が逃げないのにどうして自分が逃げようか…と、男のくせに中々立派なお心構えで、慌てふためいていた文官たちにも見習ってほしいものです」
「全く…あやつは自分の立場というものをわかっておらぬ…」
「それを神子様がおっしゃりますか……」
何故年寄りを逃がさないと憤慨する者は残念ながらそこの世界にはいない。そもナギの言っている年寄りとは四十五十の者だ…それを年寄りといっている時点で察せるであろう。
そしてこの世界で重要なのは先を行く者…であれば、年寄りが残るはワシを含め当然の事である。
とりあえずナギが実に恨みがましく何か言ったのが聞こえたが、努めて無視をして話を続ける。
「ふむ、では半月ほどは避難しておいて貰うかの」
「あの魔物はセルカ様が成敗なさったのであれば、呼び戻しても良いのではないでしょうか?」
「あれは一匹じゃと思うのじゃがの、アレが暴れたおかげで他に影響がないともいえんからのぉ…」
「なるほど…あんなモノが幾匹もいては敵いませぬが、一匹とも限らないのでは…?」
「確かにその懸念は最もじゃが…ちと待っておれ」
よっこいしょと立ち上がり裏手の広場に出て、馬に括り付けたままの赤晶石を持って社に戻る。
「これが、あやつが一匹である証拠じゃ」
「あの魔物の魔石…でしたが、それがなぜ一匹の証拠なのでしょうか?」
「んむ、魔物の魔石とは実は違っての…これは晶石というものでな、中身はほぼ同じじゃがこれは魔石に比べ鉱石に近いと思っておればよい」
「ど…どういう事でしょうか、あれは魔物ではないと…?」
「ふむ、その辺りはまぁ、定義が決まっておらぬから何ともいえぬが、マナの塊を核にしておるという事であれば魔物もアレも同じモノじゃな」
「な…なるほど…」
恐らくはアレは魔物というよりもスズリに近いモノだろう、マナが集まってできた何か…確かカカルニアのお伽噺ではそういうモノを精霊といっていたか。
なればアレはさしずめ炎の精霊か溶岩の精霊といったところだろうか…うむ、アレが不撓不屈の精神の持ち主でなくてよかった……。
「話を元に戻すとするかの。これをよく見てみい、よう澄んでおるであろう?」
「確かに…これほど綺麗なモノは水晶でも見たことはありません」
「うむ、ヒビも無く濁りもない、これは長いことゆっくりとほんにゆっくりと少しずつマナが結晶化した証拠じゃ、そうじゃな…っとおぬしはちとこっちにの」
腕輪の中にある晶石を取り出すのをごまかす為に胸の谷間に手を突っ込もうとして、そこで寝たままの子狐のことを思い出しすぽんと優しく引っこ抜いて膝の上に乗せ、改めて手を突っ込み両錐晶石をそこから取り出したように見せる。
「これも透明度が高い方じゃが…これに比べれば多少濁っておろう? これは…そうじゃな一巡りくらいで出来た晶石じゃろうの」
「こちらは薄緑…ですが…」
「ん? あぁ、そうじゃな。マナ本来の色はワシの持っておる方、薄緑色が正しいのじゃ。そっちのでかいのは火の因子が強いからそのような色になっておるのじゃ」
「マナに色があるとは……」
「誰にでも見える程に濃いマナであれば、最悪死人がでるからのぉ…」
ワシの言葉を聞き、ガタガタッと音を立ててスズシロとナギが晶石から距離を取る。
「晶石のように結晶化しておったら大丈夫じゃよ、不用意に触ったり体の弱い者でなければ…の」
「な…なるほど……」
「またも話がそれてしもうたが…これほどの大きさで濁りも無くヒビも無く成長するまでには……うーむ、地脈がどうなっておるかは分らぬが、この辺りのマナの量を考えると千や万の巡りはかかるかもしれんのぉ……」
「それほどまでに…」
スズシロかナギか、ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえる。千や万の巡りなど想像もつかない域であろうし当然の反応だろう。
もちろん、それは地脈の太いまず移動しない部分で出来ればの話であって、もし頻繁に動く枝葉のような部分であったのならばもっと…そこまで来るとどれほど時間がかかるかわからない。
「ところで…セルカ様、これはもう魔物? になったりはしないのでしょうか」
「スズシロは魔石が魔物に戻ったという話は聞いたことあるかえ?」
「いえ、そのようなことは皆目」
「であれば大丈夫ということじゃ」
スズシロはあからさまにホッとして胸を撫で下ろしているが、それを笑うことは出来ない。
ワシとしてもこのような例は初めて、彼女に大丈夫だといったものの確約は出来ないし、もし彼女と同じ立場ならありえないだろうと思っていても同じことを聞いたはずだ。
正直こんなのがホイホイ現れては困る。ワシだからこそ近づけたのであって普通は近づいただけで命を奪われる。
そんなのに勝てだのいう奴がいれば後ろからざっくり斬られても、斬った者を褒めこそすれ咎める者など皆無だろう。
「しかし…自然に現れたモノであればまた現れる…遥か先のこととはいえどうすれば……」
「ま、そんときはワシを頼るがよい、近くにおればの話じゃがのぉ」
思わずかスズシロの口から零れた言葉をワシの耳が拾い、膝の上で寝ている子狐を撫でつつさもなんでもないことの様にワシが答えれば「えっ」とスズシロとナギの口から疑問の音がダダ漏れとなった。
「んー? 言葉通りの意味じゃぞ?」
「いえ、先ほどセルカ様ご自身で、この様なものが出来るのは千も万もかかると…」
「うむ、死んでおらねば生きておるじゃろうし? 近くに居る保証なぞないが…手を貸すのもやぶさかではないのじゃよ。ま、ワシに頼り切りとなるのはどうかと思うからのぉ、アレを倒せるような物か者がおれば…いや物はまずいのぉ……」
アレを倒せるような物はマズイ、カカルニアと違いここは戦争が近いのだ…そんなところにそんな物があれば…。
今まで見たこの辺りの技術を見れば十や百ではまず大丈夫であろう、しかしそれ以上となると……「なごう留まった方が…いや…うーむ、どの程度…うぅむ……」
「セルカ様!」
「お、おぉすまぬちと考え事をしてしもうてのぉ」
「とどのつまりがどうのなどとおっしゃっておりましたが…」
「む? 口にしておったかの?」
「口の中だけでしたので聞き取れませんでしたが…いえ、それよりも千も万も先にセルカ様がいらっしゃるとはどういう事ですか? 子孫という事でしょうか?」
「んー? じゃから言葉通りじゃ、ほれワシ長生きじゃから」
「確かにマナの扱いに長けている者は長生きですが…流石にそれは長生きといって良い長さではないと思うのですが……」
「難しく考える必要は無いのじゃ。いよいよもってまずい場合は助けると思っておけば良い。一番はおぬしら自身で解決する術を見つけることじゃがのぉ…」
「あんなモノを倒す術がありますでしょうか…」
「千も万も過ごせば一つや二つはあるじゃろうて……ま、モノによってはワシが容赦なく叩き潰すがの」
「それは何故なのでしょうか?」
「簡単じゃ、約束じゃからじゃよ」
これ以上は内緒と唇に人差し指を当て、少しでもお茶目に見えるようにパチンとそれに合わせてウィンクをするのだった…。




