343手間
さわさわと木々を揺らす爽やかな風が吹き抜け、揺れる木漏れ日が心地よい。
ザクザクと踏み締める地面は、一歩進むごとに土の香りが立ち昇る。
小鳥が歌い、木立の向こうで鹿が跳ねれば完璧なのだが、その声は一つも聞こえない。
聞こえるは、木々が擦れる音とワシらが歩く音ばかり。
「ふーむ…奇妙じゃのぉ」
「えぇ…動物が一匹もいません」
木の皮が剥がした跡や獣道、居た痕跡は容易く見つかるのだが、どれもこれも一月近く経っている。
擬態虫が居るのかと思ったのだが、あの時とは体に感じるモノが違う。
ナギが曰く、昔からこの森には魔物が住み着くどころか、寄り付くことすらしないという。
理由は知らないしそれが正解かどうかは分からないが、山から吹き下ろすマナは澄んでいてそれを嫌っているのではないだろうか。
「敵意は感じぬが…なんぞピリピリはしておるのぉ」
「ピリピリですか?」
「うむ…山の方角からのぉ……こうなんじゃろう、なんじゃろうな」
「はぁ…」
スズシロは感じていないのか気のない返事、ワシがその感覚を上手く言葉にできていないからという可能性もあるが…。
敵意でも悪意でもなく、ワシを狙っているわけでもない、光を音にしたような音のない音。
そんなモノを例えろという方が難しい…だがそのように形容するしか無い。
「やはり何も聞こえませぬ」
「うむ、不気味なまでに静かじゃのぉ」
草木すら呼吸を止め生き物の音が聞こえず、絵画の中を歩いているような不気味さを感じる。
ともすれば自分たちの呼吸すら掻き消えそうな中で、ガチャガチャとグリーヴの小札同士が触れる音だけが耳につく。
今日は万が一を考えて着物ではなく、ハンターや冒険者の時に着ていた動きやすい服装。
簡易的な装甲が付いたベストにホットパンツとグリーヴ、腰の後ろにナイフを刺したこの格好がやはり一番落ち着く。
「セルカ様、今更ながらその様なお姿で大丈夫なのですか? まださして社からも離れておりませぬし」
「んむ、この格好の方が動きやすいしの」
「それはそうなのでしょうが、お肌が…」
「案ずるでない、ワシの肌はマナで強化されておるでな。それこそ刀で斬りつけられても大丈夫なはずじゃ…多分」
「それは…お止めください」
「うむ、流石のワシも試す気にはならぬ」
人であれ物であれその内に宿すマナの量が多ければ多いほど、単純にそのモノの強度は増す。
ミスリルの剣が丈夫なのはその為だし、宝珠持ちが強いのもそれが理由だ。
なれば無作為にマナを開放すれば、たちまち煌めく晶石の都市となるほどのマナを持つワシの頑丈さは如何程のものか。
とはいえ正直試す気にもならない、避けられるモノは避けたほうがいいに決まっている。何より自ら刀に斬られにいくような阿呆でもない。
それに余程の剣の達人でもない限り、ワシに一太刀あびせることすら叶わないであろう。
「しかしじゃ、スズシロの言うておる通りまだ社に近い。もっと森の奥にっ…ととと」
「じ、地震でしょうか」
「かのう?」
一歩踏み出した瞬間に地面が揺れて、思わずその場でたたらを踏む。
スズシロは少し腰を落として辺りを警戒しているが、揺れはそれ以上来ることはなかった。
地面が揺れているのだから地震なのではあろうが…まるで巨人が一歩踏み出したかのように、ズズンと地震はそれだけで収まってしまった。
「短すぎるのぉ…うーむ、これはもっと酷いのが来るかもしれん……」
「では一度社に」
「そうじゃなそれがよいじゃ…」
社に戻ろうと提案してきたスズシロの言葉に答えようとすれば、再度揺れが襲い掛かってきた。
今度も一瞬ではあるが、普通の者であれば膝を突かざるを得ない程の強烈な揺れ。
「セルカ様あれを!!」
やはり大きなのが来るかと思うのも束の間、スズシロが悲鳴のような声をあげ彼方を指差す。
指差す方を見れば今まさに天高く立ち昇らんとする、濛々とした鈍色の煙。
「むぅ…どこからじゃ?」
「道からであれば」
立ち昇る煙は見えるものの、その大元が木々に遮られて見えない。
ワシら二人はそれを見ようとスズシロの先導で、霊峰フガクへと続く道の方へと一気に駆け出す。
「あぁ…お山が煙を吹いて……」
「むぅ、噴火…かの」
霊峰フガク、その中腹辺りから噴煙が立ち昇り、その根本では赤い炎が四方八方へと吹き出ていた。
「火の口はフガクが大岩で塞いだのでは…」
「口を手で覆うとも横から息が漏れるのと同じじゃ、塞いだところで脆いところから何時かは漏れる。スズシロは早う戻って街の者の安全を図るのじゃ」
余程混乱していたのであろう、普段であればワシはどうするのかと聞くところをスズシロは、一目散に街の方面へと駆けていく。
そうこうしている間にも噴煙は高さをいや増し、山肌を溶岩が焼きながら滑り落ちる。
「見た目は派手じゃが、勢いはそうでもないのかの…?」
火山弾なども飛んでいるようだが、霊峰フガクまではそれなりに距離もあるせいで街までは届きそうにはない。
噴煙が細くなるにつれ噴火口が見えるようになるが、勢いが収まりつつある煙とは対照的に、岸壁に打ち付ける荒波のように吹き出る溶岩は留まるところを知らない。
「街まで届くか…いや、流石にそれは無いじゃろうが…」
霊峰フガクと街までの間は平坦な森が続いている、どれほど流出が続くかは分からないが溶岩自体は街に届くことは無いであろう。
しかし、火事であればどうであろうか…一応社の部分を除いて森と街との間には塀がある。
しかし塀自体も木でできている上に生木と違って乾いていると来れば、一度火が付けばどうなるかそれこそ火を見るより明らかだろう。
「うむ…山火事はよく広がり、消すは不可能と聞くしの」
何よりこの森が燃えてしまっては、子狐たちの帰る所が無くなってしまう。
流石に溶岩を止め火災を止めることは不可能だが、延焼を防ぐことは出来るはず。
右手を魔手へ、スズシロが駆けていった方向とは真逆、霊峰フガクへとスズシロの数倍の速度でワシは駆け出すのであった…。




