340手間
八日続いた長雨も止み前と変わらぬ、吹き出す湯気で煙る澄み切った青空が拝めるようになった。
先日の地震では落ちてきた物で怪我をした人はそれなりに上り、家屋も倒壊した。
だが幸いなことに重症の者はおらず、倒壊した家屋も古く倉庫として使われているモノが崩れただけで、死者は一人も出なかった。
「ふむ…平屋ばかりなのが幸いしたかのぉ…」
「巡回の防人を増やしていたお陰で怪我をした者への処置も早く、酷いことになる者もおりませんでした」
「んむんむ、じゃが地震は続くことも多いからのぉ。しばらくは気をつけることじゃ」
「かしこまりました」
スズシロからの口頭での報告を受け、被害が少なかったことに顔を綻ばせる。
襖を開けて街の様子を直接確認したいところだが、朝から無事を喜ぶ参拝客が多く詰めかけており。
万が一見つかれば大騒ぎになるのは目に見えているので、覗きたくなる気持ちをぐっと抑える。
「皆が無事なのも全ては女神様、そして神子様のご加護あってこそでございます」
「う、うーむ…」
この世の誰よりも女神さまとの繋がりが強いであろう故に、ナギが拝むのを強く止めれず曖昧な笑みを返す。
ナギが拝んでいると必然と他の巫女たちも、終いには侍中たちも拝み始めるとまるでご神体にでもなった気分だ。
流石に逃げることも出来ず曖昧な笑みが苦笑いに変わる頃、タシタシとちょっとお話がありますとばかりに、前足でワシのふくらはぎ辺りを叩くコハクに目を向ける。
「むぅ? どうしたのじゃ?」
ナギたちもコハクの行動に気付いたのだろう、拝むのを止めコハクに注目している。
注目され照れた訳では無いだろうが、コハクはワシの足を叩くのを止めトテトテとワシから離れ、ちらりと振り返ってはまた離れを少しづつ繰り返す。
「ふむ…着いてこいというわけかの」
よっこいしょと心のなかで呟きつつ立ち上がり、ちらちらと後ろを振り返るコハクの後をついていく。
ついていくといっても広いながらもそこは室内、すぐに目的地へとたどり着く。
「ふむ? ここを開けよというのかえ?」
こやんと鳴きつつワシの足を叩いたように、コハクが前足で叩くのは入り口とは反対側、方角的に言えば霊峰フガクがある側の襖。
そういえばこちら側は開けたことがなく、部屋があるのか何があるのかすら知らない。
「のうナギや、こっちの襖は開けて良いのかえ?」
「もちろんでございます」
「では遠慮なく」
スパンと両手で勢いよく襖を左右へ開ければ、青々と茂る森を一直線に切り裂くように伸びる道。
その道の先には威風堂々と佇む、山で出来た盆の中に小さな山が入ったような特徴的な頂きの霊峰フガク。
「おぉ、これは何とも絶景じゃなぁ…これほどの景色を拝めるのであったのならば、今までこちらを開かなかったのが悔やまれるのぉ」
「こちらを開けることが出来るのは、神子様ご本人か神子候補の者だけ…それと選定の儀の際以外は、言及することも禁じられておりますので」
「ほほう、そうじゃったか。ふーむ、それにしてもコハクはこの景色を見せたかったのかえ?」
コハクはワシの問に応えること無く、トコトコと開けた襖から外へと歩いて行く。
社の裏へ出るだけなら別にこちらをわざわざ開けさせる必要なく、勝手口をいつものように開けそこから回り込んで裏へと行けば良い。
そんなコハクの不思議な行動に首を傾げている内に、当のコハクは社の裏手、木々が伐採されすこし広場となったところから道へとなる境あたりまで進むと、こやーんと一際大きく鳴き声をあげる。
「キツネでも遠吠えをするのかのぉ…」
ぼんやりと少しずれた感想を抱いていると、木々の間からぞろぞろと沢山の狐が沸いて出てきた。
その数は十匹…いや、その十匹の狐に守られるように一回りも二回りも小さな子狐が数十匹、ヨタヨタと下生えの間から這い出てきた。
「おぉおぉぉ」
親子の集団なのだろうか、親がコハクとまるで井戸端会議の様に鼻を突き合わせている間に子どもたちは、コロコロとじゃれ合うように団子になって転がっている。
そのとても愛くるしい姿に、嗚咽とも感嘆の声ともつかぬ音を喉から漏らし打ち震えていると、話し終えたのかコハクと親たちはじゃれ合う子どもたちにこやんとひと声かけてこちらへと向かってくるではないか。
「この巡りに生まれた子たちを、ワシに紹介するためじゃったのかえ?」
親たちに囲まれながら、ぴょんぴょんヨタヨタとじゃれ合いつつも、こちらへ向かってくる狐の集団に相貌を崩しすっと腰をかがめる。
するとワシが腰をかがめるのを待っていましたとばかりに、ワシめがけて狐たちがワッと突進してきた。
「セルカ様!」
「神子様!」
狐たちの突進程度ではワシは微動だにすることはない、しかしそれで跳ね返った子狐が怪我をしてはいけない。
なのでパタンと後ろへ倒れ込むように、子狐たちを優しく受け止め床へと転がる。
「あぁああセルカ様、お召し物が!」
「お? おぉお」
折しも先日までの長雨で地面はびちゃびちゃ、そんなところを転がっていた子狐たちを受け止めたらどうなるか。
着物は泥だらけ、おまけにかわいい足あと付でだ…しかし子狐たちはそんなことお構いなしにワシの上で遊ぶものだから、着物は見るも無残なことになっている。
流石のナギたちも子狐をワシの上からどけようと近づいてきたのだが、何故か親狐たちがナギらを威嚇してワシに近づけようとしない。
「み…神子様」
「ほれほれ、おまえたち。そろそろワシのうえからどくのじゃ」
「はーい」とでも言ったのか、きゅあんとコハクたちよりも甲高い鳴き声をあげると、ゾロゾロと子狐たちはワシの上から退いていく。
「よしよし、お利口さんじゃな。ナギや、温泉は問題なく沸いておるのじゃったな?」
「あ、はい。いつでも入れます」
「んむ、ワシもおぬしらも泥だらけじゃし温泉にはいるかの?」
今度は親狐も一緒にきゅあん、こやんと返事をするのでコハクら狐たちを引き連れて、社務所がある側とは反対側の勝手口を開ける。
「すまぬが掃除を頼むのじゃ…」
「神子様はお気になさらず。ほらおまえたち、神子様の湯浴みのお手伝いに行きなさい」
ちらりと振り返れば社の綺麗に磨き上げられた床はどろだらけ、流石にこれはと謝るがナギは気にするなと首を振る。
そのナギに言われ何人かの巫女が狐御一行に加わり…といっても親狐が威嚇するので少し離れてになるが、突然の大所帯で外から見えぬよう目隠しされた、渡り廊下を進み温泉へと向かうのだった…。




