338手間
約一月半ぶりに社に戻れば、初めてきたときの様にズラリと並んでワシを出迎える巫女たち。
しかしあの時と違うのは、ナギの表情が不安そうだということだろうか…。
「出迎えご苦労じゃったな、それにしてもナギよ随分と浮かぬ顔じゃが、あんぞあったのかえ?」
「神子様には不要な心配をお掛けして、まこと申し訳ありませぬ…」
「よい、気にするでない。それよりもなんぞあったか話してみるがよい」
「恐れながら…実はこの街の湯気の量が減ったのが気にかかっておりまして…」
やはりというかこの街に住む者からしても、あの湯気の量はおかしいと感じるらしい。
それも出迎えの際に、不安な顔をするほどにまで…。
「ふーむ、湯気の量程度で…と言いたいところじゃが、よほどなのかえ?」
「はい…多少湯気の量が上下することはありますが…ここまではっきりと減るのは生まれてこの方……初めてでして」
「しかし自然が相手じゃ。知らぬからといって無闇矢鱈に不安がる必要も無いじゃろう。とはいえ普段と違うというのは、人を惑わすには十分じゃからの。スズシロや防人に普段より巡回をしばらく強化するように伝えておくのじゃ。怯える者や狂に走るものが居ればワシが心穏やかに過ごすよういっていたともな」
「かしこまりました。セルカ様からの言葉とあれば、民も心落ち着かせることでしょう」
「うむ、頼んだのじゃ」
こういう時は不必要に怯えて周りを不安がらせる者、世界の終わりだーなどと叫ぶものが出て来るのはお約束。
流石にそれは物語の中だけとしても、自然科学が発展していない世の中であれば嵐ですら神威なのだ。
あまり権力の座というのに座りたくは無いものだ。
しかし、いざという時に音頭が取れたり、人を落ち着かせることが出来る立場というのは、ありがたいのだから痛し痒しである。
「ところでスズシロ、ナギや、災害の備えはどうなっておるのじゃ?」
「災害…ですか?」
「うむ、大嵐やら地震やらで被害を被った際のじゃ」
「自然のモノですから、私どもがどうこう出来るようなモノでもないので…」
先程のワシの言葉を防人に伝えるための指示を侍中へと終えたスズシロが聞き返し、ナギが答えるが二人の反応から鑑みるに、災害への備えも知識も無いと見ていいだろう。
「ふーむ、では不作の際の備蓄などは、どうなっておるのじゃ?」
「それは各々が勝手に、いざとなれば森に狩りに行けばよいのですし」
これだから脳筋の狩猟民族は!
地質学なぞ当然ワシ含めて知らないので、温泉の湯気の減少が何に根ざしているのか分からないが地の中のことだから地震、最悪噴火の可能性だってある。
もちろん杞憂であればそれに越したことは無いが、この街の様に木造建築が密集している地域で地震が起これば大火になるは想像に難くない。
「ふむ…それはいかんの。んむ、そうじゃな…どこか倉庫でもあれば、人々の生活に影響がない程度に保存できる食料を集めて欲しいのじゃ」
「防人が森に狩りに行く際の保存食でしたら御座いますが…」
「ほほう…それはどの程度あるのじゃ?」
「詳しく数えておりませんが、貧しい者の足しになるようにとどの街でも常に買い上げておりますのでそれなりに」
「それは良いの!ではそれを、万が一なんぞ合った場合に民に提供できるよう防人たちに言っておいて欲しいのじゃ」
「かしこまりました」
なるほど、狩猟に生来特化してる故に貧しくとも幼くとも狩りはできる。その者たちの生活の足しになるような制度とは、考えたものは良い奴だ。
「しかし、セルカ様…万が一とは一体、備えるということはこれから起こるということでしょうか?」
「万が一というのは地震などじゃな、万が一が無くとも備えあれば憂い無しじゃ。戦うことが無くとも刀は常に研いでおくものじゃろう?」
「なるほど…」
「それと地震などで家が倒壊した際は、それで家を失ったものの為に境内を開放するのじゃ、もちろん男女の区別無くの」
とりあえず備蓄の確保、避難先の確保、現状でできるのはこのくらいだろう…個々人に警戒を促すのはいらぬ不安を煽るから今のところはせずともいいだろう。
「ところで、この辺りで地震はどの位の頻度で起きるものなのじゃ?」
「一巡りに二、三度といったところでしょうか。大きくとも棚の上の物が落ちてくるくらいで」
「ふむふむ、であれば変に混乱はせんであろうな…」
小さくとも少なくとも経験しているというのは、万が一の際に明確な差となって現れる。
「よし、では暗い話はこれまでじゃ。帰って来て早速じゃが…湯浴みの準備を頼むのじゃ」
「申し訳ありませぬ神子様…湯気と一緒に湯量も…」
「な…なんじゃとー!」
アボウの街からここへの道中、万が一の為と宿場に寄らずに帰ってきた。
なのでここでの温泉を楽しみにしていたのだが、湯気だけでなく温泉も湧くのが止まってしまったという。
流石にこれはナギはもちろん、ワシもどうこうできる問題ではないので、がっくりと膝をつき仕方がないとふて寝を始めるのであった…。




