334手間
ふわふわと目の前で揺れる飴色の綿菓子のような耳。
もちろんそれは砂糖菓子などではなく昨日やって来た文官のモノ。
名はウチギ、スコティッシュフォールドの様にペタンと垂れた耳は、本人の可愛らしさもあって大変愛くるしい多分猫の獣人。
それが話をする度にふわふわと揺れるのだ、胸に頭を抱いて撫でたくなる衝動を我慢したワシを、誰か褒めて欲しい。
「武官だけでなく文官の様にも振る舞えるとは…すばらしいお方だ」
「囃すでない、このぐらいは読み書きと計算が出来れば誰でも出来ることじゃ」
引き継ぎといってもそう大したものではない。正直にいえば「後よろしくね」の一言で片付く程度。
領主まで回ってくることなぞ、大抵は承認か否かを判断するだけの、文字通り判を押すような仕事ばかり。
ワシが書類にまとめたのも、ワシでは判断がつかぬ問題と適当にまとめた数字ぐらいなもの。
「ご謙遜を、まるで長いこと政に携わってきた者の様に要点をしっかりとまとめられておられて…えぇ、お手本にしたいくらいです」
「ワシのをお手本にするより、おぬしの方をお手本にするのがよいじゃろう? 領主代理を任されるほどなのじゃからのぉ…」
「しかし…領主代理をその場の身分の高い者が執り行うのは、領主の空席に下手な者が入らないための処置だから実際に仕事する必要は無いはずだけど…」
「ん? 何かいったかの?」
「あ…いえ、ただの独り言ですのでお気になさらず」
ウチギが小首を傾げて耳をピクピクさせるものだから、それに目を奪われて何か言っていたのを聞き逃してしまった。
引き継ぎの書類を見ながらだから、そのことについてだろうと一人納得する。
「ところでセルカ様」
「なんじゃ?」
「領主代行のことを何方にお聞きになられたのですか?」
「あー、確かスズシロじゃったかのぉ。本人はさっぱりじゃからとワシに仕事を押し付けおってのぉ…」
「あぁ……あの方でしたか」
「それがどうしたのかえ?」
「いえ…セルカ様がお気になさるようなことではないですので」
「そうかえ」
ワシの言葉を聞いて、ウチギは納得がいったような決意したかの様な顔になったのだが…やはり何ともいえぬ愛嬌が滲み出ていて眺めていると相貌が崩れてしまう。
「さてと今日からこの屋敷の主はおぬしじゃな。これで心置きなくワシも社に戻れるのぉ」
「セルカ様! 明日明後日にはお客様が来られますので、それはまでは」
「おぉ、そうじゃったそうじゃった。ふむ、ではスズシロに良い宿でも探してきてもらうかの」
「何をおっしゃいますか、私など使用人の使うような部屋で十分です。セルカ様はどうぞこれまでと同じ場所をお使いくださいませ」
「それでは領主代理の格好がつくまい?」
「誰がやろうともセルカ様の後であれば、格好はつきませぬ。それにセルカ様を追い出したとあっては末代までの恥でございますれば」
確かに即座に人を追い出したとすれば、外聞が悪いことこの上ない。
「おぉそうじゃ。せっかくじゃしこの後、一緒に風呂でも入らぬかえ? ここの風呂はなかなか風流でのぉ」
「いいいいいいえ、せっかくのお申し出ですが、えっとその悪いですので、あぁ! 一緒に入るのがイヤとかそうではなくてですね」
「ふふ、そこまで慌てずともよい。確かにいきなり他人と一緒に風呂というのは難しかったの」
「あ、ありがとうございます」
ポンッと桃色の粉でも叩いたように顔を赤くさせて慌てる様に、もうちょっとからかってやろうかと悪戯心が湧き出るが、流石に可哀想かと思いとどまる。
「では、ワシは部屋に引っ込むとするかのぉ。あとは任せたのじゃ」
「はいっ必ずやご期待に」
「ではのー」
のんきな声とウチギを残し部屋を出て、ポカポカ陽気が差し込む縁側を晴れて書類仕事から解放されたと、スキップしそうな足取りで部屋に戻る。
あとは明日か明後日にくる客人、それが面倒事を持ってこなければとポカポカ陽気を吸い込んだ尻尾を枕にくぅくぅと昼寝を始めるのだった…。




