3409手間
ぷんぷんと擬音が付きそうな様子で急に首を傾げたことに怒るアラクネの子に笑いながら謝り、彼女を支える手でそのまま膝の上へと降ろしてやる。
ワシの頭に再びよじ登ることなく、そのまま膝の上に居座ることにしたらしいアラクネの子の髪を優しく梳いてやれば、随分と心地よかったのかそのままスヤスヤと眠り始めた。
「幻術を使うと言うのは、随分とマナを使うのだろうか」
「いや、この子のマナの量は、幻術を使用したところでさしたる変化はないからの、単純にここまで来るのに疲れたのじゃろう」
元の量が分からないので何とも言えないが、少なくとも疲弊している状況で下手な大人よりもマナの量はある。
マナの量とは即ちその者の体力を示すものであるが、総量が多いから単純に疲れづらいという訳でもないのだろう。
「それにしても、その姿を見たらカールが嫉妬しそうだな」
「今更、こんなことに嫉妬するような頃でもあるまいて」
膝の上に幼子を乗せてあやす姿は正しく母親のようであるが、カールもクリスが揶揄うような頃合いはとうに過ぎているであろう。
無論、ワシからすればまだまだ小さくかわいいカールのままであるが、カールもワシにこうされる事を望むことはもうないだろう。
「ともかく、幼子のような言動であるが、実際この子がどのくらい生きておるかはワシも分からぬからの? 存外クリスよりも上やもしれんぞ」
「まさか、流石に僕より上の振る舞いではないだろう」
「さてどうかのぉ、長命な者の中には、長く幼い頃を過ごす者もおるからのぉ」
クリスにはそんなことを言ってみたが、逆にヒューマンより圧倒的に短い可能性も十分にある。
少なくともこの子は自分がなかなか大きくならないと言っていたので、彼女の過ごしてきた巡りの数で、アラクネの命数の長短を計ることは難しい。
「なんにせよ、ワシよりは下なのは間違いないがの」
「それは分かるのかい?」
「なんとなくではあるがの。とはいえ小川の底を見て、石が荒いからこのせせらぎは近くできたモノじゃろう、というようなものじゃがの」
ぼんやりとした感覚であるし、クリスたちと比べてさして変わりないから、この砂粒の大きさは一緒くらいだと言うぐらいな比較であるので、クリスたちとどっちが上か下かはやはり分からない。
「とまれ、そんなことよりも、ここにきてしまった以上、アラクネを周知せねばならぬであろうて」
「来た以上はそれなりに遇せねばならないが、その分の責任も負わねばならないだろう?」
「然りであるが、幼子はまだ庇護されておるべきであろうて」
言うなれば彼女は新たな獣人の種、アラクネの孤児である。
今は諸々の七面倒くさい責を負う立場などではなく、ワシら大人の庇護を受けるべき存在だ。
とはいえ孤児なれば孤児院に預けるのが道理なのだが、はっきり言って現状で彼女が受け入れられることは確実にない。
上半身は、貴族の間でも見ないほどのハッとする美少女であるが、下半身はまごうことなき蜘蛛なのだ、ただの蜘蛛に嫌悪感を示す者の数を思えば、幼子が集まる孤児院に放り込めばどういう扱いを受けるかは目に見えている。
「幸いなことに彼女らは人里離れ…… てはおらぬが、人除けの幻術で人を避けれることが出来るのじゃ。今回のような事が無ければ不意に出遭うこともないじゃろうし、ゆっくりと周知してゆけばよいじゃろう」
「そうだね、今のところこの子だけなのだし、無理に放り込む必要もないか」
放り込むと言えば、新たな種に対する諸々の事を放り投げてたことを思い出し、頭を悩ませる者たちには悪いが、もう人里に出てきてしまったという一報を入れねばならないなと、クリスと共に苦笑いしながら、苦虫を嚙み潰したような表情の文官に伝えるのだった……