3383手間
名残惜しそうな近侍の子らの視線を尻尾に受けながら森に入れば、まるで壁一つ隔てたかのようにピタリと音が消え、まるで森を描いた絵画の中に入り込んだかのような気分にさせる。
騎士たちの報告にあったように、いや、それ以上に森の中に音はなく、小動物が駆けまわる音や小鳥の羽ばたき一つ聞こえない。
「ふぅむ、これは一体どういうことじゃ?」
確かに森に入れば外の音は聞こえづらいが、それでも森のすぐ外苑であればさほど違いはないし、何より一歩踏み入れた途端なんて言うことは無い。
それにこの感じは覚えがある、あれはホブゴブリンの巣、あの遺跡の近くの森に似ている。
ならばと後ろを振り返ってみれば、近侍の子らや騎士たちの視線はしっかりとワシを捕らえており、あの幻術のようにこちらを惑わせるような効果はないようだ。
しかし、彼女たちが口にしている言葉は聞こえず、幻術であろうが呪術であろうが、魔法的な契約などが一切効かないワシの耳にすら届かないとなると、厚い布のように単純に音を遮断しているのだろう。
「前の幻術は音は通しておったが、こちらは音を通さぬかえ。しかし気配は同じとなると、アレも自然にできたモノではなく、同じ術者か系統の術ということかの」
とはいえ向こうはワシ以外間違って足を踏み入れるなどと言うことは無いので、何者かの縄張りに入り込むという意味では、音だけ遮断するこちらよりは安全だろう。
それでもやはり、音を遮断するだけというのは獲物を狩るための罠としては、かなり弱いと言えるだろう。
「やっておることは高度じゃが、効果は実にささやかなモノなのが実にちぐはぐじゃのぉ」
ワシですら中に入ってようやく違和感を感じる程度の術、これだけの技量であればもっと複雑なことが出来そうであるが、下手に強固にすればそれはそれで注意を引くものであるし、静かに過ごしたい者であればこの程度ぐらいが丁度よいのか。
だが静かに過ごしたい者には悪いが、ワシの縄張りの中にあり、そして見つかった以上は確認する必要がある。
報告書にあった遭遇地点を頼りに先に進んでいけば、なるほど、巨大な蜘蛛が居たような形跡があちらこちらにある。
「じゃが、人がいた痕跡はないのぉ」
人、もしくは人型の魔物が居たのならば、そこには必ず足跡などの痕跡が残る。
しかし、ここには巨大な蜘蛛が居た痕跡だけがあり、騎士たちが見た人の姿は、恐らくは蜘蛛が見せた幻術か何かだったのだろう。
だがそれだとますますそんなことをしている意味が分からない、人の姿で獲物を釣って捕食するならば分かるのだが、わざわざ獲物を逃がしているのだ、一体何が目的なのか本当に分からない。
「とはいえ魔物相手では話も出来んしのぉ」
明確な意識があるのであればある程度は意思疎通ができるが、魔物は何と言えばよいのか微妙にその意思が分かりづらく、こちらの意思も届かないので意思疎通が出来ないのだ。
もし普通の蜘蛛のような動物であり、ある程度の知能があるとすれば意思疎通は出来ると思うのだが、何にせよ会ってみなければ文字通り話は始まらない。
「ま、会ってみれば分かるじゃろう」
周囲に他の痕跡は無いかと見まわしていると、ふと視界の端に白い糸が見え、木の枝に引っかかっているそれをひょいと跳び上がって掴む。
それは一瞬ワシのような白銀の髪の毛のようにも見えたが、光にかざせば虹色に反射し、蜘蛛の糸のようにも思える。
「ふぅむ? なかなかに頑丈そうな糸じゃが、なるほどマナが込められておるのじゃな」
マナが込められているならば丁度よい、これを頼りにマナの持ち主を探ればよいと森の中へと広がるようにワシのマナを薄く広げ、この糸のマナと同種のマナを探るのだった……




