314手間
宿の居間、そこに置かれた座卓の上にこれでもかと、豪勢な料理の数々が並ぶ。
昼間から、これほど豪勢な食事をしてもいいものかという罪悪感と共に、昼でこれなら夕食はと否が応でも期待が高まるというもの。
「さてさて、それではいただこうかのぉ」
見た目からして殆どが蒸し料理のようで、温泉の蒸気で蒸したからかほんの僅かに硫黄の香りがする。
しかし、それも嫌な臭いという訳ではなく絶妙な具合に食材の香りを立てて、腹の虫を刺激する。
「ふむ…これからいこうかの」
肉や野菜、川魚故か唯一といってもいい焼きで出されている魚に混じって見慣れない食材がありそれに箸を伸ばす。
色や形は細長くした筍だが、じゃがいもの様に中はぎっしりと身が詰まっており、ワシの知る食べ物では無いことは確かだ。
「ほふほふ…ほほぅこれはまた不思議な食感じゃのぉ」
シンプルに豆の塩漬けだけで味付けされたそれは、ぎっしりと引き締まったじゃがいもの様であって、歯を立てる度にほろほろと崩れる不思議な食感。
「それは木の根を蒸したものに、豆の塩漬けを和えたものでございます」
「ほほう、木の根とな」
「はい、この近辺で採れる灌木の若い根でございます、よく出回っているものは畑で採れたものですが、本日用意されておりますのは森で採ってきたものでございます」
「ふむ? やはり違うのかえ?」
「はい、畑のものは細く小さく固いのですが、森で取れたものは柔らかく食べやすいのです」
「なるほどのぉ」
スズシロはその後も箸を出す料理全てに解説を仲居のごとく挟んでいたのだが、一体いつの間に料理の説明などを聞いたのだろうか。
そんなスズシロの解説を合の手にポンポコ舌鼓を打つ食事も終わりることしばし、のんびりとお茶をすすっているとスズシロが声をかけてきた。
「セルカ様、温泉に行きませぬか?」
「温泉とな…ふむ…」
今の頃合いはせいぜいおやつでも食べようかといったところ。確かにこのところ体を拭く程度で済ませていたので温泉に浸かるというのは魅力的だ。
しかし、今からのんびり浸かったところでのぼせる直前にあがっても、夕飯まではそれなりに間は空くちょっと中途半端な時間ではないかと首を傾げる。
「宿の主人に確認したところ、今日はこの頃合いがよいとのことでしたので」
「宿の主人がとな…?」
温泉とは自然のもの、もしかしたら湯量や温度などが日によって違うのかもしれない。
それを今が頃合いと、他でもないこの宿の主人が言うのだから間違いはないだろう。
「なれば行くとしようかのぉ」
「かしこまりました」
着替えやら何やらを小脇に抱えるスズシロを従え、浴場へと向かう。
脱衣所はこの宿の人気の高さを伺わせる広々としたスペースで、棚に置かれている籠が所々乱れているところから他にも客はいるようだが、今はどの籠も空っぽで丁度誰も居ない頃合いに来れたらしい。
「さてと、ここの温泉はどんなもんかの」
ガラリと脱衣所の引き戸を開ければ目の前には広々とした洗い場と湯船、そしてそれらを合わせても尚足りぬ更に広々とした広場が湯船の奥に広がっていた。
一先ず体を洗う前に、覗きなど大丈夫だろうかと心配になるほどの広場を見に行く、しかし広場へは湯船のすぐ近くにある柵によってそれ先に行けないようになっていた。
「ほむ…確かにこの珍妙な光景は中々のものじゃな…」
場所を知らねばまるで磯辺と勘違いしそうな程に似た、豚鬼が洗濯でもしそうな黒黒とした岩場がそこにはあった。
この岩場は何処まで続いているかと、視線を巡らしよくよく見ればこの立入禁止となっている広場は、ぐるりと塀で囲まれていて外部からの視線も侵入も防いでいるようだ。
「スズシロが言うておったのはこれのことかの? なるほど確かに見事な奇岩じゃ」
「これもで御座いますが…まだの様ですので先にお体をお流ししましょう」
「ほう…まだとな」
ここまで何があるのか徹底的に秘しているのだ、聞くのは野暮だろうと大人しく体を洗ってもらい湯船につかる。
湯に浸かり程よくふにゃりとふやけてきた頃、岩場から湯けむりが立ち上りはじめた。
「おぉ…」
その煙の量は昇竜もかくやと思わせるほど、そうと知らねばすわ火事か噴火かと慌てかねないくらいだ。
「始まったようで良かったです」
「ふむ?」
スズシロの口ぶりからすれば、この湯けむりは文字通りなんぞやの開始を告げる狼煙ということだろうか。
首を傾げているとほんの僅かに湯を揺らす振動が感じられ、ゴポリゴポリと異音がするので岩場を覗き込めばその直後、岩場の中央付近から天に向かい勢い良く見事な水柱が立ち昇る。
「お…おぉ…これは凄まじいのぉ」
「私はもっと規模の小さいものは見たことはあるのですが、ここまでとは…」
スズシロの言っていたいたのは間欠泉、それもそんじょそこらのとは違い、背の高い木々も悠々と越す水量が天を突く槍が如くに吹き出ている。
「確かにこれはスズシロが、期待しておれというのも頷けるものじゃのぉ」
「御気に召して頂けたようで何よりです。宿の主人によれば噴出するのはこの頃合いとのことなのですが、間隔が数日前後するらしいということでしたので…」
「ほほう、それは運が良かったのぉ」
パラパラと驟雨のごとく降り注ぐ、間欠泉から吹き上がった水がほてった体に心地よい。
「ここはフガクの洗い場と言われている場所でして、これが見れたのもまさしく女神様の思し召しかと」
「んむんむ、確かに縁起がよいのぉ」
半刻は続くという自然の噴水に、まだまだ見ていたい気もするがどうやらこれを見に宿泊客が押し寄せてきたようで、それならばゆったりとはもう出来ないなとそそくさと部屋に帰る支度を始めるのであった…。




