3197手間
全力の一撃をと言ったからか、目の前の男は大剣を殆ど背負うような形で振りかぶり力を溜める。
常の者ならばたとえ布を巻かれた剣であろうとも、必死の一撃となるであろうがワシにとっては警戒するに値しない。
ワシはそれに対し構えることなくゆっくりと目を瞑れば、それを合図としたかのように裂帛の叫びと共に剣が振り下ろされる気配を感じ、カッと目を見開く。
「ふむ、おぬしもその程度かえ?」
ワシが目を見開いた瞬間、男はビクリと体を跳ねさせるように揺らし、剣を振り下ろす途中で動きが止まり裂帛の気合を発していた口からは苦悶の声が漏れる。
何をしているのかと、普段ならば観客たちから野次が飛ぶところやもしれぬが、それどころか今はシンと静まり返っている。
それもそうだろう、何せそうならないためにワシが手を打っているのだから。
「お、王太子妃殿下、いったい何、を……」
「なに、ちょっと殺気を飛ばしただけじゃよ」
身を震わせながらも、何とか口を開いた審判がワシにたずねてくるが、何をも何もただ単に殺気を飛ばしぶつけただけである。
そして彼がたずねてきたように、殺気なんてものは目に見える訳でもなし、観客にも分かりやすいように、彼らにも殺気を飛ばしているのだ。
無論、戦いに縁のない者たちだ、目の前の男のように全力で振り下ろしている剣を止めるほどの殺気をぶつけては、それこそ命に関わるかもしれない。
なので観客たちにはかなり抑えた殺気を当てているのだが、それでもどうやら泡を吹いて倒れている者もいるようだが。
「ふむ、少し可哀そうなことをしたかのぉ」
その言葉に自分も含まれていると思ったのか、獣人の男は恐怖を振り払うかのように叫び声をあげて、止まっていた剣をさび付いた歯車のようにぎこちない動きで振り下ろしてくる。
「うむ、及第点といったところかの」
当然そんな剣をどうにかするなど容易いもので、軽く触れるだけで簡単に軌道を逸らされ、力なく地面へと剣は落ちる。
それと同時に殺気を散らせば、男はどさりと膝からくずおれ剣を手放し、地面に両手を付けて荒い息を吐く。
「気を失わぬところも良しじゃな」
「し、死ぬかと思った」
「流石にそこは加減しておるから安心せよ」
「小さい頃に森で熊と遭ったことがあるけど、その時より怖かった」
「それはそうじゃろう」
多分熊も殺意を以て殺しにかかっている訳でもないだろうし、その恐怖は単純に怖かったからだろうが、今回は殺すという意識を直接ぶつけているのだ、その恐怖はその時の比ではないのは当然だと、未だにうずくまる男を前にワシは得意げにふんぞり返るのだった……




