298手間
混乱を回避するためと言われ、皇都から少し離れたところで都内に入れる牛車へと乗り換える。
車の見た目はまさに絵巻に出て来るアレそのもの。引くのも牛車の名の通り牛の様な生き物。
黒塗りに金の装飾が施された、シンプルながらも豪奢な車体。それをこれまた黒毛が艶やかな、引き締まった体の美味しそうな牛が引く。
この牛車の中は狭く、横幅はワシの尻尾でぎっちり埋まるほど、高さはワシの頭が付くかどうかといったところで、前後はワシとスズシロが向かい合わせに座って間に少しお茶菓子がおける程度、そしてその僅かな隙間は狐が埋めてしまっている。
かなり狭いと感じるのだが前後の入り口に簾がかかり、ぼんやりと外の景色が見えるため、それほど閉塞感を感じることはない。
そしてどういう理屈かは知らないが、中からは外がぼんやりとはいえ見えるのに対し、外からはしっかりと中は見えないようになっている。
「なんぞ今日は、晴れの日じゃったのかの?」
「ある意味そうかも知れませんが、我が国随一の都ですのでいつもこの様なものです、雨の日以外はですが」
文字通りの牛歩の速度で皇都へと近づくにつれ、段々と大きくなる喧騒に祭りでもあったのかとスズシロに聞く。
しかしスズシロは、嬉しそうにそれこそ祭りにでも出ているかの様な、晴れやかな顔でいつもの事だという。
「ある意味というのが気になるのじゃが?」
「間もなく都に入りますので、そうすれば分かるかと」
「ふーむ?」
遠くに聞こえる喧騒が近くなり、いよいよ皇都の入り口にある門をくぐり抜けようかといったところで、ワッと歓声が上がる。
「おぉ…なんじゃ?」
「私ども侍中は武を誇る者を始め、民の憧れの職なのですよ」
「ほうほう、なるほどのぉ…にしても騒ぎ過ぎではなかろうか?」
牛車の歩みを邪魔しないために、道の左右に分かれてこちらに手を振る民衆は、キャーキャーと黄色い声をあげ騒いでいる。
獣人の国だけあって人の生け垣を形作るその殆どが女性なのだが、そのせいもありまるで憧れの王子様のパレードかのような様相を呈している。
「囂然たる有様で誠に申し訳ございませぬ、侍中はあまり市井に降りることもありませんので…」
「あぁ、よいよい気にはしておらぬ。 民の憧れのモノが、国の内にあるというのは良いことじゃ」
「それは如何な意味でございましょう?」
「そうじゃのぉ。 子どもからみれば将来なりたいもの、大人からみれば信頼できるもの…じゃろうか。 子どもたちにとって明確な目標があれば鍛錬にも身が入るじゃろうし、あの者たちが出たのであれば一安心だと思えるモノがあれば、民は必要以上に不安にならぬじゃろう? それがその国のモノであれば国に良い影響を与えるじゃろう」
「なるほど…至言でございますね」
「んむ、じゃからこそ…その憧れの的は憧れたり得るよう、努々損なわぬことじゃ」
黄色い声援を浴びつつ進む牛車の簾から前方を覗けば、途切れぬ人垣の先の先にお城の姿。
その姿は天守閣が多角柱なのを除けば、日本のお城に酷似している造りの様だ。
「なんとも珍しい形の城じゃのぉ」
「里長のお館であったものを代々の女皇が増築していった結果、あのようなお城になったと言われています。 人が増え里境の柵が塀に、さらに広がった里の柵が堀にとなっていき今の皇都があるのです」
「ほうほう…しかし堀なぞいつ越えたかの?」
「お堀はもう少し先でございます。ここらは城下と呼ばれる地域でお堀とその内に造られた塀とその先は外郭、その内にある塀とその中を内郭と呼んでおります」
「ふむふむ…」
牛車からはまだ堀を越える橋は見えないが、越えるときにでもなれば教えてもらおう。
そう思い前を見るためにひねっていた体をスズシロの方へと戻す。
「ところで、この後の予定はどうなっておるのかの?」
「はい、今日明日は特にご予定はございませぬ。 旅の疲れを内郭にありますお屋敷で取っていただき、明後日に女皇陛下と謁見していただく予定でございます」
「ふーむ、今日明日は何もなしかえ…なればそのお屋敷とやらに、温泉はあるかの?」
「申し訳ございませぬ、皇都には湯が湧く泉無く…ですが、お屋敷には自慢の大浴場がございます」
「ほう? 大浴場とな?」
「はい、温泉の様に大きなお風呂のことでございます。 お屋敷に着き次第、湯を張る命を出しておきますので何卒ご容赦を」
「気にするでないのじゃ。それと湯を張る必要もないのじゃよ」
平身低頭で謝るスズシロの身を起こし、湯を張る必要もないと伝える。
「湯を張る必要が無いとは?」
「湯を張るのは大変じゃろう? じゃから必要ないと言ったのじゃ」
大と付くほどだそれなりに広いのだろう、それだけの風呂に湯を張るとなれば相当な重労働になるだろう。
「しかしそれではセルカ様がお風呂に入ることが…」
「大丈夫じゃ、ただの湯であればワシが用意できるからの」
「セ…セルカ様にその様な雑事をさせるわけには!」
「あぁ、ワシが風呂焚きをするというわけではないのじゃよ」
首を傾げていたスズシロが一転狭い車内で、慌てに慌てるので両肩をぽんぽんと叩いて落ち着けてやる。
「どれほどの大きさか知らぬが、ただの湯を用意するのであればワシの魔法で一発よ」
「確かに湯を出す魔法はございますが、私ども侍中でも一抱えの水瓶が一杯になれば御の字ほどしか…」
「なぁにワシにかかれば、息をするより容易いことよ」
「しかし……」
やはりワシにそういうことをやらせるのは気がひけるのか、スズシロはいまだ難しい顔をしている。
「であれば…じゃ。 その風呂焚きに向かわせる人足を、ワシとカルンの飯のぶんに回してくれぬかの? 風呂は溜めれても、この国の飯はワシらには作れぬからの」
「はっ、でしたら必ずやセルカ様のご期待以上の夕餉にさせていただきます!」
ようやく納得してくれたのか、幾つになっても花より団子、これでご飯の楽しみができたとスズシロの返答に満面の笑みを返すのだった…。




