296手間
馬車を引く馬と言うのは、大抵足は遅いが力が強く体力もある馬を使う。
そもそもが馬車という重量物を引いている。幾ら走らせたと言っても単騎の馬には到底敵わない。
「ふむ、追いつかれた様子もなし。野盗どもは馬を持っておらんかったか、使えなくなっとるかしとるのかの」
「どうなんだろう」
「どちらにせよ追撃を受けておらぬし、ここらで足を緩めても構わぬじゃろう。あまり走らせて馬が潰れても困るしの」
何にせよここらで足を緩めて離れていった侍中を待つのも良いだろう。もし追手が来ればそれは最精鋭と謳う近衛を振り切ってきた者たち、ワシが直々に引導をくれてやろう。
しかし馬車はワシがそう言う前に、ワシが出るという結論以外は同じ答えだったのか緩やかに速度を落とす。
「しかし……おぬしは本当に…いや、もう何も言うまい」
一応ワシがすぐにでも動けるようにと、狐は膝から下ろしていたのだが。今は座席の上で四肢を投げ出して、ぐでーっと実にだらしない格好でお腹を晒している。
せっかくお腹を晒しているのだし、一際ふわっふわとしたお腹の毛の感触を楽しむのだが狐の反応が薄い。
「あー、もしかしておぬし酔ったのかえ?」
普通の人が走るより少し早いかどうかといった速度で、馬車の性能のお蔭もあり揺れはそこまで酷いものではなかったが、それでもかなり揺れた。
今まで馬車になど、揺られたことのない者にはなかなか厳しいものがあったのだろう。
「大丈夫なのかな?」
「さてのぉ…ま、気休めくらいはしてやろうかの」
法術で軽く体調を良くしてやると、もぞもぞと動き出しては伸ばしていた手足を縮め丸くなってそのまま寝てしまった。
「今のは?」
「うむ、ほうじゅ…魔法で少々体調をじゃな」
「魔法でそんなことが? もしかしてそれがあれば怪我なんかも」
「どれほどの効果を期待してるかは知らぬが…せいぜい肩を揉んだり擦り傷が早う治る程度のものじゃ」
「そう…」
期待を込めてワシに聞く声と、その後の心底がっかりしたといった風に肩を落とす姿から、たちどころに傷が治るようなものでも想像したのだろう。
だが残念なことにそんな便利なものはないのだ。自然治癒力を少々マナを籠めて増幅させているようなものだから仕方ない。
「そうだねえや、その魔法を広めれば民も助かるのでは」
「ふーむ、それも無理じゃな」
「どうして? 大きな怪我や病気が治せずとも、とても良い魔法の様に思うのだけど」
「なんと言えばよいかのぉ…ふむ、そうじゃな。この魔法はの? 自らのマナを他者に渡して回復させておるのじゃ」
「それの何が問題なの?」
「知っておるじゃろうが、マナというものは人それぞれ受け止めれる量というのは決まっておる」
かくいうカルンが、そのマナを受け止めれる量の影響を受けた最たる者と言ってもいいだろう。
本人もそれは理解しているのは深く頷くが、やはりまだそれだけでは理解できないのだろう。わかりやすく疑問を顔に貼り付けている。
「疲れておる者や病気になっておる者は確かに体の中のマナは減っておる。しかしじゃワシやカルン…おぬしならば兎も角の、人に影響が出るほどのマナを大抵の者は受け止めきることは出来ぬ。逆に毒ですらある」
「マナが毒だなんてそんな…」
マナが薄いためか、ここは悪い方の影響も薄い…だからマナは善いモノで悪いことなぞないという価値観が強い。
あぁ…だからこそ、あれらは忌まわしきなどと冠していたのだろうか…。
「王になるのであれば知っておいても良いじゃろう。とはいえそれを広めるのは感心せんがの…お主の心内に留め、次の王にでも伝えれば良い」
「わかった…」
「ま、毒と言うたが正確には薬でも毒でもないのじゃがの。要は使う者の心の持ちようじゃな、毒として使えば毒に、薬として用いれば薬に」
手のひらを上に向け、光の玉を出しては握りつぶし火の玉を出しては握りつぶす。
「何にでもなる、それがマナじゃ。毒として成ったモノの最たるモノが忌まわしき獣じゃな」
「人も忌まわしき獣になってしまう…?」
「さてどうじゃろうのぉ。じゃが…マナに拠らずとも人は容易くケモノになってしまうからの。カルンや…お主も努々己を戒めることを怠ってはならぬのじゃよ」
「わかった…」
「話が逸れたのじゃ。善かれと思っての事でも他者に取ってはそれが善き事とは限らぬ。特にマナはそれが顕著じゃからの。じゃから魔法による他者の回復はしてはならぬぞ?」
こくりと素直に頷く姿は歳相応で可愛らしく、思わず頭を撫でたくなるがぐっと堪える。
流石にこの歳頃の男の子にそれは嬉しくはないだろう。残念だが成長してる証と代わりに狐の頭をたっぷりと撫でる。
「セルカ様、後ろの者が戻ってきましたので、少々ここで足を止めてもよろしいでしょうか?」
「うむ、かまわぬ。それよりも皆無事かの?」
「はい、手傷を負うものもなく誰一人欠けてはおりませぬ」
「さすが最精鋭と謳うだけあるの」
「お褒めに預かり光栄です」
そこまで心配はしていなかったが、無傷という知らせにほっとする。
侍中の落ち着き様からも野盗どもは見事退治されたのだろう。町までどれ位かは分からないが着いたらのんびりとして欲しいものだ。
「宿についたら侍中らの武勇でも聞かせてもらうかのぉ…」
「それは楽しみだなぁ」
恐らくは頼まずとも喜々として語りに来るだろう。今までも道中何々を幾ら倒したなどと宿で報告しに来るぐらいだ。
その姿は、まるで飼い主にボールを持ってくる犬の様だと思ったのは内緒だ。
今回も何人倒したと楽しそうに言ってくるに違いない。野盗とはいえ人なのにまるで狩りの成果を報告するようだがそれも仕方あるまい。
どんな事情があろうとも、野盗に身をやつした時点で畜生以下とされるからだ…それはここでも王国でもカカルニアでも変わらない。
それは一先ず置いておいて、今回は変な野盗であったしそう言う意味でも彼女らの話を楽しみに、戻ってきた侍中らの報告を聞き終えたのだろう再び動き出した馬車の揺れに、身を任せるのだった…。




