296手間
根比べでは分が悪いと判断したのか、馬車を護衛する侍中のうち三人ほどが牽制目的で先へと進む。
「ふぅむ、やはり奇妙じゃのぉ」
「この野盗が? 確かに随分と慎重で野盗らしくは無いと思うけど、野盗狩りがあった直後なら慎重になっててもおかしくはいんじゃ?」
「しかしじゃ、そもそも慎重であれば、野盗狩りが行われた直後の場所に来るかのぉ?」
「んー、油断してると思ってくるかも?」
「本当にそう思うのかえ?」
膝に乗り直した狐の体を撫でつつカルンに問えば、顎に手を当て首をかしげるがややあって答えが出たのか、横に首を振る。
「自分なら全く別の地域に行くかな…どれ位経っているか知らないけど、今回は自分たちが居るから特に警戒を緩めるってことは無いだろうし」
「であろう? なれば何故わざわざそんな危険な地域に残っておる。それにの、ワシらが止まっておるということは自分たちに気付いていると、向こうが勘付いてもおかしくは無いはずじゃ」
「よっぽど腕に自信があるとか…」
「そうじゃったら己が自惚れのツケを払うことになるじゃろうな。けれどもワシらも油断は禁物じゃ、手負いの獣ほど厄介なものはないからのぉ」
「そうだね」
などとカルンと話していると、タシタシと手を叩く感触に目を向ければ、ようやく気付いたかと狐がワシの手に頭をこすりつける。
「おぬし本当に野生におったんかえ…」
「ねえや? もう一匹増えてるんだけど」
「む?」
狐の求めに応じて頭を撫でれば気持ちよさそうに目を細める、その姿はまるで飼い犬の様で一片も野生というものを感じさせない。
とはいえ余程エサが良かったのか、ワシほどではないがなかなかの毛並みで撫でることに否やはない。
もふもふの毛並みを楽しんでいると、突然カルンがもう一匹増えていると言い指をさす。
何が増えたのかと首を傾げつつ指差す方を見れば、つぶらな瞳でこちらを見上げる真っ白く細長いものが。
「おぉスズリや。 こんな所で尻尾から出てくるとは珍しいのぉ」
「スズリ?」
「む? カルンはよく一緒に寝ておったと思うのじゃが」
「いや、全然知らないんだけど」
「うーむ? あぁそうじゃったそうじゃった。よくよく考えれば赤子の頃じゃ、覚えておらんのも当たり前じゃな。んー? いや宿で会っておらんかえ?」
「あーうーん、どうだっけ」
「うーむ、気にしておらんかったら気付かん…かのぉ」
それは兎も角、人から逃げる以外でスズリが尻尾から出てくるのは本当に珍しい。
何事かと考えていれば、スズリは狐を撫でている反対の手に頭を擦り付けてくる。
「なんじゃスズリ、おぬしも撫でて欲しいのかえ」
その通りとばかりに「コン」と一声鳴くと、狐同様ワシの膝の上に乗っかってきた。
「全く…撫でてほしいのならば、尻尾にばかりおらずに出てこんかえ…」
狐のもふもふとした毛並みとは違い、サラサラとした手触りの毛並み…甲乙つけがたい感触を両手で楽しむ。
とその時ピューイピューイと遠くから、今まで届いたことのない音が聞こえてきた。
「聞いたこと無いけど、どんな鳥の声なんだろう?」
「いや、これは笛の音じゃな」
具体的に何がと言われたら困るが、明らかに鳥の鳴き声とは違う響き。
侍中は今までこの様な音の出るものを使った覚えがない。となるとこの様なものを使うとなれば…。
「野盗どもが釣れたのかの」
ワシが言うのを合図にしたかの如く、馬車の周りを囲む侍中たちの警戒がピシリと音を立てるかのように一段と引き上げられる。
それに釣られたか、カルンがごくりとツバを飲み込みスズリが尻尾へと戻り、そして狐はあくびしている。
「本当におぬし、今までよく野生で生きてこれたのぉ…」
「ねえやも大概だと思うけど…」
「何を言うておる。カルンや、この程度豚鬼どもの集団に比べれば歯牙にもかからぬじゃろう」
「いや…それはそうかもしれないけど…」
「ふむ…ふーむ、これは馬脚をあらわし…は違うかの」
「ばきゃ…うわっ」
カルンがワシが呟いた聞きなれない言葉を聞こうとした途端、ガクンと馬車が急発進する。
それとほぼ同時に御者台と馬車の窓の真ん中辺りへ、タタンと何かが突き刺さる音がする。
「セルカ様、敵は弓を射掛けて来ましたのでこのまま走り抜けます。大きく揺れますがご容赦を」
「それは良いのじゃが、前の方に野盗どもが居るのでは無いのかえ?」
「前の方のは仕留めたと合図が来ました」
「ほほう…じゃが間にも居らんとも限らぬ。気をつけるのじゃよ」
「それは勿論でございます、既に弓を射掛けた者たちにも向かっておりますのでご安心を」
「そううかえそうかえ、流石に段取りが良いのぉ」
「陛下をお守りするために、常日頃から鍛錬をしております故に」
「感心じゃのぉ…おぉ、そうじゃカルンも宿についたら稽古をつけてやろうかの」
「いや…それは他の人に迷惑なんじゃ」
「何を言うておるか、泊まる宿はワシらの貸し切り他に客なぞおらぬ。広い場所でもあればせいぜい宿の者が驚く程度じゃて」
「ね、ねえやはいつも頑張ってるし温泉好きなんでしょ? だったらこっちに来てる間くらいのんびりしてもいいんじゃないかな?」
「ふーむ、うーむ…ぬぅ…たしかに温泉に入るのであれば、気をはらずにゆるりと入りたいの」
「でしょう?」
なるほど…カルンの言う通りだ、確かに汗を流した後の温泉は気持ちいいが、ワシが汗を流すほどとなればいかほど動けばいいのやら。
それにワシの好みとしても温泉に入るなら、ゆったりとした気持ちで入るほうがいい。
「セルカ様。前の者と合流しましたが、念のためこのまま町まで走ります」
「うむ、わかったのじゃ。しかしおぬしらや馬の方は大丈夫なのかえ?」
「お気遣い痛み入ります。ですが心配ご無用、この程度で潰れる者は馬を含めここにはおりませぬ」
「ほほ、何とも頼もしいの」
その後は襲撃を受けることも無く、無事町へとたどり着く事はできた。
途中乗り上げた石のせいで、カルンがしたたかにお尻を座席に打ち付けた以外は…だが…。




