294手間
ガッタンゴットンと馬車が揺れる度に体が僅かに浮かぶ。もしこれが質の悪い馬車であればすでに舌を噛み切ってるか座れないほどお尻を痛めていただろう。
幸いこの馬車は王族が乗るに相応しいクッションを備え付けているので、舌を噛むことにだけ気をつければ大丈夫だ。
「ねえや、やっぱり今からでも森に返したほうが…」
「またかえカルンや、着いてきてもうたものは仕方なかろう…」
ガタンとまた大きく馬車がゆれるが、それでも起きずにワシの膝の上でこやんと大きくあくびをする一匹の狐。
昨日、お社に行った際にワシを囲んだ狐の中の一匹、膝に乗った素早い奴がいつの間にかワシの跡を着いてきていたのだ。
追い払おうにもこの国の人間は狐に強く出れない、むしろ吉兆だのとはしゃぐ始末で結局ワシらの皇都行きに同行することになってしまった。
「おっと…今のはよう揺れたのぉ」
「道が悪いとここまで揺れるんだね」
水はけが良いのか、多少はまだ泥濘んでいるものの随分と乾いている為、車輪が泥に取られるということは無い。
けれどもそのかわり轍が沢山できており、それに乗り上げる度にガタンガタンと馬車が揺れる。
昨日までの緩くなった土の上を、荷物を満載した荷馬車が幾つも通ればその分深い轍ができる、数日すれば崩れて浅いものだけ残るだろうが流石にそれを待つ訳にはいかない。
「おぉ、今のは一番の揺れではないかの」
「というか馬車が止まったね」
一際大きく馬車が揺れるとゆっくりではあるが、今までどれほど揺れても止まらなかった馬車が停止した。
揺れの様子や音からして何かが壊れたわけでは無さそうだが、早朝から町を出発し既に日が天辺を指す位は経過している。
行くにも戻るにも中途半端な場所で立ち往生してしまうのは非常に困る、困るが一日二日野宿でもワシらはとしてはそこまで問題は無いのだが。
そう考えていると御者側にある小窓が開かれ、御者をしている侍中が申し訳なさそうに今の状況を教えてくれた。
「申し訳ありません、轍に嵌ってしまったようでして…いま私どもが対処しておりますので少々お待ち下さい」
「馬に思いっきり引かせて抜けるのは?」
「それが一番早いとは思うのですが、万が一それで馬車が破損してしまうと…申し訳ありませぬ王太子様」
「ふむ、轍に嵌っておるだけかえ?」
「はい、ですがかなり深いようで引くだけでは抜けれず、侍中どもで持ち上げてと…」
「なれば、ワシらは降りておいた方がよいじゃろうな」
「そういうわけには参りませぬ、侍中のうちでも力自慢が持ち上げておりますので」
「しからばカルンだけ残ればよかろう、ワシが軽く持ち上げてやるからのぉ」
「ですが…」
「護衛が余計な力を使う必要もあるまい? ワシにとってはこの馬車を持ち上げるのも、箸を持つのも大してから変わらぬ」
コンコンと馬車の内壁を叩き、ひょいと膝の上で寝ている狐を脇にどかしまだ止めようとする侍中の言葉を無視して馬車を降りる。
「これはセルカ様、お見苦しいところを…すぐに動かしてご覧に入れますので少々お待ち下さい」
「いやなに気にする必要は無いのじゃ、いま持ち上げてやるからのぉ」
「そんな、セルカ様のお手をわずらわせるわけには…」
「ふむ、これは見事に嵌っておるのぉ」
揺れを軽減する機構の為か馬車本体は水平を保っているのだが、後ろの車輪と車軸だけが見事なまでに斜めになっている。
どうやら落ちている方の車輪が、進む方向と少しずれた轍の中に入り込み動けなくなっているようだ。
「ほれ、これでよかろう。轍から抜けたからのぉ馬車を進ませてみい」
「おぉ…これほどとは…さすがセルカ様でございます」
馬車本体の下に手を入れ軽く持ち上げると、すぐに後輪は地面から浮き前輪だけ地面に付いている格好になる。
そのままワシの言葉を受けゆっくりと馬車が進み、再び馬車を置いても轍に嵌まらない場所まで来てからゆっくりと地面へと下ろす。
「よし、これでよかろう」
「ありがとうございますセルカ様、お手を煩わせたこと誠に…」
「気にするでないと言うたであろう? では引き続き護衛の任、頼んだのじゃ」
「はっ、必ずやご期待に」
パンパンと両手を打払い、畏まる侍中にひと声かけて車中へと戻る。
もう慣れたものだが、カルンになら兎も角…ワシにもまるで王侯貴族かのように接するのはどうなのだろうか…。
「まったく…ねえやは人に任せてればいいのに」
「ワシは人に任せておいて、自分はふんぞりかえっておるというのはどうにものぉ…」
「そう言う割には食事の時に、侍中に色々やってもらってるじゃない」
偉い人としてはカルンの言う通り人に任せるのがいいのだろうが、今回の様に自分がやればすぐに終わることをわざわざやらせるのはどうも…。
座席に座りながら昨日の夕食に出てきたお鍋に思いを馳せる。流石に直接鍋からつつくなどはせず侍中の人がよそってくれていたのだがそれを言っているのだろう。
「鍋は良いのじゃ鍋は…それにしても昨晩の猪鍋は美味じゃったのぉ…」
「目の前で煮るなんて面白いよね、城の料理は冷めたものばかりだし」
「それは致し方あるまい。スズシロが言うには次の宿も鍋が美味しいというから楽しみじゃなぁ…」
「ほんと、ねえやは食べ物のことになると目の色が変わるよね」
「旅の醍醐味じゃからのぉ…お揚げ…あれをもう一度食べたいのじゃ…」
「オアゲ?」
「うむ、豆をすりつぶしたものを煮詰めてた汁を固めて、それを薄く切って油で揚げたものじゃ」
「随分と手間のかかってる料理だね…」
「お揚げ自体は料理ではないのじゃが、手間がかかっておるのは確かじゃの、ここの食べ物に似ておるからあるとは思うのじゃが…」
「あるといいねぇ…」
「そうじゃな」
宿についたらスズシロに聞いてみるかと思い、その後も宿泊する町に着くまで食べ物の話をし通しカルンに呆れられるのだった…。




