291手間
スズシロがカルンにフガクの話を語って聞かせ、丁度温泉でワシに話すのを止めたところでまた話を止めて部屋の入り口を振り返る。
「セルカ様」
「な、なんじゃ? まさかまた…」
「いえ、お茶菓子のおかわりは如何ですか?」
「そうかえ…なら貰おうかの」
全く同じところで話を切るのでまたお預けかとドキリとしたが、スズシロが気にしていたのは何ぞ用事を伝えに来た人ではなく、新しい赤豆羊羹を持って来た侍中だった。
先に出されていた赤豆羊羹は、スズシロの話が始まる前にすっかり食べ終えてしまい、話を聞いている最中はお茶で口の寂しさを紛らわしていた。
「うーむ、城の侍女らにも食わせてやりたいがのぉ…」
「申し訳ありませんが、あまり日持ちはしませんので…」
「じゃろうなぁ」
彼女たちも歳頃の女の子、甘いものには目がないだろうが、大抵お菓子というのは足が早いので仕方がない。
羊羹と言うと日持ちするイメージがあるが、あれは砂糖がたっぷり使ってあってかつ衛生的な施設で作り、特殊な技術で保存してるからこそである。
そもそも羊羹と似ているだけであって、別物のお菓子であるのだから当然ではあるのだが。
食べ物が腐る腐らないなぞ、ワシの腕輪を使えば日持ちなどを考える必要もないのだが、それだとどうやって持ってかえったかなどと言い訳が面倒なことになる。
侍女たちには悪いが、彼女たちの分もワシがここでしっかりと食べてやるので安心して欲しい。
そう思いつつも今度は話が始まる前に食べきらないように、ちまちまと小さく切り分けながら口に運ぶ。
「菓子はともかくじゃ、フガクはその後どうしたのかえ?」
「そうですね、では続きを……」
話を始める前にスズシロ自身が用意した、冷めたであろうお茶で喉を潤してから彼女は再び語りだす。
「心優しきフガクは、その巨躯に相応しい膂力でもって麓に転がる大岩で堤を造り赤い河をせき止めました。 けれども、滾々と湧き出る泉の様に赤い河の流れは留まることを知らず、すぐにでも大岩の堤を破りそうでした。 そこでフガクは赤い河の源泉をせき止めようと、一際大きな自分の何倍もありそうな…岩と言うよりも山と言った方がいい程の大岩を掲げて、赤い河の側を山の頂に向け歩き出しました。 赤い河は炎の流れ、側にいるだけで容赦なくその身を焼き掲げる岩は今にもフガクを押し潰そうとしてきます、けれどもフガクは身を焼く熱さにも重さにも負けること無く山を登ります。 一歩一歩けれども確実に山を登るフガクでしたが、とうとう頂きまでもう少しというところで足を止めてしまいました。」
そこまでをスラスラとスズシロが喋り、一息ついて喉を潤している間にちらりとカルンの表情を見ればハラハラとした様子で話の続きを待っていた。
王太子だからか、それとも成人が早いからか普段は歳相応とは言えないカルンだが、今は歳相応の表情で御伽噺を聞いているようで、うんうんと一人感慨深く頷く。
まぁ…この間の竜退治でカルンが、将来その御伽噺の主人公になる可能性が高いのだが…。
「すると魚が居るはずもない赤い河が、まるでフガクをこれ以上先には行かせまいとするかのように水が跳ね、フガクの両目に入ってしまいました。 堪らず片膝をつくも何とか大岩を取り落とすことなかったフガクでしたが、そこから立ち上がることが出来ません。 目も見えず立ち上がれないフガクは途方に暮れますが、ふと背中を何者かが押し上げてくれました。 立ち上がったフガクは村人が助けに来てくれたのかと思ったのですが、そのようなことをしてくれる村人に心当たりも無く、はてさて誰がと首を傾げていると足に当たるはふさふさとしたもの。 それはフガクと同じく村人に嫌われていた狐のものでした、狐は賢く村の倉庫を荒らす為に集まるネズミを獲っていたのですが、それを狐が倉庫を荒らしていると村人は決めつけたのです。 その狐が何故と思ったフガクでしたが、狐も自分と同じく村人に信じて欲しいのだと、はたと思い至りました。 フガクは狐の尻尾が当たる方角に頂があるのだろうと再度歩き始める前に狐へ、ここは熱い小さい君にはきつかろう後は自分に任せて帰りなさいと語りかけました。 けれども狐は帰ること無く、目が見えぬフガクにも分かるほど首を振りました。 なれば道案内を頼むとフガクが言えば、狐は一声鳴いて道を示しつつ歩きはじめました。 そしてとうとう狐の道案内のもとフガクは頂へ、赤い河の泉へとたどり着き掲げる大岩を残る力を振り絞り、えいやと投げ込みました……」
「そ、それでフガクと狐はどうなったんです」
ふうっと一息ついてお茶をすするスズシロへ、カルンが堪らずといった感じで問いかける。
「えいやと投げ込んだ大岩は、遥か遠くまで伝わる地響きとともに見事赤い河が湧き出る泉を塞ぎました。 その地響きでようやく山の様子がおかしいと気付いた村人は、山に慣れている若者何人かと村の長老は共に山へ登りました。 その途中、岩の堤と黒い石となった赤い河に誰がこれをしてくれたのだろうかと、村人たちはしきりに首をかしげるばかり。 村人たちが山の頂に着いて見たものは赤い河の泉を塞ぐ山の様な大岩と、その前に倒れるフガクと狐でした。 その姿に村人たちはこれはフガクがやったのだとはたと気付き、慌てて倒れるフガクに駆け寄る村人でしたが既にフガクと狐は事切れていました。 命を賭してまで村を助けてくれた心優しきフガクに、自分たちは今まで何とひどいことをしてきたのかと嘆いた村人たちは、せめてもの罪滅ぼしに懇ろに弔ってやろうとしましたが、小山の様なフガクは村人たちでは少しも動かせません。 困った村人たちは、ふとフガクの顔の近くで共に事切れていた一匹の狐に気が付きます。 何で此処に狐がと覗き込めば、何とフガクの目は焼け爛れ潰れているではありませんか。 目が潰れたフガクの為に女神様が狐を遣わしたのだろうと、動かせぬフガクと共に感謝とそして自分たちがした愚かな事を忘れぬように社を建てて、フガクと狐を祀り名もなき山へフガクの名を付けましたとさ」
狐の扱いが取ってつけたような気がしないでもないが、神話や御伽噺に出てくる動物の扱いなぞ、えてしてそのようなものかと一人納得しておく。
「それでその社は今もあるのかえ?」
「はい、ここからも見えるあの大岩の側に社はあり、今もフガクとその側に寄り添う狐が祀られていると言われています」
「ほほう、その社には参ることは出来るのかの?」
「申し訳ございません、頂の社に入ることが出来るのは社を維持するための御供の方だけで、女皇陛下ですら立ち入ることを許されてはおりませんので」
「ふぅむ、それは残念じゃのぉ…」
「御供の方って…?」
「そ…それは…」
スズシロが言い澱むのも仕方ない、恐らく供犠の方とは人身御供…要するに生贄だ。
子供に生贄ですと、ましてやあの美談の後にそんな血なまぐさいことなど言えるだろうはずもない。
「供犠の方とは…そうじゃのぉ……」
「セ、セルカ様」
「選ばれた巫女みたいなものじゃろう?」
「そ、そう! そうです。巫女ですね」
ワシが答えを言ってしまうのかと焦るスズシロだったが、ワシの選んだ言葉にそうだそうだと全力で肯定するように、ぶんぶんと首を縦に振る。
「そっか、それじゃお祈りには行けない?」
「いえ、はい、もちろんその様な方は沢山いるので山の麓にお参りの為の社があります」
「ほう、そちらの方には行けるのかえ?」
「女皇陛下とお会いになった後になりますが、元々お立ち寄りになっていただく予定でしたので」
「そうじゃったか」
供犠の方の話題から逸れて、人知れずほっとしているスズシロと対象的に、御伽噺に出てきた所に行くのが楽しみなのだろう。
スズシロが居る手前、無邪気にとまではいかないが明らかに楽しみにしているカルンに苦笑いになるのだった…。




