282手間
ピンと反り返った軒先や、軒下の梁や柱に細かいのから大雑把なものまで様々な彫り物が施された平屋の町並みの中を歩く。
人数が減ったとはいえ侍中に囲まれていると言うのは相当目立つのだろう。通行人や果ては家々の窓からまで、わざわざ騒ぎを聞きつけでもしたのか四方八方から見られている。
とはいえワシは昔は公爵夫人として大勢の人間の前で立ち回っておったし、カルンは王子であるし言わずもがな街中の人に注目されたとて怯む由もなし。
「申し訳ありませんが、少々ここでお待ち下さい」
「んむ? なにごとじゃ?」
馬車が入らないからか往来を、人々が好き勝手歩いているのだが周りを囲む侍中のお蔭か、ワシらが通ると道を開けてくれるので止まる要素など特に無いと思うのだが、突然侍中の一人がワシらの歩みに待ったをかけた。
何か止まらなければならないほどのものが通ってる様子もなし、ひょいと体を傾けて前を見てみても町中に珍しいとはいえ狐が一匹居るだけだ。
「狐…じゃな?」
「キツネ…ですね?」
「あぁ…そうでした、我が国では狐は女神さまの使いの一人とされていまして、狐が通る時は女皇も待つのですよ。そちらで言う神殿に当たる社には狐を祀っている所もあるほどです」
「ほうほう、なるほどのぉ。じゃが…動きそうにないのぉ」
「え…えぇ…」
どこぞの牛の様な扱いを受けているのかと思いながら話を聞いていたが、肝心の狐はじーっとこちらを見つめて動く気配がない。
流石に、これ以上他国の宗教観で待たせるのはまずいとでも考えているのだろうか、侍中も少し焦れている様だ。
「ふーむ…なんじゃお主、何か食いたいのかえ?」
「あっ! お待ち下さい、決して飼われている訳ではなく、野生の動物ですので無闇に近づくと噛まれ…」
追い払うということも出来ないのか、じっとこちらを見つめ続ける狐に為す術の無い侍中の囲みから出て、狐の側にひょいと屈んで右手を差し出してみる。
すると狐はよほど人に慣れているのかてしてしとワシに近づいてきて、くんくんと指先を嗅ぐとペロペロとそのまま指先を舐め始めたので、左手で狐の頭を撫でそのまま胴体の方まで手を伸ばし、わしわしと撫でてやる。
「ほっほ、かわゆいのぉ…」
「この辺りの狐は特に気位が高くて、人が近づくと威嚇するのですが…」
「さて、ワシは狐の獣人じゃし仲間じゃと思うておるんじゃないのかの?」
驚く侍中に首だけで振り返り、その間はワシの尻尾とも違う狐のもふもふを堪能する。
「はっ、セルカ様そろそろお宿の方に…」
「む、そうじゃな。名残惜しいが、お主も達者でな」
確かにこれ以上、往来を占拠する訳にもいかない、くるくると気持ちよさそうに喉を鳴らしている狐から手を離すと、こやぁんと名残惜しそうに無く狐に後髪を引かれる思いで、恐らく狐が本来目指していたであろう先を指し示してやる。
するとその意味がわかったのか、狐は何度も振り返りながらも、家と家の間の細い路地へと消えてゆく狐に小さく手を振る。
「やはり、もふもふを撫でると癒やされるのぉ…」
「ねえやは、自分の尻尾があるじゃないか」
「何を言うておる、いくら手触りが好きじゃからと、自分の髪の毛を撫でて悦に入る奴なぞおらんじゃろう」
「ともあれセルカ様、狐も行きましたし我々も…」
「そうじゃったな…では、案内頼むのじゃ」
「はい」
再度侍中の案内で歩き出し、今度は狐にも狸にも邪魔されること無く目的の宿へとたどり着いた。
そこは、他の家よりも多少梁や柱の彫りが豪華かなと言った程度で、宿を示す看板が出ていなければちょっとお金持ちが住んでるのかな程度にしか思わないであろう外観だった。
「お二方、我が国では建物内は基本的に履物を脱ぐのが決まりですので、予めご留意ください」
「ほう、わかったのじゃ」
そんな事を聞き、思わず上機嫌になったワシに何で今の説明にご機嫌になる要素がと言った感情を思いっきり顔に出しているカルンを無視して、一人ウキウキと宿の中へと入るのだった。




