279手間
あれ以降、風が止まることはなくこの船は、もう間もなくシン皇国の港へと到着しようとしていた。
「それにしても残念じゃのぉ」
カン カン カン カン「ロォープに巻き込まれるなよぉ! そんな間抜けは海にたたっとしてやるからなぁああ!」
「ねえやなら、邪魔にならなそうなところから見れそうな気がするけど」
ドダダダダ「帆をたためぇい! よし、投げろぉ!」
「美女が視界の端にチラリとでも見えれば目を留めてしまうのが男と言うものじゃろう? それは危ないのじゃ。船の上ではマストから落ちたりロープに巻き込まれたりとベテランでも事故は絶えぬという話じゃからのぉ」
ギギギギギ「ひけぇ! ひけぇ! やめぇ! 錨をおろせぇ!!」
「ははは…」
「どうやら接舷作業は終わったようじゃのぉ…」
鐘が打ち鳴らされ怒号が飛び交い、水夫が走り回り竜骨がきしむ音がようやく鳴り止み、無事、港へと着いたことを教えてくれた。
この船は、この世界にある船の中ではもっとも大きな種類に位置づけられ甲板もそれなりに広いが、それでも接舷作業ともなるとどうしても、棒立ちする他無い素人なぞ邪魔以外の何者でもない。
なので、侍女が着いてきて居ないワシらの為に、接舷作業をすることのない専属コックの居る食堂へと押し込められていた。
お蔭で男どもの怒号を背景に、美味しいお茶をのんびりと飲み接舷作業を待つことが出来た。
「この部屋にも、窓が無いのが残念だよね」
「仕方あるまい、波の力というのは窓なぞ簡単に砕いてしまうじゃろうしな」
それにこの船は客船ではなく貨物船であるし、基本的に甲板上で作業する水夫にとって、船の中に戻ってまで水面を見たくはなかろう。
陸路の方が重要視され、遠洋航海する方法なぞ確立されていないので、王族専用の船なんてものも用意されていない。
一応王族の移動なので、最も大きく最も立派な船が用意されたのだが、居住性は食事を除いて実に…美味しい食事が有るという時点で軍の野営よりはマシか…。
本来であればこのシン皇国への移動は山越えして行われるのだが、今は例の騒動のせいで危険と判断され様子見のため冒険者や軍以外の通行を制限された。
ワシやカルンは軍に所属してるのだから問題ないのではとも思ったのだが、通行を許可されるのは魔物の討伐のみであり、これはシン皇国との合議の上でのことなので魔物討伐のついででシン皇国に来たと思われるのは実に問題である。
この様子見の後に行っても良いのではとも考えたが、一巡り後に安全と判断されるかどうかわからないし、カルンが成人すれば正式に国民へとこれが次の王だとお披露目され忙しくなる。
なので、余裕のある今のうちにシン皇国へと行ける、海路での移動と相成ったのだ。
「殿下、嬢ちゃん。港に着いたですぜ」
「おぉそうかご苦労じゃったの」
「わかりました」
食堂へとやってきた船長の、怪しい敬語に従って甲板へと上がる。
甲板ではワシらの見送りのためにずらりと水夫たちが並び、観艦式かと思うほどの様相を呈している。
「王太子殿下、えーこの度は…えーご航海にご一緒できてえっと光栄でしたです」
「私もだ船長、と…言っても帰りも頼むことになるがね。その際も快適な航海を楽しみにしている」
「はっ! であります」
王子あらため王太子モードのカルンと、ガッチガチに緊張している船長。なぜ君はこの一月くらい一緒に居たのに今更緊張するかね?
それは兎も角、船長はガッチリとカルンと握手するとワシの方へと向き直ってきた。
「嬢ちゃんのお蔭で楽できた、帰りも頼むぜ?」
「うむ、ワシも美味い飯を期待するのじゃ。シン皇国の美食を堪能した後での!」
「はっはっはっ。そりゃうちのコックに気合を入れさせんといかんな!」
王国と皇国間の貿易を行っている水夫たちが、この航海の間なんどもシン皇国のメシは美味い美味いというのだ否応にも期待は高まる。
カルンのときとは違い、砕けた態度で別れの挨拶を済ます船長に、その高められた期待を茶化しながら挨拶を終わらせる。
手を振る皆から踵を返し船と桟橋の間にかけられたタラップ、といえば聞こえは良いが丈夫な板にすべり止めの角材を打ち付けただけの簡単な渡し板。
船の揺れにあわせ上下するそれを、内心おっかなびっくりしているのを隠しながら渡るカルンの後に続いて降りる。
「カルン・フォン・ラ・ヴィエール王太子殿下。シン皇国へ、ようこそお出で下さいました」
カルンとワシが降り、丁度二人共が足を止めたところで下で待っていた、艶やかな黒髪をお団子状に留めた着物そう着物姿の女性が優雅に腰を折る。
たっぷりと余韻を含ませて頭を挙げた彼女は、知的さを感じさせる切れ長の瞼に、黒曜石を磨き上げたかのような瞳が嵌っている。
顔の形や髪の色などから、とても懐かしい感覚を覚えるがその感覚を断ち切るのは、その頭と後ろに見えるネコの様な髪の色と同じ黒い耳と尻尾の存在。
そして港である故に忙しく動き回る後ろの方に見える人たちも皆、姿形は違えども耳と尻尾、中には毛むくじゃらな上半身を晒している人も居る。そう…シン皇国とは獣人の国なのである。
いっそ女神さまが言っていた、獣人は少数の種族であるというのが、嘘に思える程の光景。
そんな風に港の光景を眺めていると、緊張しているのかピクリとも顔が笑っていない挨拶をした女性がワシに向き直り、同性で更に同じ獣人だからか突然表情が仕事を思い出したかのようにふわりと笑う。
「セルカ様も我が国へようこそお出で下さいました。まだ正式に公務を執り行う前と言うことでしたので、お出迎えが我ら侍中のみで御座いますこと、どうぞご寛容ください」
「気にすることは無い。出迎えご苦労だった」
「ありがとうございます」
何故かワシに向かって謝る彼女にカルンが応えると、また笑顔を引っ込めて石像かと思うほど表情を引き締めて腰を折る。
「ところで、不学で申し訳ないのじゃが、侍中とはなんじゃ?」
「はい、侍中とは女皇様直属の貴人のお世話役の人たち、そうですね…そちらで言いますと侍女と近衛を合わせたモノ…といえば分かりやすいでしょうか」
「ほほう、なるほどのぉ…。近衛がわざわざ出てきたのであれば謝る必要もなかろう?」
「寛大なお言葉、痛み入ります」
近衛を簡単に言えば王様専用の護衛みたいなもの、それが王も居ないのに出てきたのであれば、ワシは文句などあろうはずもない。
こちらで近衛…ではなく侍中とやらがどう言う位置づけなのかは知らないけれど、近衛と例えるならそう低い身分でも無いだろうし。
「それではセルカ様、王太子殿下。こちらに馬車を用意しておりますので少しご足労をお願いします」
そう言って先導する彼女の後に続くカルンに続いて、猫耳やら犬耳やらを生やした着物姿の女性侍中に囲まれるという何とも言えない状況の中、シン皇国への入国を果たしたのだった…。




