275手間
竜退治の後、疲労著しい三人の体調を慮り豚鬼たちの巣跡で一日野営をしてから王軍の野営地へと戻った。
ワシら以外の兵たちは、昨日の内に野営地へと戻っており巨大な魔石を抱えた辺境伯とそれを従えるかのようなカルンの帰還に、殿下万歳などの大歓声で迎えられた。
その夜は、豚鬼も粗方倒したということもあり、後続の輜重部隊が持ってきた酒樽をひっくり返しての宴会となった。
何で酒樽持ってきてるんだと思ったのだが、元々それなりに長期滞在予定だったから気晴らし用だと辺境伯自ら説明してくれた。
確かに気晴らしは必要だし、王軍という関係上どこぞの傭兵のように、花を用意するというのも対外的にとても見目が悪い。
ともあれ、そんな細かいことは置いておいて、キャンプファイヤーの様に組んだ大きい焚き火の側に、魔石が鎮座してのどんちゃん騒ぎは何ぞ怪しい儀式のよう。
けれどもそんなの知ったことではないとばかりに、みな飲めや歌えの大騒ぎである。唯一可哀想なのはこんな日に警備の夜番に当たった兵たちだろうか…。
殆どの豚鬼は駆逐されたとはいえ、そこは兵隊浮かれ騒ぎでもその辺り抜かることは無いと言うことだろう。
もちろん彼らも、どんちゃん騒ぎを背景にした警備という名の苦行の後には、好きなだけ酒が振る舞われるが。
「お主らも、飲んでおるかぇ?」
「ねえや、流石に自分が飲むのはまずいから、水で薄めてるやつだよ」
「すみませんセルカ様。私は下戸でして…」
「フハハハハ、飲めぬなら、肉を食え! 肉を!」
こちらに未成年は飲酒してはいけないという法は無いが、未成年が飲むのは水で薄めた酒という風習があるらしい。
なのでカルンはその水で薄めた果実酒を。ウィルは全く飲めないらしく一滴も口にはしていない、下戸の中には匂いだけでもダメな人が居るが幸いウィルはそういう事はないようだ。
そしてそんな二人とは対照的な完全に出来上がっている辺境伯、酒臭い息を撒き散らしながらガッチリとウィルと肩を組み、肉汁したたる焼き串をウィルの鼻先へと押し付けている。
「辺境伯や…お主、意外と酒に弱いのかの?」
「貴様何を言っている。酒は酔ってこその酒だろう。しかも祝い酒な上に人死も出ていない、これほど旨い酒があるかってんだ」
ガハガハグフフと上機嫌に笑い、完全に酔っぱらいのオヤジと化した辺境伯は、焼き串をウィルに押し付けると千鳥足で、酒の入った杯を掲げながら兵の下へと絡みに行ってしまった。
「うーむ、見事なダメオヤジじゃ…」
倒れ掛かる様に、哀れ犠牲となった兵に絡みつく辺境伯を眺めながら、ワシも手に持った杯をグビリと飲み干す。
「えーっと、ねえやそれ何杯目?」
「んー? さてのぉ勘定があるでなし、何杯かーなどと…せせこましいことは数えておらんのぉ」
「酔ってる?」
「酔ってるんでしょうか? 元が白いので顔の赤さは目立ちますが…」
「何をごにょごにょと…この程度で酔いつぶれるほど白狐のセルカ、耄碌しておらぬわ。カルンの乳母をしておる間は禁酒しておったからのぉ、久々の酒じゃ浴びるように飲んだとて誰も文句は言わんじゃろう。飲みそこねた奴以外はの!」
軍が出す酒と侮っていたが、甘い中にも果実の酸味があってとても飲みやすく美味しいので、ついつい手が伸びでしまう。
カルンに悪影響が出てはいけないと少しの間とはいえ、禁酒もしていたので殊更美味しく感じる。
「乳母って…どんだけ前の話だよ…確かに今までお酒を飲んでる姿は見たこと無いけどさ」
「うーん、やっぱり酔ってるんでしょうかねぇ? 普段を考えればかなり上機嫌のようですし」
「また何ぞ…ワシに内緒の話をしたければ口をつぐむか隣町に行くことじゃ」
「あ…あはは」
「まぁよい、明日は森に入らぬとはいえ一日辺りを周るからの。酒を飲んでおらぬとはいえ切り上げを見誤らぬようにな」
「ねえやは?」
「ワシはもう寝るのじゃ、お主らもあの辺境伯のように、ハメを外し過ぎぬようにのぉ」
そこらの酔っぱらいに空になった杯を押し付け、ヒラヒラと手をカルンたちに手を振りながら用意された天幕へと戻る。
厚手の布地で作られた天幕は、程よく音を遮断し外に聞こえる喧騒は、まるで遠くで鳴る祭り囃子のようで心地よい。
そんな祭り囃子の中、鼻歌交じりにカルンが戻ってこない内にと手早く体を拭いて、使った桶などを片付けるのは明日でいいかと、倒れ込むように眠りにつくのだった…。




