273手間
仰ぎ見れば山々がすぐ近くそんな場所に不自然にすり鉢状にえぐれた地形、まるで隕石が墜ちた跡が風化したかの様な場所。
その中央付近に奴は居た。くすんだ黒曜石のような体を犬猫みたいに丸め、前足に頭を乗せて眠りこける姿は一見では無害そうにも見える。
だがしかし、色彩を忘れたかのように黒一色のその体は、完全に穢れたマナのみで構成されている証。
魔物はその身が滅びるまでマナを求める。それが何故寝ているのか不思議ではあるが、一度起きれば確実に何者かを襲うはずだ。
付近のエサになりそうな豚鬼が居ない今、多少足を伸ばしても人里まで向かう可能性もある。
なればここで倒すのが道理だろう、万が一を考えてトドメを確実に刺せるようになるまではカルンたちにはこのすり鉢の縁で待っていて貰うのが良いだろう。
「ワシが戦い始めたらその剣にマナを籠め始めて、ワシが呼ぶまでここで待機しておくのじゃ。何時でも奴の脳天に突き刺せるようにの」
「自分らはどうする」
「辺境伯とウィルは…うむ、休んでおくのじゃ。まるで死人の様な顔色じゃぞ?」
「自分たちも戦います…とはとてもいえませんね。アレを見てから寒気が止まりません。さらに息苦しい上に、体が岩で出来たかのように動かないのです」
「あー見事に二人共、穢れたマナに当てられておるのぉ。あれ程のモノが出て来る位じゃ常人であれば死んでおるじゃろうの、それにしても…ここらであんな巨体になるまでのマナは無い気がするんじゃがのぉ…」
ここが何か特別な場所なのか…理由は分からないが、居るのであればそれが答えであろう。
「よし! では行ってくるのじゃ」
「ご武運を…」
ウィルが息も絶え絶えに呟き、カルンは緊張か剣を握りしめ強張っている。
その背をポンポンと一,二度叩き、すり鉢の縁から躍り出て斜面を一気に駆け下りる。
「流石に起き出したようじゃな」
ゆっくりと横たえていた体を起こせばその頭は既に見上げるほどに高く、真っ赤な双眸でこちらを睥睨している。
爬虫類然としたその頭から伸びる首はすらりと長く、胴は如何な大樹よりも太くそこから伸びる四肢は大地を踏み締めるに相応しい威容。
長く太い尾は大岩さえ砕くだろう。そしてその魔物の姿をもっとも印象づけるは背にある一対の翼。
この世界にこの獣を形容する言葉はない。しかしワシにはその言葉はある…ただ一言、竜であると。
「ははは、何ともこれは何とも、王子が屠るに相応しい獣じゃ。うむうむ、こんな所まで来た甲斐があったというものじゃ」
ワシの言葉を理解しているのか、竜は聞くや否やにちゃりと音がしそうな動作で、コールタールの中から取り出した真っ黒なゴムを無理やり引きちぎり、まるで今創ったとでも言わんばかりに粘性の糸を引きながらその顎を開くと、その翼を誇るように広げ、名状しがたき音階の破滅の咆哮とでも表現するが相応しい音を撒き散らす。
「おぉおぉ、凄まじいマナの圧力じゃ。カルンらを近づけんで正解じゃったの」
咆哮の残響が響く中、竜はワシを押しつぶそうと右の前足を掲げ、晴れ渡る青空を漆黒で覆い振り下ろしてくる。
恐らくこれを防げたモノは今まで居なかったであろう、だがワシはそれを避けることもせず魔手を掲げ真正面から受け止める。
「流石と言うべきか、このワシが膝を折りそうじゃ」
ボゴンと足元の岩が砕けるほどの衝撃、当たり前ではあるが体重のある向こうの方が力比べでは上のようだ。
だが負けてはいないと右腕に力を込め、前足を跳ね返しつつ爪にマナを籠めてそのまま前足を消し飛ばす。
魔物である竜が生まれてから…と言うのはおかしいか、発生してから今まできっと誰にも押し返されたことなど、あまつさえその体を消滅させられたことなど一度たりとも無いだろう。
わずかばかりに竜は後ろへたたらを踏み、驚愕するかどうか知らないが一瞬動きを止める。
そして思い出したかのように岩をすりつぶすかのように唸り、怨嗟か飢餓かまたも咆哮を上げる。
すると竜の胸、前足そして伸びる首の下辺りから、ほのかに薄緑の光が漏れ肘辺りまで消滅していた右前足が、肘から影が伸びるかのように生え復活する。
「むぅ…まさかの即時再生とは…うーむ、どこぞのクリスタルでも先に破壊せねば…おっと」
冗談を呟く暇もなく、再度竜が前足を振り下ろしてくる。
それを今度はヒラリと後ろへ跳ねるよう避け、お返しとばかりに爪から斬撃を飛ばしもう一度右前足を今度は肩から消滅させる。
「ほっほ、どうじゃ! 『ドラゴンファング』と名付けた技じゃ、魔物のお主には良う効くじゃろう?」
軽やかに着地すると、まさに振り下ろした直後であった右前足が消え、バランスを崩した竜が足を再生する前に左足の方へと飛び今度はそちらも肩から消滅させる。
両前足を失った竜が、自らの体重でもってしたたかに体を地面へと打ち付けると、周りに木々があればなぎ倒されたであろうほどの風量を起こしながら、竜は堪らず両の翼を羽ばたかせ空へと逃げようとする。
「知っておるか? 九尾の狐からは逃げられぬ! のじゃ」
ワシが魔手を振り抜くと漆黒の翼は見えぬ刃に切り裂かれるように千々と消え、片翼となった竜は地面へと墜ちる。
この地で今の今まで無敵を誇ったことは想像に難くない竜が今、無常にも右翼と両前足を失い地面の上で逃げようともがいている。
「ふむ、再生は一度きりなのかのぉ…それとも魔物がパニックになるのかは知らぬが、気が回っておらんのかえ」
なれば好都合ともがく黒い竜の背に乗って、残った翼の根本を掴む。
「カルンがトドメを刺す時に邪魔じゃからっのっ!」
思い切り力をこめて翼を引きちぎると、竜は痛みなのかそれともせめてもの抵抗か耳を劈くような咆哮を上げる。
「うるさいのぉ…そんな悪い子には仕置きじゃ!」
タタタと背を駆け、その勢いのまま後ろ足と尻尾も切り落とし消滅させる。
「うーむ…自分でやっておいてなんじゃが、実に情けない姿にお主なってしもうたのぉ…」
四肢と翼、尻尾を失い胴体と首と頭だけになってしまった竜は実に何とも…、出来損ないの粘土細工のようだ。
首を振り回し竜が上げる咆哮も、心なしか悲嘆に暮れるようにも聞こえる。
「なんか…悪いことをしてる気になってくるのじゃ…」
だがこれもこの世界の為と、溜め息一つ今度は頭の方へと向かう。
穢れたマナとは大概の生き物にとっては毒のようなもの。その塊である魔物を放っておけばどうなるか…。
積極的に他者を襲う劇毒なぞ考えたくもない。それがこれほど巨大であれば尚更である。
その背の感触で竜はワシが頭へと向かっているのが分かったのか、首を振り回し叫び声を上げ暴れに暴れる。
「やかましいのじゃ!!」
背から跳び、暴れる頭に狙いを付けて思いっきり殴りつけると、竜は短い叫び声を上げて地面へと頭を墜落させる。
「ふぅ、漸く大人しくなったの。カルンやー! こやつが伏している内に、さっさとトドメを刺すのじゃー!」
ワシの声に反応してすり鉢の縁から、ヨロヨロと出てきたカルンがおっかなびっくり斜面を滑りるように降りてくる。
「ね…ねえや…これ、トドメ刺す必要あるの?」
「なーに死にそうな声を出しておるのじゃ、こやつは今は気絶しとるだけじゃからの、はようその剣を眉間に突き立ててトドメを刺すのじゃ」
カルンの持つ剣は、ワシの言いつけをちゃんと守ったようで十分に突き立てるに相応しいマナを帯びていた。
「大丈夫? 起きない? これ起きない?」
「大丈夫、大丈夫じゃ。ワシが押さえておくから起きても大丈夫じゃから」
情けない声を出しながらも剣を片手に竜の頭へとよじ登るカルンを励ましながら、竜の鼻先を両手で抱えるようにぎゅっと押さえる。
「よ…よしやるぞ」
カルンは逆手に持ち替えた薄緑に輝く剣を頭上に掲げ、瞼が無いのか開かれたままの真っ赤な双眸の間へと裂帛の気合とともに剣を突き立てる。
その途端開かれたままの眼をこぼれ落ちんばかりに更に開き、ワシが押さえているせいで頭を振ってカルンを振り落とす事もできず、唯一動かせる首だけを暴れさせくぐもった咆哮を僅かに開く口から漏らす。
最期の抵抗とばかりに凄まじい力で暴れようとする頭をワシも必死で押さえることしばし、徐々に首の動きがゆっくりとなっていき、まるで助けを求めるかのようにぐっと一度天へと首が弧を描くとついにバタリと地へと落ちその動きを止める。
「ようやったのぉカルン」
動かなくなってからも念のため暫く押さえていたが、再度動き出す気配も無いので手を離して頭の上で、剣を握ったままぐったりとしているカルンへと声をかける。
「た…倒せた?」
「うむ、倒せたの」
正直に言えば倒せていない、今はただ単に生きていた頃の名残で、頭を刺されたという事実に死んだと勘違いして停止しているだけだ。
「では魔石を取り出すから、ウィルたちの下まで戻っておくのじゃ」
「わ、わかったよねえや…」
精も根も尽き果てた様な声音でカルンは頷くと、竜の頭から転げ落ちるようにして降りて、そのまま年寄りの登山の様に腰を曲げすり鉢の縁へと戻っていく。
「さてと…さらばじゃ竜よ。お主の名はワシがカルンの武勇として語り継いでやるのじゃ」
カルンが登りきったのを確認すると竜へと向き直り、死んだように体を横たえる竜へと別れを告げるかのように掲げた魔手を振り下ろすのだった…。
個人的に竜の造形で好きなのは、レジェンドオブドラグーンの神竜王ですが。
今回は一般的?なRPGに出てくるようなドラゴンです。




